練習のあとに少しだけ時間をくれと橘さんに言われて、「嫌です」なんて応えるヤツが居るわけがない。 蒸し暑い部室の中。 ベンチの上から荷物をのけて、俺と森と深司が座って、あぶれた内村は床に座って、石田と桜井は立って、その場所から、ロッカーを背にして立つ橘さんを見上げる(石田だけ、見下ろしてる)。 「大した事ではないんだが……」 橘さんは俺たち全員を見回してから、口を開いた。 「俺たちは関東大会までコマを進める事ができたな」 『はい!』 「関東大会出場と言うのは、実績のないこの学校にとっては、歴史的快挙らしい。テニス部に係らずな」 『……はい』 言われてみれば、ウチの学校から大きな大会に出たって話を今まで聞いた事がない。去年はどの部も地区大会敗退だった気もするしな。 俺がこの学校に入ってからまだ一年とちょっとしかたってねえし、だからかなあと思っていたけど……昔っからずっとなわけだ。 「それで、どうしたんですか? 褒められたとか?」 石田が聞くと、橘さんはちょっと複雑そうに笑った。 「それもある。素直な賞賛とひねくれた賞賛、半々くらいだったが」 みんなちょっとビックリして、橘さんに返事ができなかった。 素直なのとひねくれたの、半々なのか。そんなにちゃんと褒めてくれた奴がいたのか。 ふん。今更俺らを認めたって、遅いっつうの。 「それからありがたくも、関東大会への準備金として、急遽部費が支給された訳だ」 今度は、もっと驚く。 それってのは、学校がわが俺たちを少しは認めたって事だ……よな? テニス部をつぶしたがってた教師連中とかが、どんな顔してその決定に従ったのかとか考えると、ざまあみろ! って感じで、すげえ気分がいい。 「じゃあ、コートの整備とかできるんですかね!? 大会ってほとんどクレイコートじゃないから、練習と本番とで調子が違って、やりにくいんですよね」 「痛んだネット、新しいのに変えられますか!?」 「なんか雨の日もちゃんと練習できるように、トレーニングマシンとか入れられたらカッコいいよな!」 「あとフェンスにもボールが通っちゃうくらいの穴あいてるんですよ! この間たまたまそこ通っちゃって、ボール拾いにいくの面倒だったから業者呼んで治してほしい!」 みんなが目をきらきらと輝かせて、希望と次々に橘さんに訴える。 「俺部室に冷蔵庫欲しいです! これから暑くなりますし、練習後に冷たいモンのみたいじゃないですか!」 「俺は部室にエアコンを入れてもらったほうがいいなあ……冷たい飲み物より、部屋自体が涼しい方が快適だしね……」 「なんだよ! 部室にエアコンなんて許されるわけねーだろ!」 「冷蔵庫も相当だと思うけどね……」 そうして今にも俺と深司の言い争いがはじまろうって時に、橘さんはごほん、とひとつ咳ばらい。 「あー、あのな」 それから少し申し訳なさそうに口を開いて、 「それほどの大金は出ていない。一万程度だ」 重い口ぶりで、それだけ言った。 一万。 一万……。 ……一万かあ……。 どれだけ金がかかんのかとかよくわかんねーけど、ま、コートの整備は無理だよな。ネットもなんとなく、無理そうだよな。トレーニングマシンも、たぶん、安物のルームランナーがせいぜいだよな(そんなもんいらねえ)。フェンスの補修も……きっと。 「一万でどのくらいの事できるんですかね」 「……俺もボールの新調くらいしか考えつかなくてな。いい案が出ればと思ったんだが」 みんながみんな、そこで考えこんで、部室の中がしーんと静まりかえった。 ボールの新調も、悪くはないよな。かなりボロくなったやつ、まだ使ってるし。数が増えれば、フェンスの向こうまで飛んでったボールをすぐに拾いにいかなくてもすむし。 でもせっかくだしな。それじゃあつまんない気もする。 「いっそ練習とか大会とかのあとにみんなでアイス食うとか。あとにごほうびがあると気合入るし」 「あー、いいなー。暑いもんなー」 「百円アイスなら十回以上食べられるね」 「五十円なら何回だろう」 たぶん、みんな、暑かったんだな。 ぼんやりと口にした俺の意見に、ぼんやり乗っちまうくらいには。 「ふむ」 橘さんは納得したように頷いた。 え? なんだ、橘さんも、アイスに賛成ですか!? 俺たちが期待を込めた目で橘さんをじっと見ていると、 「じゃあ準備金ではボールを買うか」 橘さんはにこやかな笑顔で、そうきっぱり言い切った。 反論なんて、誰にもできなかった。 |