そんなわけないだろ

 関東大会優勝と言う輝かしい結果に、青学の誰もが気分を昂揚させていた。
 閉会式を終え緊張した空気から解散すると、桃城や菊丸が優勝を決めた試合の勝者である越前に飛びつき、その三人を中心に、徐々に輪が広がっていく。
 大抵こう言うものは、元来陽気な人物や興奮度が高い者の方が積極的に動くものだ。つまり、俺や不二や大石が、輪の外側に追いやられてしまったのも、必然なのかもしれない。
 だからと言って俺たちが喜んでいないかと言えば、それは別問題だ。
「やったな」
「そうだね」
「試合前のデータでは、勝率は三パーセントに満たなかった。ほとんど奇跡に近いな」
 言いながら俺が奇跡の半分を担っただろう、試合前のデータがなかった男を見下ろしながら言うと、本人は俺の視線の意味を知ってか知らずか、いつも通りの優雅な笑顔で返してきた。
「だけど、これは現実だよ?」
「……そうだな」
 俺は少しずれた眼鏡を治す。
 不二は優雅な笑顔のままで視線を越前たちに向け、逆にそれまでずっと越前たちに視線をそそいでいた大石が、俺に振り返った。
「そうそう、試合が終わったら乾に言おうと思っていた事があったんだ。忘れてた」
 誰もが優勝の喜びに胸を膨らませて居る時に、一体何を話す事があると言うのだろう。
 不審に思ったのは俺だけではなく、不二もだったようで、不二は輪の中から大石にへと視線を移す。
「海堂がさ、乾の試合を見ながら言ってたんだ。乾は紛れもなくシングルスプレイヤーだ、ってさ」
「ほう」
「教えてやったら、きっと喜ぶだろうと思って」
 それは優勝の喜びを前にするにはあまりに些細な事かもしれない。しかしそんな些細な事さえ忘れないところが、大石が大石である所以なのかもしれないと思わせる。
 確かに、嬉しい事だな。シングルスプレイヤーだと認められた事も、海堂がそれを見極められるだけに成長していると言う事も。
「大石的には、その海堂の判断はどうなの?」
「どうって」
「僕はどうしても小学校時代の、土俵が違うせいで対戦しようにもできなかった頃のイメージが強いし、他のメンバーがメンバーなだけに、乾のダブルスは充分アリだと思うんだ。だから『紛れもない』シングルスプレイヤーか、と言われると、少し首を捻るんだけど」
 不二の見解は、反論の余地がないように俺には思えた。俺自身も不二とまったくの同意見、と言ってもいい。
 しかし大石は不二の意見を肯定するでなく、爽やかに柔らかく微笑んで、
「正直言って、『何を今更』って思った」
 あっさりとそう言ってのけたのだ。
 何を今更。を言う事は、大石はずっと前から俺の事をシングルスプレイヤーだと認めていた事になるが?
「今更……?」
「ほら、俺は一年の頃から、ダブルスで行くって決めていただろ。それで、できれば同学年からペアを組める相手が居たらなあって、探していたんだよ」
 そう言えば大石はあの頃、他人の試合を、あるいは対戦相手を、よく観察していたな。
 しかしほとんどの相手にはそれを悟らせなかった。さりげなくだった事もあるが、一番の理由は、俺がいいカモフラージュになっていたからだろう。俺に詳細なデータをとられている人間が、大石に多少観察されたところで、気になるわけもない。
「そんな俺が、ジュニアを牽引するほどの存在だったダブルスの片割れだった乾を見逃すわけがないだろ? でもすぐに気付いたよ。『ああ、乾は違うんだ』ってな」
「さすが、天性のダブルスプレイヤーだね。誰よりも早くその事実に気付くなんて」
「誰よりも早く? それは違うよ、不二」
 大石はそっと視線を巡らせる。
 視線はある一点で止まり、俺と不二は大石が眺める方向に振り返った。そこには準優勝である立海大付属のオレンジが溢れている。
 大石も、海堂も、気付いた。
 そして、あいつも。
「見限られたんだと思っていた」
 四年と二ヶ月と十五日前……いや、今日この日まで。心の片隅で、俺はそう思い続けてきた。
「そんなわけないだろ。それどころか、彼は最高のパートナーだった」
 叱りつけるような口調ではない。俺の思考をなぞるように言いながら、大石は笑う。
「ああ、そうだな」
 俺も笑ってそう返しながら、手の中にある分厚いノートを固く握り締めた。


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テニスの王子様
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