俺の隣に座っていながら、俺の方をちらとも見ようとしないバネは、人生の転機にもで立たされたかのような真剣な眼差しでまっすぐ正面だけを見つめながら、突然言ったんだ。 「サエ。俺は、決めたぜ」 ぐっと握り締められた両手は、今日は特に暑くもないのに汗ばんでいるようで、それが彼の意思と言うかなんと言うかなものを物語っているようにも見える。 その様子からすると、バネの胸の内でもう決意されているだろう事は、俺や誰かが意見を口にした所で簡単には曲げられないんだろうな。 「一体何を?」 決意は固くとも、いや、固いからこそなのか、簡単には口にできないらしいバネに俺は訊ねる。口調こそ穏やかにしてみたけど、内心とっとと言えよ気になるじゃないか、って感じだな。どうせもったいぶるような事じゃないんだろうし。 「俺はもう二度と、ダビデにつっこまねえ」 「それは無理だろ」 「即答でそれかよ! ちょっとは考え込めよ!」 バネは勢いよく立ち上がり、俺にツッコミを入れた。 俺が何の反応もしないと、数秒して気まずくなったのか、立ち上がる勢いで倒れた椅子を起こしてもう一度腰をおろす。 だって。なあ。無理だろう。 バネに何があってどんな意図があってそんな決意をしたのか、俺には判らないけど……無理だろう。考え込む価値もない。 「じゃあ逆に聞くけど、バネは自分でそれができると思うのか?」 バネは少しだけ拗ねたような顔をした。 「……だからこうしてお前に相談してんだろ」 あれ、これって相談だったんだ。 今はじめて知ったよ。それを早く言ってくれないと。 「んー……そもそも、何でそんな無駄な決意をしたんだ?」 「無駄とか言うな」 バネは不満げに唸ってから、俺から目を反らして、また本気の眼差しで正面を見据える。 「前から薄々感付いてたんだけどよ、ダビデのおばさんの話聞いて間違いないって判ってな」 「うん」 「ダビデのヤツ、やっぱりどんどんバカになってるみたいでな……」 「バネが気にする事じゃないだろ。ダビデは元々バカなんだから」 「だから即答するなって! 少しは悩めって!」 「悩む価値のある事なら悩んでやるけどさ」 バネの決意への反応よりも更に悩む価値がないよな。これは。 しかしどんどんバカになるってのはどう言う事なのかな。口にするダジャレがどんどん低レベルになっているとかならそれは本当にバネが気にする事じゃないだろうけれど、ダビデのおばさんが気にしてるって事は、成績がどんどん落ちてるって事なんだろうか。 それも自主的に勉強しようとしないダビデが悪いんだろうとは思うけど、バネの強烈な蹴りを毎日間近で見ている身としてはな……確かに、ダビデの貴重な脳細胞がバネに破壊されているように思えない事もないな。 そこでツッコミを軽くしようと考えないですっぱりやめようと言う結論に辿り着くのが、バネらしいと言うか、バカらしいと言うか。 「無理だとは思うけど、俺なりにアドバイスをしてみるとだな」 「おう」 「極力ダビデのダジャレを聞き逃すんだ」 「……むずかしいな」 だろうな。 バネみたいな世話焼き人間には、ダビデの「俺のネタ聞いてくれオーラ」を無視するのは至難の技だよ。 「それでもうっかり聞いたしまった時はな、聞こえないふりをするんだ」 反応に困ったのか、バネは口を噤んで助けを求める視線で俺を見下ろす。 そんなに難しい事は言ってないと思うけどな……。 「聞こえてるんだけど聞こえてない事にしてしまう。つまり、無視するんだよ」 「んな事できるか!」 「即答するな。少しは悩め」 さっきまで人にさんざん注意しといて、自分でもやるのか。まったくしょうがないやつだな。 俺はため息を吐いて、立ち上がりながらバネの肩にぽん、と手を置く。 「とにかくツッコミをやめるのは無理だから、諦めた方がいい。ダビデを老後まで面倒までみてやるしかないな」 そっとバネの肩から手を離して、その場を立ち去ろうとバネに背を向けると、かすかに聞こえるくらいの声量でバネは呟いた。 「それこそ無理じゃねえか?」 そりゃそうだ。 次の日。 「おいダビデ! お前今日片付け当番だぞ!」 「今日は金曜日だから、片付けはできんよう……プッ」 「いいかげんにしろっつうの!」 ドカッ、とダビデの後頭部にバネの回し蹴りが思いきりヒットする。 昨日見せられた真剣な眼差しとか聞かされた決意とかはは一体なんだったのかって言うくらい、いつも通りの漫才だ。 ……老後の面倒、見る気になったんだろうか。 それもまたあいつららしくて、いいような気もするけど。 |