青い薔薇

 斜めに射しこんでくるオレンジ色の眩しさの中を歩きながら、すれ違った女性が手にしていた小さなブーケに、ふと思い出した。
 薔薇の花を見かける事なんて今までに何度もあったはずなのに、今日思い出したのは――まさにそんな気持ちだったから、なんだろうな。
「大石?」
 どうしたんだ、って意味をこめて、二、三歩前を進む手塚が俺の名前を呼ぶ。
 ついさっきまで並んで歩いていた相手が、突然前触れもなく足を止めたら、いつも冷静な手塚だってそりゃ驚くよな。悪い事をした。
「ごめん。昔読んだ記事を思い出してしまってさ」
 二、三歩進んで、手塚の隣に並びながらそう言ってはみたものの、手塚の難しそうな表情が、綻ぶ様子はない。俺が言った事が返事になってないんだから、当然だ。
「今すれ違った人が、小さな薔薇のブーケを手にしてたから。手塚も知ってるだろ?『the blue rose』――青い薔薇の意味は、かなわぬ望み。日本では不可能の代名詞だ、ってさ」
 詳しい名前は忘れたけれど、薔薇には青を発色するための遺伝子が先天的に存在したいために、品種改良をしても青い薔薇だけは絶対に咲かない、と書いてあったっけな。
 その記事を読んだのがいつだったかは覚えていないけれど、悲しいと言うか、寂しいと言うか、とにかくあまりいい気分にならなかった事ははっきりと覚えてる。実在しない青い薔薇を想像して、こんなにも綺麗な花にこんなにも悲しい意味を持たせるなんて、ひどいじゃないかとか思ったんだろうな。
 でも今なら、判る気がする。
「『青い薔薇』なんだなあ、と思ったんだよ。今の俺の気持ちを一番上手く表現できるのはさ」
 とても嬉しかったんだ。
 嬉しかったからこそ、二年以上も前の、あの夕日の中で手塚が俺にくれた言葉は、俺たち二人で誓った夢は、他の何よりも美しく俺の中で輝いていた。
 青学を全国へ導くと言う俺たちの夢は、叶ったと言っていいんだろう。そして今、夢よりも更に先を目指す事となったのに――俺は。
 ふと気がつくと、俺が自分の右手首を凝視していた。
「お前が帰ってきてくれて本当によかった。俺が、みんなの足を引っ張る事にならなくて」
 だから、今なら判るんだ。
 美しいからこそ、なんだ。それを強く望むからこそ、手が届かないと判った時、途方もなく悲しい意味を持つんだ。
 手塚の隣を歩けなくなった今だからこそ、本当に理解できるようになったなんて……少し皮肉だよな。
 俺は目を細めて、眩しい空をを見上げる。誓ったあの日と同じ輝きが、そこにあった。
「だが、青いカーネーションは、すでに商品化されているぞ」
 ……あれ?
 手塚の言葉に少し違和感を覚えて、俺は手塚を見上げる。
 今の言い方は、客観的に現実を述べてる……様子じゃない。
 しまった。心配させたみたいだな。そりゃそうか。俺の言い方が悪かった。
「知ってるさ。青い薔薇を咲かせるための研究中に、開発されたんだよな。それは、青い薔薇が咲くって、今でも信じ続けている人がいるって事だ」
 俺が微笑んで答えると、手塚の難しそうな表情が、ようやく綻んだ。もちろん、笑ってるとかじゃないんだけれど。
「言ったろ? 俺は。『不可能』でも、『かなわぬ望み』でもなくて、『青い薔薇』だってさ」


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