兄貴は誰だ!?

 深司は値踏みするように俺たち全員を見回してから(もっとも、その視線に気付いていない奴の方が多かったけど)、どうやらターゲットを絞ったらしい。視線をもう一度アキラのところに戻して、名前を呼ぶ。
「神尾」
「あ?」
 振り返ったアキラの目の前に、深司は一枚の紙をつきつけた。
 深司の後ろに立っている俺の目には、先週終わったばかりの期末テストの、歴史の問題用紙に見える。けどたぶん、深司はそれをアキラに見せたいわけじゃないだろう。あの問題用紙は両面印刷じゃなかったから、裏は白紙(わら半紙だから白くないけどな)なんだ。
「なんだこれ」
 アキラは首を傾げる。アキラが何を見ているのか気になって、俺は深司の後ろからアキラの横に移動した。
 問題用紙の裏には、横長の長方形。下辺の真ん中あたりに、「自分」って書いてあって、長方形を囲むように、丸がいくつかある。
「この丸のところにさ」
「おう」
「異性の名前を思いつくまんま書けって言うんだけど、できる?」
「……なんでそんな事すんだ?」
 深司の意図が判らないままに、とりあえず問題用紙を受け取ったアキラ。俺と同じようにそれを覗き込んでいた石田は、「ああ!」と納得したように頷いている。
 荷物からシャーペンとりだして、壁に問題用紙を押し当てて、うんうん唸りながら考えているアキラを横目に、俺は石田の腕を引く。
「なんなんだ? アレ?」
「ん? 心理テストだよ。昨日テレビでやってた。見てないか?」
 見ねえよ、そんなもん。テレビついてても意識しねえ気がする。
 内村と森に視線を向けると、ふたりも首を振る。
 ああでも石田んちは妹居るからな。女子ってやたらそう言うの好きだから、妹に付き合ってテレビ見てやると、見ちまうのかもな。
 って事は深司も、妹の影響でそのテレビ見たんだろうか。自分から見てたらちょっと笑えるよな。
「どう言うテストだ?」
「どうしてそうなるのかはよく判らないけどさ、名前を書いた場所によって、その相手にどんな感情を抱いているかが判るんだってさ。ちなみに――」
 石田はちらり、とアキラの目の前にある問題用紙を見る。
 カリカリ、とシャーペンが動く音がして、さっそく一箇所が埋まっていた。
 書かれているのは当然、「杏ちゃん」だ。
「あそこが、恋人にしたい人」
 ……そうか。当たってるな、この心理テスト。
「深司のやつ、これネタにするつもりかな」
「ネタにするつもりだろうな」
 つまり、さっき深司が俺たちひとりひとりを見ていたのは、誰が一番ネタにしやすいか考えていたって事か?
 アキラに即決してくれてありがたいような、アキラが哀れなような。
 まあ俺も、その心理テスト知ってたら、アキラにやらせたかもしれねえな。
「なあ深司」
「なんだよ」
「俺、七人も女子の知り合い居ねえや」
 そんな悲しい事平然と言うなよ、アキラ。
 そう言う俺も、やれって言われたらクラスメイトの名前適当に入れてごまかすけどな。たぶん。
「お前の妹とか書いていいか?」
「……やだ」
 深司はむっつりした顔で、いつもより少し低い声で返す。
「妹使われて困るようなテストなのか? これ」
「うーん。兄弟にしたいとか親友にしたいとかは問題ないし、嫌いな人ってのもギリギリとして、結婚したいとかHの相性がいいとかに入れられたら、やっぱ兄貴としては複雑なんじゃないか?」
 そりゃそうだ。相手がアキラじゃな(すまん、アキラ)。
「じゃあむりだな!」
 アキラはまだ杏ちゃんの名前しか書いてないわら半紙を、さっさと深司に突っ返す。
 深司は心底不満そうな顔をしていた。そりゃそうだろう。アキラが杏ちゃんを好きな事なんて、誰の目から見ても明らかだから(?)、今更こんなもんだけ見せられてもネタにできやしねえしな。
「つまんないよなあ……せっかくこの俺がコミュニケーションを計ろうとしてやってるのに、アキラって友達がいのないヤツだよね。まあそうだと思ってたけどさ。あーあ……」
「な、なんだよ! じゃあてめーがやって見本みせてみろ……」
 ムキになって反論しようとするアキラの声を遮るように、ノックの音。
 瞬時にみんなが部室のドアを見ると、ドアの向こうから聞こえてきたのは杏ちゃんの声。
「着替えとかしてない? 入って大丈夫ー?」
「ああ、うん、大丈夫だよ」
「おじゃましまーっす!」
 杏ちゃんは元気よく挨拶して、ドアを開けて、部室の中を覗き込む。
 部室の隅から隅まで見渡して、残念そうに肩を落とす。
「お兄ちゃん、もう帰っちゃった?」
「いや、教室に忘れ物したから取りにかえるって」
「ふーん……」
 視線を泳がせた杏ちゃんの目に、アキラが深司の胸元に押しつけているわら半紙が映った。
「何してるの?」
 まあ、ちょっと気になるよな、確かにな。
「あ、いや、俺、よく判んねえんだけど」
 しどろもどろに答えるアキラ。何か思いついたのか、消しゴムを取り出して、アキラが書いた「杏ちゃん」って名前を綺麗に消し去る深司。
 間一髪で消えた所を覗き込んだ杏ちゃんの口のはしが、にっ、と持ち上がる。
「もしかして、心理テストとか?」
「ああ、うん、そうだけど」
「へー、おもしろそう! やってもいい? 答え知ってる?」
「うん」
「わーい、じゃあ今やっちゃお。ねね、これどうすればいいの?」
 深司から軽く説明を受けると、杏ちゃんはベンチに手持ちのバインダーをひいて、それを机代わりに挑戦しはじめる。少し悩みながら、でもさっきのアキラに比べればすらすらと、名前を書き込んでいく。
 つうか。
 ヘタなところに俺たちの名前が入ったら、ちょっと気まずいよな。いや、こんなん、百パーセントあたるもんじゃねえし、笑い飛ばせばすむけどよ。
 アキラが。
 アキラがな、かわいそうだろ。
「杏ちゃんが彼氏にしたいヤツ、誰だろーね」
「え!? あれってそう言う心理テストなのか!?」
「ま、あんまりアテにならないけど、名前入れてもらえたらちょっと嬉しいかもな」
「彼氏にしたい男のトコか?」
「いや、そこだけじゃないけど、やっぱり特別な感じするし」
「むしろ――」
 深司がそれだけ言って、黙りこむ。
 なんだよ。何か言いたい事あんのかよ。あんならはっきり言えよ、はっきり!
「兄弟の方が、凄くない?」
「え? そうか?」
 嫌いな奴の次くらいに、どうでもよさそうなポジションじゃねえか、それ。嫌いな奴との差が激しいけどな。
「杏ちゃんの兄弟だよ」
「ああ」
「それって橘さんって事だろ?」
『!!!』
 みんなが息を飲んで、杏ちゃんのシャーペンの動きを見守る。
 橘さんと同列扱い。
 確かに、確かにそれって、すげえ。
 この瞬間みんなが、彼氏とか、結婚相手とか、Hの相性がいい相手とか、どうでもいいと思ったに違いない。アキラですら。
「あそこに俺たちのうち誰かの名前書かれたら、そいつが次期部長な」
 よく考えると、じゃんけんよりもありえない決め方なんだが、
『おう!』
 全員が全員納得してしまった。橘さんパワーは伊達じゃない。
 次期部長はともかく兄弟にしたいって思われたら、すげえ、嬉しいよな。兄弟にしてほしい。
 全員が一丸となってそう願った瞬間、杏ちゃんのシャーペンが、動いた。
「ああ、桜井、おめでとう」
「え、俺、何だ!?」
「親友」
「……」
 いや、うん、まあ、それはそれで、嬉しいけどさ。嬉しいけどさ。くそっ。
 これで石田や森ならともかく、内村やアキラや深司が兄弟のところに名前書かれたら、俺、凹むかもしれねえな。
 杏ちゃん。兄弟のところに、誰の名前を書くつもりなんだ。
 あんな兄貴が居る杏ちゃんが望む兄貴は、誰だ!?
 杏ちゃんのシャーペンが、また動く。
 深司と石田の表情が強張ったから、そこが問題の「兄弟にしたい人」の名前を書くところだとすぐに判った。
 瞬きするのも忘れて、俺たち六人は杏ちゃんの手元をにらむように見つめて――。
『……』
 そりゃ、そうだよな。
 異性の名前を書けって、深司は言っただけだからな。杏ちゃんは悪くない。悪いのは期待しすぎた俺たちだ。ああそうだ。
 問題の箇所に書かれた、「お兄ちゃん」と言う文字に、俺たちは全員脱力して、その場に崩れ落ちた。


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テニスの王子様
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