「決めた。俺、テニス部やめてサッカー部に入る!」 我らが山吹中テニス部のエースが千石清純である事は、心底不本意だが紛れもない真実だ。 そのエースが突然そんな事を言い出したら、部員たちの心が穏やかでいられないのは当然の事で、少しだけ空気がざわつく。 まあ、うちのエースはいつもふざけた事やろくでもない事を言うから、他の学校や部活のエースが同じ発言をするよりは、はるかに衝撃が少ないんだろうけども。入ったばかりの一年が思いっきり動揺して、ほとんど慣れた二年が少しだけ動揺して、二年間も一緒に居る三年は、しらけた目を向けていた。 「こら千石。タチの悪い冗談はよせよ」 千石がそう言う奴だって判ってても、エースって地位が欲しいのに手にできない奴が聞いたら、やっぱ無神経すぎる発言だしな。 ちょうど手にしていた部誌で、千石の後頭部をばしんと叩くと、千石は恨みがましい目を俺に向けた。 「冗談じゃないよ。俺、めちゃくちゃ本気」 言って千石は、自分のロッカーを開けて、一冊の雑誌を取り出した。見なれたテニス雑誌でも、漫画のたぐいでもない。え〜っと……占いの本、か? 千石はペラペラと雑誌をめくり、目的のページらしきところを開くと、俺の目の前につきつけた。 「なんだよこれ」 「血液型と星座で四十八通りに分けて、詳しく占い乗ってるやつ。すごいだろ?」 まあ普通は、血液型だけとか、星座だけとか、なんだろうな。 「そりゃ細かいな。で?」 「ホラ見てよ、ここ、ここ」 どうやら千石が開いているページは、千石が属するページだったらしく(なんだっけ? いて座のO型とか、だっけか?)、そこには今年度の運勢とやらがちまちまと書かれていたわけなんだが、千石が指で示すのはただ一点。 「ラッキーアイテム:サッカーボール」のところだった。 「……だから?」 「『だから?』って何さ。見て判っただろ?」 「今年度のラッキーアイテムがサッカーボールだと、お前サッカー部行くのか?」 俺が訊ねると、千石は首をかしげた。 「え? 行きたくなんない?」 ならねーよ! と叫ぶ代わりに、手にした部誌で千石の頭を叩く。さっきよりもずっと強めに、力いっぱい。 「痛い……」 「そりゃそうだろ。痛くしたんだからよ」 「やっぱりアンラッキーだよ。サッカーボールがそばにないからだ。いつ転部しよう」 まだ言うか! コイツは! 俺は腹いせにもう一発殴ってやった。さっきより少しは軽めにな。 「お前が殴られまくりなのは、今年度に限った事じゃねーだろ」 俺が吐き捨てるように言うと、千石はぽん、と手を叩いた。 「そういや、そうだったね〜。去年も一昨年も、ラッキーアイテムそばに置いといたけど、南に殴られまくってたや。あはは」 去年や一昨年もこの雑誌買ってたのかよ。そんでもって振り回されてたのかよ。その事実に俺はビックリだよ。 「せ、千石先輩!」 三発殴られた頭をさすりながら、へらへら笑っている千石の元に、てこてこと太一が駆けよってくる。 ひどく慌てた表情で、ああ、そっか、こいつ入って間もないし、千石の言う事まるごと真に受けてるんだな。可哀想に。 「あのな、太一」 「あの、ボクのうちに、ちっちゃい時におばあちゃんに買ってもらったサッカーボールがあるです!」 「うん?」 千石は首を傾げた。 「それ、あげますから!」 「うん?」 「えっと、テニス部、やめないでほしいです!」 純粋な目で、必死に訴える太一を見下ろしながら、千石は困惑の笑みを浮かべる。 そりゃ、困るよな。でも、自業自得だからな。 タチの悪い冗談言うからだ、このバカ。 「え〜っと、おばあちゃんからもらったなら、壇くんの宝物だろ? そんなのもらえないよ」 千石は太一の頭を撫でながらそう言った。 「でも……」 「じょーだんだって。俺、テニス部やめたりしないから」 「ホントですか!?」 「もちろん」 千石が力強く頷くと、泣きそうだった太一の表情が一気に晴れた。「えへへ」なんて照れくさそうに笑って、太一はうきうきと着替えに戻っていく。 そんな太一の背中を眺めて、千石も照れくさそうに笑った。 「ラッキーアイテムなんてなくても、お前にはもったいないくらい幸せじゃねえか」 本気で心配してくれる後輩が居て、ふざけた冗談に付き合ってくれる同輩が居て。 「ほんとだねえ」 千石は照れた笑みを消す事なく、小さく呟いた。 |