猫や犬じゃないんだから、首根っこ引っ掴んで連行するのってどうかと思うんだけど、南はいつもそうして俺をテニスコートまで連れていく。あ、俺が部活をサボろうとして、逃げきる前に南に捕まっちゃう時ね。あたりまえだけど、ちゃんと部活に出た時や上手く逃げきった時はそんな事にはならない。 「南ー、勘弁してよー。今日、俺、絶対見に行かないといけないのがあるんだよ!」 俺の位置からじゃ背中しか見えない南に懇願してみたけど、南は振り返ってもくれないんだよね。 「どこぞの女テニの練習試合でもあんのか」 「あれ? なんで判んの? さては南もチェック入れてたでしょ? 俺青学の女テニのウェア、好きなんだよね〜。女のコもかわいいし」 「……マジなのかよ」 南はため息まじりにそう言って、足を止めたかと思うと俺から手を離して、振り返る。 いつものガミガミ怒ってる感じじゃなくて、ちょっと寂しそうな感じの怒り方。 「お前、エースなんだから、もうちょっと真面目にやってくれないか」 静かな怒りがこもってる感じで、ああ、南ってばとっとマジなんだなあと思わない事もなかったけど。 「それはエース差別じゃないかなあ」 俺がそう返すと、南は何も返せなくなったみたいで、黙り込む。もともと南ってヤツは、エースの俺だけに何かと負担がかかる事を気にするような奴だし。 でもま、エースが部の雰囲気を左右するってのは現実だから、部長サンとしては悩むトコだよねえ。俺と部員を計りにかけてるみたいなもんだ。そんな深刻に悩む事じゃないとは思うけど、それを悩んじゃうのが南ってヤツだし。 「たまには息抜きさせてよ。練習ばっかじゃ俺、テニス嫌いになっちゃいそう」 にひ、と笑ってとどめとばかりに言ってみれば、南はすごく驚いた顔しちゃって。 ……あれ? おっかしいなあ。ここは「馬鹿な事言ってんな!」って怒るトコだったはずなんだけど。「たまにじゃなくていつもだろ!」とかさ。 「そっか。じゃあ、しょうがないよな……」 南は寂しそうに呟いて、困ってるのかな、なんか頬のあたりをちょっとかいて、「じゃあな」って小さく言って、俺に背中を向ける。 あれ? あれ? あれ? 「南、え? な、なんで!」 今度は俺が驚く番。 早歩きで立ち去ろうとする南をなんとか呼び止める俺の顔はたぶん、ものすごくヘンな顔をしてる。 呼び止めると、南は気まずそうに振り返った。 「え? あの、俺、練習……行かなくていい、の、かな?」 普段なら「いいわけねーだろ!」と怒鳴られてげんこついっこくらいもらいそうな事を聞いてみても、南は戸惑うだけで、こっちは余計に戸惑っちゃうって。 「そりゃ、来てほしいけど……嫌いになられても、困るし、な」 「何を」 「だから、テニス」 それ以上何も言う事はないとでも言いたげに、南はまた歩き出した。 すぐそこにある角を曲がって、トントントン、とリズミカルに階段を降りる音。 俺は衝動的に駆け出して、前を行く南の姿を視界に入れる。 「南!」 すでに踊場まで降りていた南はゆっくりと、俺を見上げた。 イロイロと言うべき事はあったんだよ。そんな本気にとらないでよとか、やっぱ俺今日練習行くよとか、練習サボれてラッキ〜とか。なんでもいいからいつもみたいに軽く言っちゃえばよかったんだと思うんだよ。 「南は」 けど、いつもみたいな言葉はぜんぜん出てこなくって。 「練習ばっかで、テニスもうイヤだな〜とか、思った事ないの?」 こんな事、本当に聞きたかったのか判らない。たぶん俺はものすごく混乱していて、つい口についちゃったんだ。 俺とはまるで正反対。南は落ち着いた感じの微笑みで、俺を見上げて、言う。 「好きだから練習すんだよ、俺は」 南が素直な気持ちをただ口にしただけだって、そんな事は判ってて、けど俺はその言葉が、すごく胸に痛かったんだ。 だから今も、痛いよ。 たぶん俺なんかよりずっと練習して、ずっとテニスの事ばっかり考えてるような南が、ううん、南と東方が、かな。とにかく、そんな奴が重ねてきた努力が結果に現れないのは、すごく悲しい現実な気がして。 そんなに南と東方だけじゃなくて対戦相手もなんだとか、言われちゃうと何の反論もできないんだけど、俺の目には対戦相手の努力とかぜんぜん映ってないわけだし、だから。 目の前のベンチに腰かけた、ふたつならんだ大きな背中にがば、って飛びつきたくなっちゃうじゃん。 「うわっ、千石! いきなり飛びつくな!」 「暑苦しいから離れろよ」 何でこいつら平気な顔してんだろ。 伴爺の試合後のアドバイスとかしっかり受けとめて真面目に反省とかしちゃってさ。明日からはどんな練習しようとか真面目に話し合っちゃったりしてさ。 泣いてもいいのに。 その権利が、ふたりにはあんのに。俺なんかと違ってさ。 「いーじゃん。ラッキー千石の愛の抱擁よ」 「いらねえお前の愛なんて」 「抱擁はもっといらないよな」 「そんな冷たい事言わないでよ〜」 でもさ、泣かない、泣けないふたりだから、俺はふたりにこうやって飛びつきたくなるわけさ。 |