マックスコーヒー

 すれ違う赤いジャージの面々が、一様に手にする黄色い缶飲料は、妙に色鮮やかに目に焼き付いた。
 色が赤いジャージに映えるからってのもあるけど……そう言えばあれ、なんだろ。見た事のない飲み物だな。
「やあ、不二」
 ほとんどは軽く挨拶するだけで通りすぎて行くんだけど(お互いさまだけどね)、不二と顔なじみの佐伯は、不二の姿を見つけるなり足を止めて、軽く手を上げて不二を呼びとめる。
「やあ、佐伯」
「今日も負けちゃったなあ。悔しいよ」
 とか言うけれど、まだ口を開けていない黄色い缶を手の中で弄びながら見せる佐伯の爽やかな笑顔は、悔しさとは無縁にしか見えない。
 もちろん悔しくないわけはないと思うんだけど(悔しいと思わない人たちが、こんなに強くなれるとも思えないし)、へこたれないって言うかめげないって言うか、とにかく六角中の生徒たちのそう言うところは、とてもいいなと思う。
 俺も見習わなくちゃ。
「……河村、だっけ?」
 佐伯は突然、不二から俺に視線を移して、俺の名前を呼んだ。
 え、なんだろう、いきなり。
「うん、そうだけど……何?」
「何って、こっちが聞きたかったんだけどね。さっきからじっとこっちを見てるし、何か俺たちに言いたい事でもあるのかなと思ってさ」
 あー……。
 俺、そんなにジロジロ見てたかな。悪い事しちゃったなあ。
「えーっと、いや、別に佐伯たちがどうってわけじゃなくて……なんと言うか、それ、何?」
 俺が佐伯の手の中にある黄色い缶を指差すと、佐伯はその缶を顔の高さ(佐伯にとっての)まで掲げてくれる。
「これは商店街の人からの差し入れ。今日が関東大会準決勝だからって、箱ごとくれてさ」
「佐伯。多分、タカさんが聞きたいのはそう言う事じゃないと思う」
 くすっ、と不二が笑う。
 うん、まあ、試合後に缶ジュース飲むなんて別に珍しい事じゃないし、確かにそこは気になってなかった。聞いてみて、出所がいかにも六角中らしいなあと判って、ちょっとおもしろかったけど、それは結果論だし。
「? じゃあどう言う事さ」
「その飲み物を見た事ないから、何なのか知りたかったんじゃないの? ねえ、タカさん」
「あ、うんうん、そう」
 俺は不二の助け船に乗るように、しきりに頷いた。
 すると佐伯は、目を大きく見開く。
「見た事ない? その辺の自動販売機にいくらでも――って、ああそうか。マックスコーヒーって千葉と茨城限定だっけ。言われてみればこっちの自販機で見た事ないな」
「うん、だからタカさんが知らなくて当然だよ。僕も噂に聞くだけで、実物見た事ないしね」
「へえ、そんなもんか。俺たちには当たり前のものだけどなあ」
 佐伯はなんだか心底驚いたみたいで、でも何か納得したみたいで、ふう、と大きく息を吐く。
 でも確かに不思議だよね。行こうと思えばすぐに行ける(六角中のあたりまでは、簡単には無理かもしれないけど)隣の県には当たり前にある飲み物が、東京では謎の飲み物だなんて。
「おい、剣太郎」
 今にも横を通りすぎようとした一年生部長を、佐伯はジャージを引っ掴んで引き止める。
 予想もしてなかった突然の行動に驚いたみたいで、葵くんはうっかり転びそうになってて、それを抜群のボディバランスで堪えると、
「もー、サエさん! いきなり何するんだよ!」
 真正面から文句を言った。
「悪い悪い。いいじゃないか、転ばなかったんだから」
 なんか、部活の先輩後輩って言うより、ほんと、兄弟みたいだなあ。さすが六角。
 俺……じゃあ立場が違うかな。うーん、大石がこんなふうに越前を掴まえても、こんな展開にならない気がするもんな。
 ……単に一年生の性格の問題かもしれないけど(あと、大石は声をかけるだけで引き止めるだろうし)。
「商店街からの差し入れ、二本余ってただろ? あれ、このふたりにあげてもいいかな」
「ボクは別にいいけど、あれってさっきじゃんけんでバネさんとダビデのって決まったよね。いいのかな?」
「ああ、あのふたりならいいよ」
 さ、爽やかに笑いながら、すごい事言うな。
「いや、佐伯、いいよ。六角のみんながもらった奴だろ。悪いよ」
「いいっていいって。バネもダビデも、河村にあげたって言えばむしろ喜ぶだろうし。ぜひとも千葉の味を堪能してよ」
 佐伯は荷物から更に二本、黄色い缶を取り出して、俺と不二に一本ずつくれた。
 なんか、ほんと、申し訳ないなあ……。
「ありがとう、佐伯」
「本当にどうもありがとう。黒羽と天根にも伝えといて」
「ああ。じゃあまた全国で会おう!」
 気付けば六角中の生徒はみんな通りすぎていて、最後尾になってしまった佐伯と葵は慌てるように小走りで、同じジャージの面々を追いかけていった。
「なんか、ちょっと嬉しいよね。こう言うの」
「うん、嬉しいけど――色々と逸話を聞いてるから、素直に喜べないなあ」
 ん? 逸話? 何のだろう。不二の口ぶりからすると、あまりいい話じゃなさそうだなあ。
 不二はぶしゅ、とプルトップを開ける。
 俺も続けて開けようとすると、不二は俺の手を掴んで、止めた。
「不二?」
 こくり、とひとくち、不二はコーヒーに口を付ける。
 それを無表情で飲み干してから、スッ、と俺の前に缶を差し出した。
「噂通りと言うか、想像以上と言うか……とにかく、すごいよ」
 これは、新しいのを開けずに、これで味見してみろって事だよなあ?
 俺は不二から缶を受けとって、それで、とりあえずひとくち飲んでみる。
 ……。
 ……甘い……。
 甘いなんてもんじゃないかもしれない……これ、本当にコーヒー?
「……すごいね」
「……すごいよね」
「コーヒー嫌いも、これなら大丈夫だよね」
「もうここまでくるとコーヒーじゃないよね」
「コーヒー牛乳を越えてるよね」
 不二はいつもの穏やかな微笑みを、少し苦笑いって感じにして、俺の手からまだ未開封の缶を抜き取った。
「これ、裕太にお土産に持ってっていいかな?」
「ああ、うん、それがいいんじゃないかな。裕太くんも喜ぶよ」
 せっかく俺たちにってくれたのに、ちょっと申し訳ない気もするけど、やっぱり喜んでくれる人に飲まれた方が嬉しいだろうし、裕太くんなら佐伯たちと面識もあるし。
 怒らないよね、きっと。


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テニスの王子様
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