「美味い」 夕食に出てきたお吸い物をひとくち口にした瞬間、俺は反射的に感想を言っていた。 英二に言わせると、たとえば料理番組などでやたらと早く「美味い!」って言う人は、ちゃんと味わってるかどうかあやしいらしい。俺はよく判らないからそんなものなのか、と納得していたけれど、今日で認識を改めた。味わったって、反応は早くできる。 「大石、ハマグリのお吸い物好きだもんな」 「そうだけど、これは本当に美味しいよ」 「ふーん」 その時はまだ、英二の目は「大石、大げさに反応しすぎ」と訴えていたけれど、英二もお吸い物をひとくち含んだ瞬間、目付きを改めた。 「ほんとだ、うめー! なんかダシからして違うよ。香りもいいしさ、材料も本場モノだから違うのかな〜」 俺は料理には詳しくないから、どこがどう違うのかは判らなくて、感覚的な事しか言えなかったけれど、普段料理をしている英二は、褒め言葉詳しい。さすが。 「気に入ってくれて良かったのね〜」 お吸い物に感動している俺たちを見比べて、六角中の樹はにこにこしている。嬉しそう、と言うよりは、得意げって感じかな? 「お吸い物の担当は樹っちゃんだからね」 そう言って得意げにするのは佐伯で、樹はもちろんいいとして佐伯が得意げなのは少し違うんじゃないかな、とは思ったけど、友達の料理や地元の材料が褒められたら、やっぱり嬉しいか。 「へえ、これ、樹が作ったのか。すごいな」 「そうなのね」 「料理、上手なんだな」 「うん、やっぱり樹っちゃんがダントツで一番上手いかな。味付けにもこだわりを感じるしね」 俺はもちろんそうだし、たぶん佐伯も、誇張でなくただの本心を次々に口にしただけなんだけど、樹は照れてしまったのか、少し恐縮してしまう。 「そんなに褒められると、照れるのねー」 佐伯や俺の視線から逃れるようにうつむいて、慌てて箸を手にしてご飯をかき込む様子は微笑ましい。俺がついつい微笑んでしまうと、佐伯は何か言いたげに頷いて、うっすらと笑みを浮かべながら食事を再開した。 そんな和やかな空気を、 「俺だって、負けねえけどなー」 英二のふてくされた声が突き破った。 ああ、そう言えば、英二はものすごく。 ……負けず嫌い、だったよな。 「俺家族の朝飯とか夕飯とかつくってるし、けっこう上手いって評判なんだぜ。な、大石!」 「ああ、うん、確かに英二は料理上手だけど、ここで張り合うのは」 「樹っちゃんちは食堂を経営しててさ、つまりプロなわけだよね。そんなうちの手伝いをやってる樹っちゃんは、セミプロと言ってもいい腕前なんじゃないかな」 俺がこの場を穏便におさめようとしているのは間違っているのかな。 当の樹ならともかく、どうして佐伯が張り合うのかな。 軽く悩む俺の目の前で、ぎりぎりぎり、と効果音が聞こえてきそうな強烈な睨み合いが続いている。 「そんなに言うなら、明日の朝ゴハンで勝負だ! お題はオムライス!」 バン、とテーブルを叩いて立ち上がり、英二は叫んだ。 「乗った!」 対抗するように佐伯がテーブルを叩いて立ち上がる。 こんな事になると知っていたら、お吸い物が美味しいだなんて言わなかったんだがなあ……。 悩む俺の耳に、小さな声が飛びこんできた。 「別にいいけど、勝手に乗らないで欲しいのね。勝負するのは俺なのね……」 乾いた音を立てて、スプーンが床に落ちた。 そのスプーンの震えが完全に止まるころ、英二はがっくりとうなだれて、床の上に崩れ落ちる。 「え、英二?」 俺が英二の傍らにしゃがみこみ、英二の横顔を覗き込むと――悔しそうな顔はしていたけれど、なんと言うか、それほど悲痛な表情でもなかった。少し嬉しそうにも見える。 「英二?」 「くっそー!」 英二は手を伸ばして、落としたスプーンを拾い上げ、力強く立ち上がる。表情はすでに、いつもの明るい笑顔の英二だ。 英二は、一度落としたスプーンをそれはそれとばかりに隅の方においやって、新しいスプーンを手に取る。 「悔しい、完璧俺の負け! でもさ、こんなふわっふわで美味いオムライス食えて、嬉しい! 全部食っていい?」 樹は英二の反応に少し驚いていたようだけれど(そりゃ、そうだよな)、すぐに優しい笑顔になって、 「もちろんなのね。食べてくれた方が嬉しいのね」 英二がひとくち食べただけのオムライスの皿を、英二に差し出した。 それから英二は皿ごとかじりついてしまうんじゃないだろうかと言う勢いでオムライスをむさぼる。作り手としてはこれだけ美味しそうに食べてもらえればやっぱり嬉しいのかな。樹はずっとにこにこしていて、 「やっぱり樹っちゃんはすごいね」 やっぱり佐伯はなぜか得意げに、樹のそばで胸を張って笑っていた。 「いや、でも、菊丸のオムライスもすごくおいしいのね。ちょっと卵に火を通しすぎちゃっただけだと思うのね」 「え? マジで? そんなもん?」 「チキンライスはもう少し炒めた方がいいかもしれないけど、それは好みの問題だと思うのね。あとソースは、うちの秘伝のデミグラスソースを使ったから、はじめから俺の有利だったのね……」 あっと言う間に樹のオムライスを食べ尽くした英二は、尊敬する樹(おそらく美味しいオムライスを作れる人物は、英二にとって尊敬の対象だろう)の批評を受けて、ふむふむと何度も頷いている。 樹の話が終わると、手に持っていたスプーンをぐっと握り締めて、力強い笑みを浮かべた。 「よーし、俺、頑張る! あんがとな、樹!」 頑張るって、何をだ? ……美味しいオムライス作りを、か? 「乾! 料理が得意なヤツ、知ってたら教えて! 俺、むちゃくちゃ練習して、色んなヤツに挑戦して、武者修業して、もっと上手くなるから!」 拳を高く掲げて誓う英二の姿は、とても頼もしくあったけれど……今英二が料理に向けているのと同じかそれ以上の闘志を、ちゃんとテニスに向けてくれるんだろうか、と。 不安になるのは、俺が悪いわけじゃない……よな。 |