なりたい、なれない

 いつもならげんこつが飛んでくるような状況だ。
 だからいつもの俺なら、持ち前の動体視力と反射神経を使って、その拳を避けるんだ。
 でも今日は違った。
 大きな手のひらがゆっくりと、俺の後頭部にぽんぽん、と優しく触れるだけで、俺はびっくりしちゃって、避けられなかった。
「あんまりみんなを困らせるなよ」
 ふっと吐かれたため息は、なんだか妙に辛そうで、ああ、疲れてるんだなあ、とか、俺はぼんやり思った。
 それがちょっと寂しかったんだ。

 なんで冬ってこんなに昼間が短いんだろうね。
 おひさまはもうすっかり西の果てに吸いこまれてしまったから、あたりは真っ暗……でもない。
 そこかしこにある街灯が、昼間のおひさまにかなうわけもないけれどそこそこ明るく路を照らしてくれるから、俺たちは迷わず歩く事ができる。
「あのさぁ、東方」
「なんだよ」
「お腹すいたからピザまんおごって」
「どさくさに紛れて自分勝手な事言うなよ」
 東方のツッコミなのかイマイチ判断が難しいツッコミを笑ってごまかして、俺は振り返る。
 少し遠ざかったけれど、闇に覆われた学校に、ぽつぽつと灯りが灯っている様子がはっきりと見えた。
「何かあったのか?」
 おやおや。東方も地味’sのくせになかなか鋭い所を突くね。
「あったよ〜。今日は部活の後に伴爺とミーティング!」
 東方は足を止めて、一瞬黙り込んでから、
「……お前、なんでここに居るんだ」
 なんて言った。
 うん、おかしいよね。部活終わったの、十五分くらい前だしね。本当なら今頃、俺と南と伴爺とで、どっか適当な部屋借りて、ミーティングしているはずなんだから。
「なんか、さぼりたかったからさ」
「さぼりたかったからって、さぼっていいもんなのか?」
「いーんじゃない? 伴爺と南とふたりだけの方が、スムーズに進むでしょ」
「……確かに」
 そんなのんびりとひどい事言わないでよー。
 自分で言った事だけどさ、人に肯定されるとちょっと凹むじゃん。やっぱ。いや、今回は凹みはしないけどさ。
「で」
「ん?」
「何かあったのか?」
「……」
 だからさ、今説明したじゃん。
 人の話、聞いてるのかな、東方って。
「だから、本当なら今頃ミーティングで」
「いやいやそうじゃなくて。なんかお前、ヘンだろ」
「ヘン?」
 ヘンかなあ? いつもより真面目に部活もしたし、部室で暴れずに大人しく帰ったし、ぜんぜんヘンじゃないと思うんだけど。
 ヘンじゃないのがヘンなんだって言われちゃったら、さすがの俺も黙るしかないけどねっ。
「東方、俺さ」
「なんだよ」
「もしかしたら東方になりたいのかもしれないなあ」
「かなり背が高くて顔もそれなりに濃くて全国区の選手なのにチームメイトに地味地味言われてイジメられるような人間になりたかったのか?」
 あらま東方。それって嫌味?
 のんびり屋の東方クンにしては高尚な嫌味で、俺参っちゃうよ。
「うん。そうかもしんない」
 俺がそう答えると、たいへん失礼な東方クンは、大きな手を俺のおでこにあてて、もう片方の手を自分のおでこにあてて、俺に熱がないか計ってくれました。
「もしかして南に元気がないの、気にしてるのか?」
 気にしてるって言うか、気になるじゃん、やっぱり。
 ああやって弱ってる時はさ、東方とか伴爺みたいなのと、のんびりまったり過ごす方が、気楽だろうと思うし。
「確かにああ言う時の南には、お前って百害あって一理あるかないかってとこだよな」
 ほんと言いたい放題言うよね東方。
「でもお前は俺にはなれないし」
 判ってるよーだ。
「お前が俺になっちゃったら、俺たちのどっちか、いらなくなるだろ」
 ……それは。
「いやだねえ」
「いやだよなあ」
 にへら、と俺が笑うと、東方もへら、っと笑う。
 まあ、そうだよね。そんなもんだよね。
 明日の朝学校に行ってさ、それで、南に拳振りまわされながら怒られるなんて立派な役目、東方にはできないもんね。


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テニスの王子様
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