貴方のようになりたかった

「昼間はメールありがとうな。みんな気合が入ったよ」
 俺が簡潔に感謝の気持ちを伝えると、電話の向こうの人物は少しだけ間をあけてから、
『……そうか』
 いかにも彼らしいと言える短い返事を返してくれた。
 その声は発せられる場所が遠い事を除けばまったくいつも通りで、とても中学生とは思えない落ち着きがある。九州でも相変わらずなんだろうなと思うと少しおかしくて、俺はついつい笑ってしまった。声は出さなかったから、手塚には気付かれていないと思うけど。
「おかげでみんな調子が良くてさ。準決勝はあの古豪六角中を抑えられたよ」
 俺は手書きで結果が書き加えられたトーナメント表に視線を送る。
 青学対六角中の反対側の準決勝の結果は、とても酷な言い方になるけれど、ほとんどの人が予想した通りの結果が刻まれていた。俺自身もその「ほとんどの人」の中に含まれているわけだけれど、それでも彼らの実力を目の前にし、ダークホースと言われ続けた彼らの活躍を身近で聞いていたから、もしかしたらと思わない事もなかった。
「来週は」
 言葉が上手く出てこないのは、なんでだろうな。
「立海大付属中との決勝戦だ」
 少し長い沈黙。
『……そうか』
 彼は再び、同じ言葉を口にする。
 それがとても悲しい声に聞こえたのは、きっと手塚のせいではない。俺が勝手に、手塚の声の中に自分の気持ちを反映させていたんだ。

 次の日の昼に俺が図書室に行ったのは、特に何かを探しに来たわけではなくて、なんとなく、静かにしなければならないその空間に居たかったのかもしれない。
 だからって誰にも話しかけられたくなかったわけでも、静かなところで考えを深めたかったわけでもない。そんな事がしたいのならば家に帰った方が効率的だ。ここには図書委員の越前が居るかもしれないし、何か調べものをしている乾が居るかもしれないからな。
 なんだろう。よく判らないけれど……気分転換みたいなものなのかな。
 特にあてもなく本棚を見て回る。日本だけでなく世界中の、いわゆる名作と名高い文学。過去の偉人の伝記、図鑑、辞書。あらゆるスポーツのルールブック。
 たくさんの本の間をすり抜けて辿り着いた棚は、長い青春学園の歴史を感じさせる棚だった。
 何十冊も連なる卒業文集と、卒業文集に比べると冊数が少ない、けれどやっぱり何十冊も連なる卒業アルバム。一番新しいものは四ヶ月前に追加されたものでまだ新品だけれど、古いものは触るのも怖いほどボロボロだ。
 あと八ヶ月くらいで、俺たちの年のものもここに足されるんだな。
 そう思ったら少し気になって、一番新しいアルバムに手を触れて――俺はすぐにそこから手を離し、一年だけ古いアルバムを手に取る。
 あの人は、何組だったっけ。
 少し考えてみても思い出せなかったから、十二クラス分の写真を一気に飛ばして、部活動ごとの写真が乗っているページまで飛ぶ。名門テニス部の写真は、その中で一番上にあった。
 中心に立つ人の姿を目にすると、急に緊張が安らいだような、そんな気持ちになる。
 自分が無意識にふっと口元を綻ばせていた事に気付いて、俺は目を伏せて――急に、何とも言えない想いに急かされて、たまらなくなった。
「貴方なら」
 貴方なら、どうしましたか。
 二年前の写真に問いを投げかけたところでどうしようもない。だから俺は言葉を飲みこむ。
 記憶の中のこの人と同い年になっても、追い着けたような気がしない今、この人だったらあの時もっとも正しい選択を迷わず選べたんじゃないかと思ってしまう。
 そうしたら、彼が現実を淡々と受けとめた言葉に、悲しみを感じるような状況にはならずにすんだかもしれない。今の俺も、こんな行き場のない思いを抱えず、写真の中のこの人のように微笑み続けていられたかもしれない。
「大和先輩、俺は」
 俺は、皆のために戦い続ける強さを持ち、代わりに自分を守る術を知らない不器用な友人を、守ってやれる人間になりたかった。
 それはきっと、貴方のような人なんでしょうね。


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テニスの王子様
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