3秒数えて

「じゃあな、南。また明日」
「おう」
 部活のあとにした伴爺との打合せは、ほんの十分くらいだ。
 終わってから部室に向かってみれば、ちょうど出てきた東方とはちあわせた。お互いに軽く声かけて、軽く手を振って、すれ違う。
 あと片付けをしている一年の姿はコートの中に半分くらい。ボールのカゴとか用具がほとんど消えてるから、他の半分は倉庫の方に向かってるんだろう。
 東方は割と最後の方に帰るから、じゃあ今は、部室にはほとんど誰もいないのかもしれない。これから一年(や俺)が入って来るから電気こそつけっぱなしだが、しんと静まりかえった空気が人の気配の無さを物語っている。
 ふう、と脱力して部室のドアを開ける俺。
 その一瞬後、伴爺の椅子に体育座りで座って(靴ちゃんとは脱いでいた)、こっちを見ながらにたにた笑う千石が目に入る。
「……さて、一年の様子でも見に行くか……」
「南くーん? なんで逃げるのかな〜?」
 嫌な予感がするからに決まってるだろうが。
 なんて反論する隙を与えないくらいに、千石の目がまっすぐに俺を見る。その視線にはなんか妙な力があるんだろうか。俺は何となく逃げ損ねて、スニーカー履いて俺のそばまで近付いてきた千石に肩を掴まれた。
「ちょっとこの後、付き合ってよ」
「なんで」
「なんでも。着替えてからでもそのままでもいいけど、どっちがいい?」
「……じゃあ、このままで」
 千石のにたにたした笑いに、俺はものすごく嫌な予感がして、うっかり服が汚れるような事になっても洗濯しやすいウェアの方を犠牲にする事にした。ロッカーには一ヶ月前に洗濯してもらって持ってきてから使ってない部活ジャージ、入りっぱなしだしな。
「よし!」
 何、気合入れてんだよ。お前。
 俺の不安にこれっぽっちも気付いていないんだろう千石は、俺の腕をがっちり掴んで校舎の方に走り出す。俺はもうどうにでもなれって気分で、千石に着いていくしかなかった。

 連れていかれたのは調理室。
 家庭科の授業でもないかぎりまるっきり縁のなさそうなここに(もちろん俺もだけど)、一体何の用があるってんだか。
「はい、南はここ座って」
「……ああ」
「ちょっと待ってて。あ、どうせだから、目、瞑っててよ」
 ものすごく。ものすごく、嫌だ。
 って気持ちがうっかり顔に出ちまったのか、千石が俺を見下ろして不満そうにため息を吐く。
「何でそんなに俺の事疑うのさ」
「自分の胸に聞いてみろよ」
「まあそれはともかく、絶対、目、閉じててね」
 思いっきり話ごまかしやがって。
 でも今日の俺は何となく、いつもより少しだけ心が広かったから、いつもこうして騙されている事を判っていても、おとなしく従ってやる事にした。
 目を閉じると、世界が暗くなる。
 ぱたぱたと小走りで遠ざかる千石の足音。がちゃっ、と、ドアを開ける音。調理室の入口は引き戸だから、準備室へのドアを開けたんだろうか。
 少しだけ間を開けて、またドアが開く。遠ざかる時よりこころもちゆっくりめな足音が近付いてくる。
「三秒!」
「へ?」
「三秒数えてから、目、開けて。三、二、イチ!」
 ゆっくりを目を開いた。
 普段はあまり感じた事もないけれど、電気の明りがまぶしく感じる。
 それから俺の目の前にはでっかい――家族みんなで食べるくらいの――ケーキがどん、と置いてあった。
「……なんだコレ」
「見てわかんない? ケーキだけど」
 思わず口にした質問に、千石は俺の正面に座りながら、ごく普通な答えを返してくれた。
「いや、それは判るけど」
「昼休みに抜け出して買ってきたんだ。放課後まではともかく、部活のあとまでドライアイスもたないし、センセーに頼んだら調理準備室の冷蔵庫なら貸してくれるって言うからさ」
 千石はごそごそとポケットを漁って、コンビニとかでもらえるプラスチックのフォークを取り出した。そんでそれを包んでるビニール破って、俺に差し出してくる。
「誕生日おめでと、南」
 俺は反射的に、差し出されたフォークを受け取っていた。
 これって。
 ただの誕生日ケーキじゃない、よな。きっと。たぶん。
 丸いケーキは、俺ひとりではとうてい食べきれそうにないのに、どこにもナイフが入ってない。千石が包丁を準備してる様子もない。
「俺から南に、ささやかな野望のプレゼント」
 やっぱり、そう、なのか。
「覚えてたのかよ」
「忘れられっこないよ。あんなおかしい事!」
 まあ、そりゃ、そうか。自分でも地味におかしな事言ったと思ってるよ。
「さ、思う存分食べて食べて! でも残りは俺が食べるから、遠慮なく残してね!」
 なんだそりゃ。
 俺の誕生日のケーキなのに、なんでお前が自分の分主張するんだよ。
 なんて思わせるところまで、俺に遠慮させないための計画なんだろうけどな。バレバレなんだよ。
 バレバレだけど。
「……ありがとな」
 そんなところも合わせて、ものすごく嬉しいじゃないか。
 俺は必死に、喜びを隠そうとしながら、ケーキにフォークを入れた。


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テニスの王子様
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