いつも君たちを想っているよ。 そばで応援する事はできないけれど。 苦労かけてごめんよ。 でも、俺が居なくても君たちならば大丈夫だと信じているから。 今まで口にしてきたそれらの言葉が真実である事は、誰よりも俺自身が知っていて、けれど自分が嘘吐きだと感じてしまうのは、言葉ではないある一点が偽りだからだ。 まだキャップを開けていないミネラルウォーターが、床の上を低く数回跳ねてから、ゆっくりと転がっていく。 それなりに勢い付いていた回転は、放っておいたらしばらくとまらなかっただろう。けれど、一メートルも進まないうちに障害物にあたり、動きを止めた。 「アンタ……」 自分の足に寄り添うペットボトルを拾い上げた赤也の声は、不安の色を隠しきれていない。 無理もない事だと思う。俺の手の中にあったものがいともあっさりと重力に引かれたとなれば、彼はあるひとつの事象を疑うだろう。そうではない事を知っているのは、今の所本人である俺だけだ。 「まだ大丈夫だよ。手を滑らせただけだ」 俺が言うと、赤也の表情に安堵が浮かんだ。彼はそれを隠しているつもりらしいけれど。 まだ大丈夫。 俺の右腕は、右腕に限らず体の隅々まで、俺の意思に従って自由に動く。 俺は赤也が差し出したペットボトルを受け取り、何のよどみもない動作でキャップを開け、ミネラルウォーターを喉に流し込んだ。その動作が、俺の言葉に偽りがなかった事を赤也に伝えると、赤也の顔に浮かぶ安堵の色はより濃くなった。 「明日は関東の二回戦と準決勝だね」 俺はベッドの横に置いてある卓上カレンダーに目を向ける。 「……はあ、そうッスね」 答える気があるのかないのか計りかねる、生返事。 「こんなところで油売ってないで、ゆっくり体を休ませて明日に備えた方がいいんじゃないか」 「たまには見舞いに行ったらどうだって言われたから来たのに、これだ。はいはい、判りましたよ」 ため息まじりに鼻で笑って、赤也はパイプ椅子を蹴り上げるように立ち上がると、傍らに置いてあった荷物を担ぎ上げた。 「明日、がんばれよ」 「言われなくてもがんばりますよ。アンタが帰ってくるまで、俺たちは負けられないそうで。ま、わざと負けようと思っても負けられないような雑魚ばっかりだけどな」 その時俺を睨みつけた赤也の瞳を見れば、今彼が乱暴な言葉で侮蔑した人々の中に、俺が含まれていないのは明らかだった。 明らかだからこそ。 「そう言うな。いつの時代も、油断が王者の足元をすくったんだ」 俺は再び「がんばれよ」と言って、微笑んだ。 「じゃ、帰るッス」 ふん、とすねたように唇を尖らせて、赤也は俺に背を向ける。 窓から射し込む光が、歩く赤也の影を赤く伸ばす。 俺の位置からは彼の背中しか見えないから、彼も俺の事をもう見ていないだろう。それは判っているのに俺は、微笑みを絶やせないでいる。 いつも君たちを想っているよ。そばで応援する事はできないけれど。 苦労かけてごめんよ。でも、俺が居なくても君たちならば大丈夫だと信じているから。 その気持ちに、嘘偽りなんてないと胸を張って言える。けれどその気持ちと一緒に、たくさんの感情があふれてる事は言えない。 たとえば今すぐ病院を出ていける君が、コートを駆け回れる君が、羨ましくて仕方がないなんて嫉妬とか。 いつこの腕や足が動かなくなるんだろうとか、病気が治って退院できたとしてもこの痩せ細った腕や足を鍛えなおすのにどれだけの時間がかかるんだろうとか、もっとも伸びるこの時期に練習を怠る事でもうみんなにおいつけないんじゃないだろうか、なんて不安とか。 それなのに俺は微笑み続けるんだ。何があっても笑い続ける舞台上のピエロのように。 「そんじゃ」 ねえ。俺は上手く、笑えているかな? なんて、聞けるわけもない。 「ああ、またな」 閉じられたドアと遠ざかる足音に、ひどく安堵する自分がひとり、逃れられない病室に取り残された。 |