一騎打ち

 橘さんの視線は、少し怖い。
 それは目付きが鋭いせいとかじゃなくて、強くて、真っ直ぐで、何もかもを見透かしてしまいそうだからだと思う。
 鋭い瞳は今、ネットを挟んで打ち合っている桜井と内村に向けられていて、内村のコートの隅にスピンのかかったボールが突き刺さるところを、見逃す事はなかった。
「ゲームセット! 6ー4、桜井!」
 審判役の神尾の声が響く。
 その声を聞いて桜井は力強く微笑んで、内村は悔しそうに舌打ちをした。
「終わりましたね」
 深司の呟きは独り言なんだか誰かに話しかけているんだかいまいち判り辛かったけど、わざわざ敬語を使ってるって事は、橘さんに話しかけているのかな。
 橘さんは深司の声に応えるように頷いて、立ち上がった。
 深司は終わった、と言ったけれど、それはきっと桜井と内村の試合の事じゃない。
 この一週間、俺たちはずっとシングルスの試合ばっかりしていた。コートはふたつあったけれど、ひとつだけしか使わないで、橘さんはずっと試合を見ていた。自分がコートにでている時は、対戦相手だけを。
 はじめは橘さんが適当に思いついた対戦をさせているのかなと思ったけど、ランダムに見せかけて総当りなんじゃないの、とはじめに気付いたのは深司で――だから深司の「終わった」は、今の試合で総当り戦全部が終わった、って事なんだと思う。
「集まれ」
 橘さんは静かに言ったけど、少し冷たくなりはじめた秋の夕暮れの空気の中でよく響くその声は、コート内に居た六人全員に届いた。
「言わなくても気付いていると思うが、この一週間、それぞれのシングルスの実力をじっくり見させてもらった」
 神尾が少し慌ててる感じなのは、気付いてなかったから……じゃあ、ない、よね?
「来週からはダブルスの実力を見させてもらう。大体の予想はつくんだが、相性によって意外な結果を生む場合もあるからな。思いつくかぎりの組合せでやってみよう」
 橘さんの発言に、深司が眉間にちょっとだけ皺を寄せる。そうだよな。深司は圧倒的に強いし、明らかにシングルスプレイヤーだし、ダブルス練習なんてあんまり楽しくないのかも。
 俺はダブルスの方が向いてるかもしれないなあって思わない事もないし、だから、来週も楽しみだけど。

 楽しみだったんだけど。
 これはあんまり、俺の好きな雰囲気の試合じゃないなあ、とか、思ったり。
「はっ!」
 桜井のショットは真っ直ぐに、ネット際の俺の方に迫ってくる。さっきからそれの繰り返し。向こうは、桜井じゃなくて深司に変わる事もあるけど。
 別にそのプレイ自体がいやなわけじゃなくて、深司や桜井が神尾のスピードを厄介だと思うのは当然だし、それ以外にも、不動峰きっての知性派プレイヤーのふたり(たぶん)の狙いがあるのは判ってる。
 判ってるんだけど……俺にはただひたすらボールを打ち返す事しかできないって言うか。祈る事しかできないって言うか。
 ぽすん。
 さみしい音が、ずっと繰り返されていた俺と桜井のラリーの終わりを告げる。俺が打ったボールがネットに引っかかったんだ。それでも勢いはあまり死ななくて、ゆっくりと転がっていく。
「15−0」
 多分気持ちは俺と同じな審判石田が、気まずそうにコール。
 ボールは神尾の足元まで転がってってしまったみたいで、神尾はボールを拾って、ぐっと握り締めた。
「さっきから俺だけボール打ってねえんだけど」
「さっきからって試合開始からまだ二分も経ってないぞ。ダブルスならそれもありだって」
「ねえよ!」
 相手がそれを狙えば、充分ありえるってば。
 やっぱり神尾のスピードは驚異的だしね。どこに落としても拾っちゃうから、神尾が拾えない隙を作るしかない。隙そのものとして俺を狙ったのか、こうやって神尾の頭に血を昇らせて隙を作る事を目的としているのかは判らないけど……俺が向こうに居ても、同じ事をしたと思うな。できなくても、同じ事を狙った。
「わざと俺をはずしてんだろ! ちゃんとこっちにもボール回せよ!」
「俺たちがどこにボール返そうと勝手だろ。なんでお前に指示されないといけないんだよ。練習とは言え試合なのにさ……お前がそんないかにも『ここにきたボールは俺が全部とる』みたいな顔してつったってるから、逆を狙ってるだけだろ……普通の試合なのになんでやらしいとか卑怯とか言われないといけないのかな……」
 それも作戦のうちなのか、それとも本気なのか、深司はぼやくし。
 神尾は頭にきたみたいで、手の中にあったボールを深司に投げつけた。
 サーブは桜井だから、返すなら桜井になんだけど……そんな事考えてなさそうだな。
「うだうだうるせー! 深司、次のプレイは正々堂々一騎打ちだ!」
 ばん!
 と効果音を背負ってるみたいに、びっと深司に指先を向けて、神尾は高らかに宣言する。
 神尾の視線に応えるように、深司はクールな視線を神尾に返す。
「ダブルスで一騎打ちってなんだよ。ありえないんだけど。どうしたらそんなに馬鹿になれるのかちょっと興味が沸くよなあ……」
 深司がそう返してくるのは、ごく当たり前の事だと思うんだけど、神尾はいっそう頭にきたのか、黙り込んでしまった。
 早々に諦めるのはどうかと思うけど、この試合、もう、ダメっぽいなあ……。
 橘さんがどんな目で俺たちを見ているのかを確認するのが怖くて、俺は振り返ることができなかった。


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テニスの王子様
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