一週間も前の事なんて、あんまり覚えてない。 だからふたつに折りたたまれた白い紙が、滅多に開かない理科の資料集に挟まれている事に気付いた時は、ものすげー焦った。いや、焦るのを通り越して、なんで俺こんなトコに挟んだんだろうってのんびり考えちまったんだけどな。 進路志望調査表、って書いてある。 まだ二年の春だってのになんでもうそんな事考えなきゃなんねーんだよとか思う。先の事なんて全然考えてないっつの。目の前の都大会、それから関東、全国の事で精一杯だ。 「よっ、アキラ!」 一文字も埋められそうにないそれを眺めつつ、部室に向けて歩いてたら、後ろから走ってくる内村が、俺を追い越しつつ俺の頭を軽く殴る。 「いてーな! バカになったらどうしてくれんだよ!」 「それ以上ならないから安心しろよ」 っかー、むかつく! なんだよコイツ! 「何見てんだよ。また宿題解けないのか?」 本当の事とは言え、またとか言うな! チクショー! 「違うって。明日提出期限の進路調査、まだ何も書いてなくてよー。何書けばいいんだこんなの」 「お前まだ出してなかったのかよ!」 内村が得意げに笑って、俺を見上げながらなんだか見下したような目、してやがる。 え? なんだこいつ。もしかしてちゃんと書いて出したのか? こんな顔してあんなヒデー成績しときながら、生意気にも進路とか決めてんのか? やっべえ。俺、かなりピンチじゃねえの? 「あー……お前、何て書いたんだ?」 俺が小声でボソボソと聞いてみると、内村はにやり、と得意げに笑った。 「『教えてください内村様』、って言ったら教えてやる」 「てめぇ調子に乗るのもいいかげんにしろよコノヤロー」 俺ががしっと内村の頭を両手で抑えこむと、内村は俺の胸倉を掴んだ。 お互い顔近付けて、睨み合う。 先に手を出したのは内村の方だ。内村が俺の頬を掴んで引っ張りやがるから、俺も負けてられねえ。内村の耳を引っ張ったりしてみたら、こいつ、俺の脛蹴りやがったんだ! 「おっまえなぁ〜!」 同じトコ蹴り返してもこいつちっこくてちょこまかしてるから避けられるだろうと、足を思いっきり踏みつけてやったところで、 「ほら、そこまでにしておけ」 俺たちの間に大きな手が入りこんできて、俺たちを引き剥がす。 「た……」 「橘さん!」 あ、このやろ内村! 俺の声かき消しやがって! 「道の真ん中で小学生みたいな喧嘩するな。邪魔だろうが」 「はい。すみません」 「すんません……」 「それで? どんな理由で喧嘩したんだ」 橘さんは腕を組んで、俺たちの顔を見比べる。 別に怒っているわけではないと思うけど、ちょっと詰問調で、逃げられない感じだよなあ。 「えーっと、進路の事で」 「進路?」 なんか全部本当の事を言うのも恥ずかしかったし、あたりさわりのないとこだけ言ってみたら、橘さんの顔付きがいっそう真剣になる。 あ、やべ。確かに進路の事なんて言ったらすっげー重要なテーマで喧嘩したっぽい。 「あ、いえ別に進路の事って言ってもそんな難しい事じゃなくて……ただ、これがその、埋められなくて、ですね」 俺は真っ白な進路調査表を橘さんに見せてみた。 書くとこなんてすげー少ねえの。進学か就職か丸して、進学ならどの高校か、就職ならどんな職種かを書くだけって、それだけのやつ。 こんなのも自分でなんとかできないなんて情けない奴だって、笑われるのだけはなんか、イヤだよなあとか。 「迷ってるのか?」 迷ってるっつうか。 何も考えてないだけっつうか。 「その……決めないとダメなんですかね」 「そりゃあ、いつかは決めないと駄目だろうが」 まあ、そりゃ、そうだよな。俺の聞き方が悪かったです。 「なんつうか、何も考えてないのは俺が悪いのかもしれませんけど、それ今日の朝発見して、一応それからちょっとは考えてみたんですけど、全然決まらないんですよ」 「一日で簡単に決める事でもないだろうからな」 まあ、そりゃ、そうですけど。 一週間もほっといた俺が悪いんですけど。 「なんか、なんつうか、突然知らない街の十字路の真ん中に放りこまれたような、そんな感じで」 俺はバカだけど。バカなりに一応考えてみようかなとか思ったからよ。 先の事とか、こんなに一生懸命考えてみたけど、何にも考え付かなくてよ。 俺だけかな。 先に続く道がいっぱいあって、どこに行っていいか判らなくて、不安になっちまったの。 「それは、すごいな」 なんですか橘さん。俺のことすっげーバカだって思ってるんですか。確かに俺はすっげーバカですけど。 「そんなに沢山の道が目の前に広がっているとは、羨ましいくらいだな」 どんな気持ちで橘さんがそんな事言ってるのか、俺にはよく判らなかった。 けど、橘さんは優しく笑ってるから、俺をバカにしてるわけじゃないと思う。どっちかって言うと、褒めてくれているような……。 なんでだ? よく判らないけど、なんか……。 いいのかな。 十字路の真ん中で、どこに行こうか迷っているくらいでも。 「まだ二年の最初の調査だろう。迷っているだの未定だのと書いて出しても、問題無いんじゃないか。もう少しココロに余裕ができた時に、ゆっくり考えればいいさ」 橘さんは一瞬、ぽんって俺の頭に手を置いて、そんで俺と内村の背中を押して、部室へ歩き出す。 「普通そうっすよね。こんなに無駄に悩んでるの、アキラくらいですよ」 したら、内村のヤツけらけら笑いながら、そんな事言い出しやがって。 「え!? そうなのか!?」 「さすがに進学に丸をつけるくらいはしたけどな。志望校まではっきり書けるヤツなんて中学受験に失敗してウチに来たヤツらくらいだっての!」 って事は。 こいつ、進学に丸つけただけなんてコトを、あんなもったいぶってやがったのか! 何が内村様だ! 「てめーこのヤロウ!」 俺は内村に掴みかかろうとしたけれど、橘さんに寸でのところで引きとめられる。 「神尾も内村も、喧嘩してる暇があったら進路のひとつでも悩んでおけ」 なんて言われてため息吐かれちゃあ、な。 さすがの俺たちもそれ以上ケンカなんてできなかったさ。 |