羽根をもがれたチョウ

 クラスに何人か居る花粉症の連中が、こんな季節来なければいいんだって言ってたから、多分春先だったかな。
 道のすみっこでじたばたしているそれを最初に見つけたのは、たぶん俺だった。
 だけど俺は、それを見なかったふりをしようと思った。
 だって、どうしようもないしな。
 かわいそう、とは思った、正直。でも俺だって今よりもっとガキんころ、そう言う事したと思うし。だからひでえことしやがる、とか、言えなかったし。もちろん助けてやるなんてできないし。
「神尾? どうしたの――」
 それでも通りすがる瞬間まで目はそれを追ってたし、一瞬足を止めちまったし、だから俺の後ろを歩いていた森が、気付いちまった。
「あ、蝶だ」
 通りすぎようとした俺の気持ちなんてぜんぜん気付いてないんだろう、森はあっさり集団を抜け出して、目に止まったチョウのそばに近寄って、しゃがみこむ。
「羽根、片方なくなってるや」
 森が寂しそうに呟くと、石田が森に近寄る。しゃがみこむ事はしないで、全体的に体をかがめて、片方の羽根をもがれたチョウに視線を落とす。
 飛ぼうともがいて、飛べずに居る、チョウ。
「痛いかな」
「そりゃそうだろうな。近所の子供とかにむりやり引き千切られたんだろうし」
「死んじゃうかな」
「引き千切られたのが原因でかは判らないけど、このままじゃきっとな」
 たぶん、大切なのは、痛いとか痛くないとかじゃなくて。
「……そっか、もう、飛べないからね」
 もう一度森が寂しそうに呟いたけど、今度は誰も答えなかった。
 何も言いたい事がなかったわけじゃないけど、なんとなく、雰囲気的に言い辛くて、言える事がなかったと言うか。
「このままじゃ餓死するって事か?」
「そうでなくても、他の虫に食べられるかもしれないな」
「……どうしよう」
 どうしようもない事は、言ってる森だってきっと判ってる。
 犯人のガキ見つけたって、今更どうしようもないわけだし。通りすがりに見つけたチョウにそこまでしてやるのもなんかヘンだしな。死んでりゃ埋めてやりゃいいのかもしれないけど、まだ生きてるし。
 そんな風にみんな対応に困ってて、感覚的に(実際はどうだか判らない)長い時間沈黙が続いた後で、ザッ、と、地面を軽く蹴る音がする。
 全員が音がした方に振り返ると、動いたのは、先頭を歩いていた橘さんだった。
 何も言わずに橘さんは、森と石田の間に分け入って、優しくチョウを拾い上げる。そして、すぐそばにあった中途半端に手入れされている花壇の中の花の上に、ちょこん、って乗せてやった。
「あ、そっか。それなら、餓死は免れますかね」
「一時凌ぎにしかならんだろうがな」
 それで他の虫とか動物とかの脅威から免れたとは言えねえけど、この辺野良猫多いし。
 でも、やれるだけの事はやってやったんだって、なんかそんな感じでいい気持ちで満たされてた(やってやったのは橘さんだけどさ)。
「……行くか」
「はい!」
 橘さんの背中を追いかけながら俺たちは、見た目怖いけど、やっぱり橘さんは優しいんだよな、なんて目で語り合って、ほくそ笑んだ。

 幸せな気分だった。
 でも、今は、あの時かわいそうなチョウに目を止めた事、足を止めた事を、俺は後悔してる。
 あの日、あの時。
 橘さんはどんな気持ちで、チョウに手を差し伸べたんだろう。


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テニスの王子様
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