その未来は今

 八月の太陽と湿気は息苦しいくらいに俺たちを責めたてる。
 陽射しが避けられる休憩所は少なかったけれど、広い会場には人工的に整えられた緑があちこちで繁っていて、俺たちみたいなたった八人きりの団体が日影を手に入れるのはそう難しくない。
 難しくはないけれど、日影に入ったからと言って涼しくなるかと言うと、それはまた別の話だ。ときどき風が吹き込んでくれてようやく、ちょっと涼しいと思えるくらい。
「暑いな」
 誰かが無意識に呟いた言葉に、無視するにしろ「そうだな」って同意するにしろ、やっぱりみんな無意識だった。暑いとか眩しいとか言った事に、俺たちは意識を向ける事ができないでいたんだ。
 みんな見ているところは同じだった。細かく言うなら、広い意味では同じだった、と言うべきだろうか。
 俺はこれから自分たちが座るベンチのあたりを見ていたし、ダブルス2で最初の試合になる内村と森は、すでにベンチに入っている相手チームをじっと見ている。深司はコートの真ん中を。俺よりも前に立っている他の三人はどこを見ているかは判らないけれど、「俺たちの第一試合で使うコート」を見ているのは間違いなかった。
 内村や森をはじめ、その会場自体に意識を向けている奴も居るだろう。けれど俺はそうではなくて、もう一年近く前になろうとしている日の事を思い出すので精一杯だった。この会場に足を踏み入れた時、開会式。思い出す機会は他にもあったけれど、やっぱり今この時が一番相応しい。

 あの日は、衣替えは終わっていたけれど、やっぱり暑い日だった。
 学ランなんてきっちり着込んだら暑いし息苦しいし、いつもはみんなボタンのひとつやふたつはずしていたけれど、その時だけは首まできっちりしめていた。いつもなら汚れとかシワとかもあんまり気にしないけど、その日はみんなちょっと気にして、手ではたいてみたりとかして。やっぱり校長室ともなると、しかもお願いをしに行くとなると、きちんとしてないと駄目かなとか、ちょっと緊張するからな。
 それで、頼もしい背中を一番前に、俺たち七人で色々話しながら歩いていた時に、橘さんは言ったんだ。
「狙うぞ、全国」
 ホントの事を言えば、俺たちはその時までは、そこまででっかい夢を抱いてたわけじゃないと思う。俺たちの方が明らかに上手いしまじめに練習する気あるんだから、学年が上なだけで何もできない、何もやろうとしない連中より、俺たちを試合出せよとか、そんくらいの気持ちだった。少なくとも俺は。
 だから俺は、新テニス部の申請書を校長が受け取ってくれるかなって事しか考えてなかったから、橘さんがそう言い出した時とても驚いて、驚いたけど、腰が引けるとか事はなかったな。
 そうできたらいいなと。
 そうしたいなと、本気で思ったんだ。
 気付けば拳を握りしめていて、それはみんなも同じだった。一番小さい内村は精一杯、一番でっかい石田はそれなりに拳を振り上げて、
「行こうぜ全国――」
 みんなで誓いあった。
 七人とも、同じ未来を夢見ていた。

 その未来は今、ここにあるんだ。
 諦めずに走り続けて、戦い続けて、俺たちはようやくここまでやってきたんだ。
「行くぞ」
 橘さんの力強い声。
『はい!』
 振り返った橘さんはとても眩しかったけれど、俺たちは誰ひとり目を反らさずに、力強く答える。
 行きましょう。もっともっと先へ。
 あの時夢見た未来が今なら、また新しい未来を目指して。


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テニスの王子様
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