涙の理由

 病院なんて基本的に静かなものだけれど、それでも人々の話し声や患者、医者、看護士たちが動き回る足音で、無音とは程遠い。しかも、遠くからはいくつも重なる子供の泣き声が聞こえてきている。
 でも一番耳障りなのは、息を切らした自分だな。試合を終えてすぐ、病院まで走ってくる事で乱れた呼吸を整えながら、俺は泣き声のする方へと歩き出す。
 オジイはどこにいるのか、誰にどうやって聞こうかと考えていたけれど、必要なかった。泣き声はいくつも重なっていて判り辛いけれど、いくつか判別がつく声は、聞き慣れたものだったから。
「ねえ、オジイ、どうなっちゃうの!?」
「死んじゃうの!?」
「バッカ、お前、縁起でもねえ事言うなよ!」
 ひとつ廊下を曲がると、中学生と小学生の集団が目についた。中学生のほとんどは、不安げな顔やイラついた顔で立ち尽くしていて、小学生のほとんどは、泣いていた。
 でも――やっぱりなと言うか、さすがと言うか。
 小学生たちの真ん中にひとつ、ひときわ背の高い影がある。不安の色を顔に出す事なく、子供たちの肩を叩いたり、頭を撫でたり、優しい言葉(口調は乱暴だけどね)をかけて慰めていた。
「オジイはあと百年は生きるっての! 絶対大丈夫だ」
 根拠があるのかないのかは、今病院に来たばかりの俺には判らなかったけれど、バネの力強い言葉に安心をもらったのは俺だけじゃないようで、子供たちの泣き声が少し弱まったのが判る。
「サエ!」
 ふと顔を上げたバネが、俺の存在に気が付いた。オジイを想って天上や壁や床や扉に向けられていた沢山の視線が、俺に集まる。
 まだ完全に落ち着ききってない呼吸を抑えるために、一度飲み込んでから、俺はみんなにゆっくりと近付いた。
「……オジイは?」
 なんでだろう。
 今聞いても無駄なんだって、さっきの光景を見ていれば判るはずなのに、どうしてもこう聞いてしまう。
「今見てもらってる。気を失っているだけで大丈夫だとは思うけど、頭打ったし歳も歳だし、ちゃんと検査した方がいいって言うからよ」
「そっか。そうだよな」
 もう一度、安堵のため息を吐いた。
 目を伏せて、もう一度開ける。これで覚める夢ならば良かったけれど、もちろんそんな事は無い。
「悪かったなサエ。お前、ひとりで試合続けたんだろ? 誰か残ってると思ったんだけどよ、病院に来たら、サエ以外みんな揃ってるし。心細かったよな?」
 そう問われて、俺は即座に首を振っていた。
「そんな事は、なかった」
 あいつが許せなくて、ひとりでも試合を続けたいと思って、コートに残ったから。
 頼もしい臨時応援団が、現れてくれたから。
 だから心細くはなかったんだ。
 俺は何を言おうか黙りこもうか悩んで唇を震わせて、
「すまない」
 無意識にその四文字を口にしていた。
「……勝てなかった」
 空気がしんと静まりかえる中、俺に集まる視線に痛みを感じながら、俺はみんなから視線を反らした。
 とても見てられなかった。声を上げずに泣き続ける小学生たち。不安や苛立ちの中に悔やみを混ぜる中学生たち。
「お前が謝る事じゃねえだろ。みんな負けたんだし。三ゲーム以上取ったのお前だけだし、応援途中で放り出したし、むしろみんながお前に謝ったって……」
「けど」
 俺はバネの言葉を遮って、ぐっとラケットを握る。
 せめて俺だけでも勝てれば。
 ここで、笑顔で、「勝ったぞ」って報告できれば。
 今、明るい表情を見せる事ができないみんなに、少しでも笑顔が戻ったんじゃないかと思う。
「あいつらが泣いてんのも、不安がってんのも、イラついてんのも、お前が勝てなかったのが悔しかったからじゃねえ。オジイが心配だからだ」
 それは、判ってる。
「けど」
「あと、お前が泣きそうなツラしてんのもな」
 突然心外な事を言われて、俺が顔を上げると、視界に飛び込んできたバネは、子供っぽく笑っていた。
 ふざけるなよ、とか、どこが泣きそうなんだよ、とか、言い返す言葉が色々と頭の中を巡ったけれど、俺は結局何も言わなかった。
 言えなかった、のかもしれない。


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テニスの王子様
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