さよなら太陽

 昨日の夜から降り続く雨は、今朝になって少し弱くなったけれど、傘が手放せるほどじゃあない。
 朝のニュースの天気予報じゃ梅雨に入ったとかなんとか言っていて、じゃあこれから梅雨が明けるまでしばらく、じめじめとした不安定な時期が続くんだろうなとか思った。
 雨自体は好きにはなれない。
 傘、邪魔だし。
 湿気、鬱陶しいし。
 うちの学校のテニスコート外にしかないから、テニス、できなくなるし。
 ……ああ、別に、そんな事は気にしなくて良いのか。
 晴れてたってどうせできないんだからね。

 下校時刻になると雨はいっそう弱まっていたけれど、まだ傘は必要で、まあ自転車に乗るんだったら傘ささなくても良いかな、と思うくらい。
 室内競技の部活はもちろんいつも通り行われていたけれど、グラウンドを使う部活は、人気のなくなった廊下や階段を使っての基礎訓練に切替えるか、中止にするかのどちらか。
 テニス部は――もちろん、後者だ。
 そんなに真面目に部活やるような連中じゃないし。むしろ、雨なら部活がサボれるって、大喜びするような連中だからね。
「あれ? 深司?」
 窓際の席に座ってじっと外を見る俺を呼ぶ声。
 声に振り返ると、うちの教室の入口に、石田と桜井が立っていた。
 石田、何食べたらあんなに大きくなるのかな……もうすぐかがまないと入口くぐれなくなるんじゃないの……? まああいつが教室に入るたびに頭ぶつけようと、どうでもいいけどさ……。
「どうしたんだ? 帰らないのか?」
 気付けば俺以外の誰も居なくなった教室に、ふたりは遠慮なく入ってくる。
 俺がふたりに声をかけられるまで、ずっと窓の外を見ていた事は知っているんだろうね。窓に手をついて、外を覗き見る。
「帰るけど」
「けど?」
「今、誰もテニスコートに居ないんだな、って思ってさ」
 別に特に意味を込めた言葉ではなかった。
 けれどふたりは俺の言葉を受け止めるなり、何かに気付いたように息を飲んで見つめ合う。数秒そうしたかと思うと、まったく同じタイミングでにやりと笑って――石田が、無言で俺の腕を引いた。
 何それ。パワー自慢のつもり? 自慢するのは勝手だけどさ、逆らえずに立ち上がるはめになった俺としてはものすごく不愉快なんだけど。それなのに少しも申し訳なさそうな顔しないってどうなの? 内村とか神尾なら馬鹿だからともかく、石田はそこまで馬鹿じゃなかったと思うけど。
「じゃあ、やるか!」
「……何を」
「何をって、決まってんだろ! とっととジャージに着替えろよ!」
 石田も桜井も、なんで人の荷物を把握してるのかなぁ……。
 俺の荷物勝手に開けて、ジャージ引っ張り出して、俺に押し付けるんだけど。
 なんなのそれ。俺に命令するなよな。しかも、何をするかの説明も無しになんて、ほんと最悪だよ。
「ふたりとも勝手に盛り上がらないでくれないかなあ……」
 俺の周りの誰かの席に荷物を置いて、自分のジャージを引っ張り出す石田と桜井に冷たい一瞥をくれてやると、ふたりはようやく動きを止めて、呆けた顔して俺を見た。
「勝手にって、お前が言い出しっペだろ?」
「……何の」
「え? テニスコートに誰も居ないって、俺たちの好きにコートが使えるなって意味じゃないのか?」
 ……何それ。
 何勝手な解釈してるんだよ。俺がそんな事言うわけないだろ。こんな雨の中テニスするなんて頭悪すぎるよ。体冷えるし、ぬかるんでボールも自分の体も思い通りに動かないだろうし。
「あ、俺、あいつら呼んでくるよ。多分まだ学校に居るからさ!」
「そうだな、頼んだ石田!」
 何、勝手な、事を。
 そう思いながらも俺は、押しつけられたジャージをはねのける事も、もう一度しまう事もできなかった。

 少しずつ弱り続ける雨の中、俺たち六人だけのテニスコートでやったテニスは、ほんと最悪だったよ。
 水を含んだジャージは重いし、顔にへばりつく髪は視界を狭めるし、コートはすっかりぬかるんで足を捕らえるし、ボールは上手くコントロールできないし。
 ほんと最悪だよ。
 最悪なのに。
「なんでそんなに楽しそうに笑ってるのかなあ……こんな最悪なコンディションで、ずぶぬれになってるのにさ……馬鹿じゃないのって言うか、確実に馬鹿だよね」
 俺が率直で正当な意見を呟くと、リズムに乗りすぎて人一倍泥だらけの神尾が振り返る。
「なんでって楽しいじゃねーか! こんな思う存分テニスしたの久しぶりだ!」
 いつもはけして見せない笑顔で、けれどそれは神尾だけでなく、桜井も、石田も、森も、内村もみんなみんな。
「こんなぐちゃぐちゃなコートで適当に打ち合ってるだけなのに、テニスって言っていいのかなあ……」
「お前、いちいちうるさいぞ!」
 泥をわざとはねさせるように、乱暴に歩み寄ってきた内村が、泥に汚れた手で俺の髪をかきあげる。
 まあ、とっくに汚れてるから今更だけどさ……普通泥だらけの手で人の髪触るかなあ……。
「お前だってめちゃくちゃ嬉しそうな顔してんじゃねーか!」
 ああ、そんな事。
 いちいち言われなくても判ってるんだよ。
 ジャージは重いし、髪は邪魔だし、コートもボールも最低な状態だって判ってるけど、それでも楽しいと思えるくらいに、俺たちは餓えているんだって。
 だから。
「雨、もうやんじゃうかな」
 森の声に誘われるように、みんな空を見上げる。
 時折頬に触れる雨は糸のように細くて、どんよりとした黒い雲はほとんど空の向こうに姿を消していて、白い雲の間から、今にも太陽が顔を覗きそうだ。
「明日は、晴れそうだな」
「だね。天気予報でも言ってたし」
 誰もはっきりと言葉にはしない。けれど、たぶん通じてる。
 傘は邪魔だし。
 湿気は鬱陶しいし。
 雨なんて、どうしたって好きにはなれないけど。
 それでも、太陽なんて雨雲の向こうに消えたままでいればいいって、思ってしまうんだよ。


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テニスの王子様
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