「ふんふふ〜ん」 なんて鼻歌歌いながら花瓶の水を換えてる男ってどうなのさ、なんてツッコむ事はしなかった。神尾の事だから、ツッコんだら聞きたくもない理由か言い訳をベラベラと話すに違いないし、そっちの方がよっぽどめんどくさいからね。 ことり、と二輪だけ花がささっている小さな花瓶をロッカーの上に置くと、神尾は一仕事を終えた、と言った満足げな様子で笑う。 「やっぱさ〜、花があると部屋が明るくなるっつうか、和むよな〜」 うわなにそれ。お前昨日までそんな事少しも考えた事なかっただろ。 一昨日、余計なものが何ひとつない部屋に黒いジャージの軍団が並んでいる様子を見て、「華がないなあ」って言ったのは杏ちゃんだし。 小さな花瓶(ほとんど一輪差しにちかい)買ってきて花を生けて、「ちょっとは明るくなったわね」って満足そうにしてたのも杏ちゃんだし。 いやだよな主体性のない人間って。人の意見にすぐ左右されてさ。 「そうだなあ。この部室、殺風景だったしな」 石田は多分自分の意見を言ってるんだろうから神尾よりましだけどさ、部室が殺風景だと悪いみたいな言い方ってどうなのかな。好みは人それぞれなわけだしさ。そもそも中学生男子運動部の部室が殺風景だってのは奇跡に近い事だろ。ふつう、虫が沸いたりキノコが生えてもおかしくないくらい汚いもんじゃないの? だいたいロッカーの上って場所もどうかと思うよ。他に置き場がないからなんだろうけど、あの位置じゃ普段から花が視界に入るのって石田と橘さんだけだ。置いている意味がほとんどない。それともあんな小さな花のために、わざわざ上を見て活動しろって言うつもりか? 冗談じゃないよ。 「どうした深司。不機嫌そうだな」 突然、橘さんが俺にそんな聞く。 別に、いつも通りですけど。 と返そうとして、ベンチでひとり座りながら神尾たちを睨みつけていたら、不機嫌そうに見えても仕方がないと考えた。 「花、嫌いか?」 「いえ、別に、嫌いじゃないですけど」 うちは女の比率の方が高いしさ。母親が育てた花や妹たちが摘んできた花が飾られてるから、花自体が嫌いなわけじゃない。特別好きでもないけど。 「人の意見をさも自分の意見のように語る神尾がうざいと思ってるだけです」 「……何か言ったか、深司」 あれ。 「言ったけど。聞いてたんだ」 「そんな広い部室じゃねえだろ、ここは!」 そりゃそうだけどさ、浮かれている神尾が回りの声を耳に入れる余裕があるとは思ってなかったよ。 杏ちゃんの名前を出せば一発で俺の勝利は決まるけど、相手をするのも面倒だ。俺は神尾を無視して、着替えるためにロッカーに近付く。とっとと着替えて教室に戻ろう。一応授業に出席はしてないとね。 「深司!」 俺の肩でも掴もうとしたのか、神尾の腕が伸びてきたから、俺は軽く避けた――つもりだったんだけど。 「あ」 神尾の手が、俺のフードに思いきり引っかかった。完璧に避けたつもりだった俺は、そんな形で後ろに引っ張られるなんて予想もしていなかったから、思いきりバランスを崩して倒れこんだ。 反射的に頭とかかばって、左肩とか腕からロッカーにぶつかったのかな。打撲とかにはなっていないだろうけど、ちょっとでも痛いのは確かだしさあ。 「お前さ……」 神尾に文句のひとつやふたつ、言ってやろうと思った瞬間、がしゃん、と音が響いた。 みんなの視線が俺の足元のすぐ隣に集まっていた。俺は神尾に対して色々と言ってやるタイミングを逃して、みんなと同じところを見るしかなかった。 落ちていたのは、さっきまでロッカーの上にあったはずの花瓶と花。もちろん花瓶は割れていて、周りに水が広がっている。花は力無く床に這っていた。 「……なんでこんなんなってんだよ」 神尾にしてはがんばって声を低くして、言う。 「なんでって、落としたからだろ」 「なんで落ちてんだよ」 「神尾さ、今さも俺が悪いみたいな言い方してるよね。どうしてそうなるのかな。神尾が下手な手出ししなけりゃ俺は転ばなくてすんだわけだし、そうしたらロッカーにぶつかる事もなかったんだよ。むしろ俺って被害者だろ?」 「おっまえ、なあー!」 わざとらしく床を踏みしめて、神尾は俺に近付いてくる。頭に血が上ってるのか、自分の足元なんて見えてないみたいだ。じゃり、なんて音をたてて、飛び散った破片を踏みにじったりしてる。 スニーカー履いてるからって、それってやばいんじゃないの? って言うかさ、神尾って要領って言うか、間が悪いやつなんだからさ。 「おっはよー!」 ほら、こう言う絶妙なタイミングで、杏ちゃんが現れたりするんだ。 「あ、おはよう、杏ちゃん!」 神尾の嬉しそうな挨拶を聞いているのかいないのか、杏ちゃんの視線は神尾の足元にだけそそがれる。床に叩きつけられて割れた花瓶の欠片が神尾の足の下にある、って光景を、杏ちゃんは目の当たりにしているわけだ。 俺は別にどうでもいいけどさ、誤解してくださいって言わんばかりのシチュエーションだよね、これ。ここだけ見たら、神尾が花瓶を割って踏みにじってるようにしか見てないし。 「あー……その、ごめんね、神尾くん。無理矢理押しつけちゃった感じなのかな」 ほらやっぱり。 「へ?」 「でも、気に入らないなら、昨日言ってくれれば良かったのに」 それだけ言い残して、杏ちゃんは部室から出ていった。 それでようやく神尾も、杏ちゃんの言葉の意味を理解したみたいだ。思いっきり誤解されているってね。 「うわぁ、ごめん、杏ちゃん、違うからー!」 神尾は血相を変えて部室を飛び出していく。 もし杏ちゃんが走っていたとしても、神尾の足ならすぐに追い付くだろうけど……あいつ状況説明とか下手だしね。誤解が解ける望みは薄そうだね。 どうでもいいけど。 「とりあえず、片付けるか」 苦笑いを浮かべながら、橘さんは小さくため息を吐いた。 |