ゆりかご

 教室のドア開ける時とかさあ、いちいち気を使って開けないじゃん。せいぜい保健室と職員室のドアくらいで。いや、俺はそれも特に気を使わないけどね!
 だからいつも通り、適当にがらがらがらーとドアを開けて南のクラスに入ったら、東方が無言で「しーっ」って、口の前に人差し指立てて、どうやら静かにしろって事らしい。俺は東方と、それからこの教室の中に居るはずの南声をかけようとしてたから、出そうとした声を慌てて飲み込んでみた。
「……どったの?」
 ギリギリ東方が聞き取れるくらいの小さな声できいてみる。多分、声に出さなくても東方は答えてくれただろうけど。
 東方が今座っているのは、南の席のいっこ前。俺たちを呼び寄せた当本人の南は、東方のおっきな背中の向こうに隠れてた。
 いや、本人隠れるつもりなんてなかったんだろうけどね。俺がたまたま前から入ったから、そう見えただけで。
 南は自分の席に座って、自分の席に伏せて、眠っていた。呼吸とかとっても静かだったけど、俺と東方がもっと静かにしているし、教室は俺たち以外に誰も居なくてがらんとしてたから、寝息が耳にはっきり届く。
「疲れてるんじゃないか」
 俺がまじまじと南を観察してたら、東方がさっきの質問にようやく答えた。判りきった答え、だったけど。疲れてたりして眠くなきゃ、わざわざ放課後教室で寝たりしないって。授業中ならともかく。
「ぶちょーさんだからね」
「部長さんだからなあ」
 南が新しい部長に任命されて、みんながびっくりしつつも妙に納得した時から、もう一ヶ月が過ぎている。
 つまり、責任感がある人間ってのは、どうしても完璧主義になっちゃうのかなあとか、めずらしくも俺がそんな事を考え始めてから、一ヶ月。
 放課後呼び出されたりしちゃったから、ようやく頼ってくれるのかなあと思ってみたけど。
 や、俺、頼りにならないけどね? 地味に頼りになるのは、東方だけどね?
「気持ち良さそうに寝るねえ」
「ほんとだよな。妹が生まれたばかりの頃思い出すよ」
「何? 南って赤ん坊並?」
「俺はそんな事一言も言ってないからな」
 やだ東方くんたら何よその笑い方。さてはあとで「千石がこんな事言ってたぞ〜」とかちくる気だな! そうはさせないよ!
「ゆりかごに揺られてさ、すごく気持ち良さそうに眠っていた。あんな感じだ」
 なんだよ、やっぱり言ってんじゃん、東方ってば。
 でもま、気持ちは判るけどね。今の南の寝顔は、眉間に皺刻んでばっか、考え事ばっか、な最近の南からは考えられないくらい、何も悩みが無さそうな、無防備な顔してる。俺は下の兄弟が居ないから、間近で見るチャンスはあんまりなかったからよく判らないけど、赤ちゃんってきっとこんな、悩みのひとつも無さそうな、幸せそうな寝顔してるんだろうね。
「ゆりかごにゆらゆら揺られるのって、気持ちいいのかなあ?」
「どうだろうな」
「ちっちゃい頃は自分も揺られてたんだろうけどね」
「覚えてるわけもないもんなあ」
「……試してみようか?」
「……?」
 俺は南の机をがし、って掴んで。あんまり音を立てないように、ゆっくりゆすってみる。
「それは『ゆらゆら』って言うより、『ぐらぐら』じゃないか?」
 東方ののんびりした指摘はまさにその通りで、これじゃ気持ちいいどころかむしろ酔って気持ち悪くなりそうだなあと思った。
 うーん。机じゃ限界があるかなあ。椅子の方、揺らしてみようか。
 俺は椅子の方にしゃがみこんで、足を二本、がっしり掴む。
「あんまり無茶するなよ?」
「しないよ〜。俺をなんだと思ってるのさ」
「いや、お前だからさ……」
 俺はぐっと腕に力を込めた。
 あれ。けっこう南って重いな。寝てるから、体重しっかりかかっちゃってるもんね。そう言えば最近背、伸びてるし。
 えいや!
「こら、せんご……」
 やばい!
 ぐらり、って、椅子に合わせて南の体が大きく揺れた。
 慌てて立ち上がった東方が腕を伸ばしたけど、紙一重で届かない。足元に居た俺が対処できるわけもない。
 すごく長い時間に感じたけど、多分一秒もせずに、南の体は隣の机との隙間にどすん、って落っこちた。その時に、隣の机の足んとこに、がん、って頭もぶつけてる。
「……」
 構えずに転がり落ちたから、体を思いっきりぶつけて、かなり痛かったんじゃないかな。南は当然目を覚まして、一回うずくまってから、うめきながら体を起こした。
 半分くらい寝ぼけた南の目に映ったのは、行き場の無い腕を伸ばしたまんまの東方と、椅子の足を掴んだまんまの俺なわけよ。
「せ〜ん〜ご〜く〜!」
 制服についた埃はたいたり、ぶつけたとこさすったりしながら、南は俺を睨む。
「違うって! わざとじゃないんだってば!」
「呼び出しておいて眠ってたのは悪かったけどな、起こすにしても起こし方ってもんがあるだろーが!」
「違うって! 南のためを思っての事なのに〜!」
「だとしてもお前のはいつも余計なお世話なんだよ!」
 咄嗟に逃げようとした俺の首根っこを、南はしっかりを掴んだ。
 こう言う時やたら素早いんだ南ってやつは! すかさずごいん、って、南のげんこつが思いっきり俺の頭を襲った。
「痛っ!」
「うるせえ! 俺はもっと痛かったっての!」
 そうかもしれないけどさ!
 不機嫌そうに椅子に座りなおす南は、ぶちぶち文句言い続けるけどさ。
「止めないどころかアドバイスまでした東方には何もしないの〜?」
 殴られたところをおさえながら、どうしても納得行かない事を主張してみたら、「うるせえ!」って一蹴された。
 なんだよ! 不公平だよ! 実行犯じゃないからって! 明らかに共犯じゃん、東方は!
「地味なのも得な時ってあるんだな〜……」
 あんまり悔しいから、正直な感想を呟いてみたら、今度は東方に殴られた。


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テニスの王子様
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