団体行動は普通人数が多ければ多いほど動きが遅くなるものだけれど、立海大付属中の面々は大人数である事を感じさせない、きびきびとした動作で全員が帰り支度を終え、歩き出していた。 英二や桃をはじめ、じゃれあって帰り支度どころじゃ無い部員が多いうちとは大違いだな。大会の余韻を味わう暇なんてなさそうだ。 いや、実際味わう気なんてないんだろう。彼らにとって終わった大会を振り返るよりもずっと大切な事がある事を、俺は知っている。手術に立ち会う事なんてできるわけもないけれど、できるだけそばに居て、部長のために祈りたい。その気持ちは痛いほど判るつもりだった。 「あ!」 頭を撫でると言うよりは抑えつけるようにして越前に絡んでいた英二が、突然越前を放り出し(おそらく越前は嬉しい気持ちが勝っているだろうけれど、けっこう失礼だよな)、走り出す。仲間たちの間を駆け抜ける英二の目に映るのは、立海大付属中のオレンジ色(と言っていいのか疑問なんだけど)。 「英二?」 軽く呼びとめてみても、英二は反応しない。あっと言う間に立海軍団の最後尾に追いついて、きょろきょろと見回しながら何か(誰か?)を探している。 特別な問題を起こす事は無いだろうけれど、立海のみんなは今急いで帰っているところだから、些細な事でも迷惑かもしれない。俺は英二を連れ戻そうと、英二の後を追った。 「えい――」 「いた! おーい、おーい、柳!」 英二の探し人の背が他のチームメイトよりも高かった事は、幸いだったのか。おそらく英二にとってはそうだけれど、当の柳にとっては違うだろう。あと、俺にとっても、かな。 柳は名前を呼ばれて立ち止まった。振り返って、自分を呼びとめた英二を胡散臭げに見つめる。いや、なんとなく胡散臭そうに見つめているように見えるんだけれど、彼は表情が読みにくいから、違うかもしれない。 一緒に歩いていた部員たちに先に行くように断わってから、柳は英二に声をかけた。 「何の用件だ」 静かに、簡潔に投げかけられた言葉は、若干責めているようにも思うんだけれど、 「いやさー、柳に聞きたい事あんだよねー」 英二はおかまいなしだ。きっと気付いていないんだろう。 「英二、彼らは急いでるんだから、邪魔をするわけには……それに聞きたい事があれば、青学の誰かに聞けばいいだろう」 「柳にしか判んないの! すぐすむって! 聞きたいの、ひとつだけだからさ」 柳はちらりと時計を見た。 「話は一分で終わらせてもらおうか」 「細かい事言うなよなー。ま、そゆとこ乾と気が合いそうだけどさ」 「五十五秒」 時計から目を反らそうとしない姿勢は、さすが立海のデータマンだ。 「あーもう! えっとさ、乾の弱点、知んない!?」 「……貞治の、弱点?」 少しだけ英二の話に興味をもったんだろうか。柳は時計から目を離して、英二の顔を凝視する。いや、たぶん、凝視してる。柳の表情は読みにくいから、違うかもしれない。 「聞いてどうする」 「俺らさー、乾のヤツにいっつも不味い汁とか飲まされてんの。だから一回くらい仕返ししてやりたいんだけどさ、汁だと俺らも苦しいし、他のがいいんだけど何が効果的なんかなーって。そーゆーの、幼なじみの柳のが詳しそうじゃん?」 「ふむ」 柳は腕を組んで、少し考え込んでいるみたいだ。 英二の子供っぽいし返し大作戦に付き合ってくれるなんて、優しい奴……でもあるんだろうけれど、それ以上に、見た目にそぐわず子供っぽいからなんじゃないかと思う。 いけないな。どうしても乾のイメージを重ねてしまうよ。 「嫌いな食べ物はないはずだ」 「うん、それはなんとなくそうだろうなーって思った。アイツが残してるの見た事ないもん!」 英二が嫌いなものを残しすぎなんだよ、と思ってしまう俺が悪いんだろうか。 「そうだな……やはりあれしかなかろう」 「アレ?」 「貞治は心霊ものには極端に弱い」 「しんれい? って、幽霊とかってコト?」 「そう言う事だな。昔から怪談話やホラースポットは確実に避けていた。テニスクラブ時代、帰りが遅くなった時だが、街灯で伸びた自分の影に怯えていた事があったほどだ」 柳が頷き、説明すると、英二の顔に笑みがひろがる。 「よっしゃ! あんがと、柳!」 英二はそう言って、柳に駆け寄ってきた時よりも軽やかなステップで、青学の輪の中に戻って行った。 まったく。 「時間取らせてすまなかった」 「気にするな。当初の予定を二十三秒ほど越えただけだ」 時計から目を離していただけで、時間はしっかり計っていたのか。さすがだな。 「では失礼する」 「ああ、ありがとう」 柳は軽く会釈をして、俺に背中を向けると、仲間たちを追って走っていく――その一瞬、かすかに見えたのは、口元に浮かぶ僅かな微笑。 良かった。途中で話を遮って、英二を無理矢理連れ戻さなくて。 柳は一分二十三秒と言う短い時間の中で、懐かしい思い出を蘇らせて、微笑む事ができたんだよな。 今の時間はきっと、彼にとって有意義な時間だったんだよな。 英二が手に入れた乾の弱点データを使うチャンスはすぐに訪れた。 心霊ネタとなるとやっぱり雰囲気が大事だから、明るいうちに部活が終わってしまう昼が長い夏では使いにくいだろうと思っていたけれど、合宿中なら必然的に夜まで乾と一緒に居られるからな。 どうするつもりなのか。面倒は起こさないでほしいと言うのが正直なところなんだけれど、英二の事だから、いきなり肝だめしとか言い出しそうだよなあ。できればもう少しソフトなところからはじめてほしいんだけど。 そんな事を考えながら空を見上げると、見慣れない数の星が輝いていて、その美しさについつい目を奪われてしまう。 違う、今はのんびり星を眺めていい時じゃないんだ。 「どうした大石。何か考え事か?」 「うわあ!」 ちょうど思考の中心に居たふたりのうちのひとりに突然声をかけられて、驚かない奴が居るわけがない。俺は悲鳴じみた声を上げてしまう。 「あ、いや、別に」 お前の事を考えていたんだよ、と言うのもどうかと思ったから、適当に話を濁した。 さて、どうしようか。 このまま消灯時間まで、英二と顔を合わせないで居てくれると助かるのだけれど。 「お、大石と乾、はっけ〜〜ん!」 俺の希望は残念ながらあっさり数秒で打ち砕けたみたいだ。 「あんさー、これから肝だめししようぜ! ってみんなで話してたんだけどさ! 桃とか六角の連中とか、もうやる気だぜ!」 しかも想像していた通りの最悪の展開だ。青学だけの集まりよりもノリがいい比率が高いから、余計にややこしい。 俺は勝ち誇った笑顔の英二を尻目に、乾の顔色を伺う。 乾も判りにくいけれど……喜んでいるようには到底思えない。 「悪いが俺は遠慮させてもらおう。思ったより疲れていてね。早々に休まなければ明日の練習に差し支えそうだ」 少しわざとらしいかもしれないけれど、さりげなく別の理由を立てて避けようとする様子はさすがだ、と思った。 まあ、「肝だめしは怖いからいやだ」なんて正直に言える中三男子はそう居ないよな。 「えー、乾、ノリわるー」 「合宿の本来の目的を忘れていないだけだよ」 くい、とメガネを直して、乾は逃げるように立ち去っていく。 しつこく追いかけようとする英二を、俺は必死で引き止めた。 「なんで止めるんだよー、大石!」 「ほら、み、みんな待ってるんだろ! 早く行こう」 「ちくしょー……あ、そだ、乾、ストップ!」 最後のあがきとばかりに英二が叫ぶと、さすがの乾も無視しきれなかったのか足を止める。 英二は真剣な表情で振り返る乾の足元を凝視して、ふるえた指で乾の背後を指し示した。 「やばいよ乾、そこ……!」 それは最後の悪あがきだったのかもしれないけれど、意外と演技派な英二のその言動は、苦手な人を怯えさせるには充分なんじゃないかと思えた。 乾の体が硬直する。 ひきつった表情で、ゆっくりすぎるくらいにゆっくりと振り返る。 してやったり、とばかりに英二の表情が緩んだその瞬間、 「ああ、本当だ」 乾はいつもののんびりとした口調で、突然そう言った。 「……え?」 「どうしました、こんなところで。何か辛い事でもあったんですか? ……ああ、そうですか。それはそれは……大丈夫ですよ。貴方のひ孫さんは、元気にしていますよ。すごいですね。古豪六角中のレギュラーを勤めるなんて、中々できる事じゃないですよ。え? ……はは、それほどでも……」 「ってか誰と話してんのいぬい!」 俺には(多分英二にも)独り言にしか聞えない乾の声を、英二は叫ぶ事で遮る。 乾は首を傾げながら英二を見下ろして、 「誰って、お前にも見えるんだろう?」 なんて、平然と言い放った。 「彼女は六角中の樹のひいお婆さんで、十五年前、樹が生まれる直前に亡くなったそうだ。今も地上を漂ってひ孫の元気な姿を見守っていると今……」 「聞こえるわけないだろーがー!!」 ストップウォッチを持っていなかったのが残念だな。 今、逃げる英二の走り去る速度は、絶対に英二の自己ベストを更新してただろうから。 木々の向こうに英二が姿を消すと、あたりは急に静かになる。残された俺は、乾に振り返って肩を竦めた。 「あんな風に英二をひっかけて。いつ柳と話し合う暇があったんだ」 乾は得意げにくい、とメガネを治した。 「お互い他校の選手のデータを持っているし、思考回路も似ていてね。このくらいの事なら必要ないよ」 って事は。 きっと、あの時柳が見せた笑顔は、懐かしさからついこぼれたものなんかではないんだろう、な。 かつての相棒としかけたいたずらの成功を予感して、ついついって事か。 「なんだ。思ったとおりじゃないか」 「何がだ?」 乾は不思議そうに俺に訊ねてくるので、俺はため息まじりに答えた。 「彼もお前と同じで、見た目にそぐわず子供っぽい所があるって事だよ」 |