ビフォーアフター

 外はすっかり真っ暗だった。
 少ない星明りや月明かりなんて大した役にもたたないし、練習は終わってるからナイター用のライトも消しちまったし、校舎は職員室に電気がついてて目印にはなるけど、こっちまでは照らしてくれないし。部室棟も、今はもう男子テニス部だけしか電気ついてないしな。
 その最後の電気のスイッチに、俺は今手をかけている。
「おい深司、さっさと出ろよ。電気消しちまうぞ」
 俺が体の半分を部室の外に出した状態で深司に声をかけると、深司はキッときつく俺を睨みつけてきた。「桜井のくせに俺を急かすのかよ。生意気だなあ」とでも言いたそうな目だ。まったく、お前何様だよ、判る俺も俺だけど(もう慣れた)。
 にしても、睨むだけですませてぼやかないなんて珍しいな。
 って、こんな時間になるまでいっぱい練習したんだもんな。ぼやく事すらかったるいくらい疲れきってんのか。
 深司はのろのろした動きで荷物を肩に担ぐ。
 ようやく部室出てくれっかな――と思ったら、深司は歩き出す様子もなく、何かに気付いたみたいで、ポケットに手をつっこんだ。
 つっこんだ手はすぐに取り出される。手の中には携帯。メールが来たのかな。
「メールか?」
「……」
 深司は俺に答えず、携帯広げてメールの差し出し人と中身を確認する。
 そんなに急いでメールを見るなんて、マイペースにもほどがある深司にしては、ぼやかないよりもよっぽどめずらしいなって最初は思った。でもよく考えたら、俺ら部活の仲間がここに居るって事は、メールを送ってくるのは他に、橘さんとか杏ちゃんとかしか可能性がないんだよな(部室のドアの向こうで神尾とかが嫌がらせに送ってる可能性ももちろんあるんだが)。
 俺らのメールならいくらでも放置するだろうけど(せっかく送ってんだから放置はしないでほしいんだけど)、橘さんじゃ放置できないんだろ、深司でも。
「……なんなんだ、あいつ」
 本文を読んだらしい深司が眉間に深い皺を刻みながら、低い声で唸る。「あいつ」とか言ってるって事は、橘さんでも杏ちゃんでもないみたいだな。
 ……他に誰が居るんだ? こいつにメール送ってくるやつ。しかも「あいつ」扱い。
 あ、妹とかか?
「誰からだよ」
 興味本位で聞いてみても、深司は答えようとしない。眉間に皺を深く刻んだまんまの顔で、すぐさま電話をかける。多分、メールを送ってきた相手に。
 へえ。
 なんつうか、今日の深司はめずらしいの叩き売りだな。
「あのさあ……」
 どうやら相手が出たらしい。
 親しい相手なんだろうけど、それにしたって名乗るくらいすりゃいいのに。
「俺は放課後からついさっきまでずっと練習してたんだよね……お前みたいな体力バカと違って繊細だからさ、もうくたくたなんだよ。それなのにこれ以上疲れるような事するなよな。迷惑極まりないよ。大体なんだよ、『金曜だから、メールはできんよう』ってさ。メールできてるだろ? その時点でこのネタは不成立だとか考えないのかよ。バカだなお前」
 そこで、俺は当然、理解したわけだ。
 深司にメールを送ってきた、今深司と電話をしている相手が、六角中の天根だって事を。
 よりによって、深司相手にそんなメールを……怖いもの知らずっつうか、すげえな。
 言いたい事を全部言って満足したのか、深司はすぐに電話を切る。たぶん天根は、一言も言い返さなかったんだろう。そんな隙間が無かったもんな、今の深司のぼやき。
 深司は携帯をポケットにねじこんで、乱暴な足取りで部室の外に出た。俺は電気を消して、部室の鍵を閉める。
 振り返ると、深司は不機嫌そうな足取りでひとり先を行っていた。部室の外で待っていた神尾たち四人は、「説明求む」と顔に書きながら、じっと俺を見る。
 そんな顔されても、俺に説明ができるわけないっつうの。
 まったく深司もな。みんな深司を待ってたってのに。まあ、深司はそう言うやつだけどさ(俺たちって諦めいいっつうか、理解あるよなあ)。
 とりあえず俺は、深司の背中を追って、横に並ぶ。眉間の皺は、消えるどころか増える一方だ。
「天根、なんだって?」
 聞くと、深司は不機嫌そうな顔を俺に向けた。
「本当にくだらない、いつものやつだよ……あんなつまらないネタをどうどうと送ってくるなんて、あいつ、頭おかしいんじゃないの? まあ今更かもしれないけどさ……まったく最悪だよ」
「最悪まで言うか」
「最悪だね。あいつに会う前の平和な日々が懐かしいよ……こんなくだらないネタが送られてくる事なんてなかったしさ」
 つうか、天根と会う前の日々は平和だったのか? ってツッコみたい気にもなったけど、まあ、天根とそうして交流するようになった今と比べれば、確かに平和なのかもしれないんで、とりあえず放置。
「そう言うなよ。俺は天根と会う前のお前より、天根と会ってからのお前の方が、楽しそうでいい感じだと思うぞ」
 深司はぴたりと足を止める。
 憎まれてると言うよりは呪われていると言うのが近いんじゃないかって、それくらいのスゲー目で、深司は俺の事を睨んでくる。
「は? 何言ってるのさ。頭おかしいのは天根だけじゃなかったのかよ。お前楽しそうの意味知ってる? くだらないダジャレ聞かされるのが楽しいわけないだろ?」
 ひととおりぼやくと、深司は俺を(もちろん、俺より後ろにいるみんなも)置いて、スタスタと先に行ってしまった。
 俺は肩を竦めて、笑うのをこらえながら、ため息を吐く。
 そんな事、言われてもなあ。
 じゃあ、ぼやくのもかったるいくらい疲れてたお前が、天根のためにめちゃくちゃ気合入れてぼやいてたのは、なんでなんだよ。
 なんて聞いたら、また俺がぼやかれっから、言わないでおくか。


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テニスの王子様
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