ロード・オブ・ザ・リング

 春の陽射しがカーテンの隙間から降り注いでいた。
 その光は優しく温いものだったが、本を読むにはいささか眩しい。カーテンを閉めようかと、読みかけの本を置き去りに立ち上がろうとした瞬間、光は突如遮断された。
 立ち上がらずに振り返れば、窓際にはひとりの男が立っている。その人物の手によって、中途半端だったカーテンはしっかりと閉じられ、室内に太陽光が呼び込まれなくなったのだ。
「大石……」
「あれ。眩しいかと思ったんだけど、開けておいた方が良かったか?」
 大石の気が効くのはいつもの事だ。だと言うのに、毎度新鮮な驚きがある。それは俺だけなのかもしれないが――どうしてこの男はいつもこうなのだろうか。
「いや、ありがとう」
 俺が簡素な礼を述べると、大石は満足そうに頷き、微笑む。そして静かに俺が座る机に歩みより、俺の前の席につき、手にしていた文庫の表紙を開く。
「読書か?」
 ここが図書室である事を考えれば、読書と言うのはごく当たり前の選択なのだが、妙に違和感を覚えた。それは今まで大石が、俺と共に図書室に居て、読書をしている事はほとんどなかったからだろう。読書をする時は自室か、ひとりで図書室、あるいは図書館に居る時だと思っていたが。
「うん。昨日映画を見てさ。中途半端なところで終わってて続きが気になったから、原作を読んでみようかなと思ってね」
 大石が手にしていた本は、つい先週日本で映画公開がはじまったばかりの大作映画の原作本だった。俺も内容を知らないためにはっきりとは言えないが、映画にしろ本にしろ、大石が興味を持ちそうにはないように思える。
 菊丸か、不二あたりの可能性も捨てきれないが、おそらくは誰かに誘われて観に行ったのだろう。
「手塚は見たり読んだりした事あるかい?」
「いや」
「だと思った。ファンタジーって、お前や俺にはあまり縁がないよな。正直言ってそれほど期待していなかったんだけどさ、見てみたらすごくおもしろかったよ。世界観や種族はどうあれ、色々な人の生き様に心が動かされるのは、同じだった」
 大石は何を思ったのか、先ほど開いたばかりの表紙を閉じた。
 じっと表紙を、まるで睨みつけるように眺めてから、顔を上げて俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「おもしろかったけれど――なんだか悔しかったな。腹が立ったと言うか」
 あまりに感覚的すぎる感想に、さすがの俺も大石が手にする物語に興味を抱いた。
 この温厚な人間の代表格とも言える男を悔しがらせ、腹を立てさせる物語とは、一体どんな話だと言うのか。
「あまりファンタジーってよく判らないから、ちょっと理解し辛い所もあったんだけど、主人公がとてつもない重荷を背負ったって事はさすがに判ってさ。彼には頼もしい仲間が居たけれど、その頼もしい仲間をも惑わす力があって――主人公はさ、ひとりで旅立つ事を決めるんだよ。いつでも自分を助けてくれた、自分と一緒に居てくれた友達とも離れる決意をして」
 聞く限り、それほど悔しい話でも腹が立つ話でもないように思えるのだが。
「それで思ったんだ。そう言う展開になったら、お前も絶対ひとりで行くんだろうなって」
 そこまで言葉を紡いだところで、ようやく大石が伝えようとしている事を理解する事ができた。
「……間違いないだろうな」
「だろう? ほら、やっぱりだ! 絶対お前はそうなんだよ」
 はっきりとは言えないが、おそらく、たとえば大石がその主人公とやらと同じ立場で、その主人公と同じ選択をした時、俺は悔しいと思うかもしれない。
 ならば、俺がその主人公と同じ立場で、主人公と同じ選択をしたら、大石は悔しくて腹が立つ、と言う事だろうか。
「でもな、主人公の一番仲の良い友達が、主人公がひとりで旅立とうとする事に気付いて、追いかけて行ったんだ。俺はそれにすごく救われた。だから俺も絶対、お前がひとりで旅立とうとしたらそれに気付いて追いかけてってやるって、そう思ったんだ」
「……そうか」
「ああ。覚悟しておけよ?」
 俺は大石とは違って、物語を読む時に登場人物に同調する気持ちが強くはない。その時主人公が何と感じているか、などをあまり考えようとした事がないし、考えたとしても的外れな答えを出す可能性が高い。
 だから、はっきりとは言えないが。
「追い着いて、ふたりはどうなったんだ?」
「第二部に続くんだそうだ。気になるだろ?」
「……確かにな」
「だからどうしても確かめたくてさ、原作を読む事にしたんだ。追い着いてふたりで旅を続ける事で、いい方に話が転がってるといいなあ」 
 ふたりで居る事で苦難が増えるか減るか、それは物語を読んでみなければ判らないが、おそらく主人公は幸福だろう。物語を全部読み終えた時、「ほら見ろ!」とでも言いながら勝ち誇った笑顔で報告にくる大石が目に見えるようだ。
 その日が来れば良いと、思わない事もない。


お題
テニスの王子様
トップ