宇宙に飛んだ犬

 背中にくっきりと足跡を残したままのダビデが、腕を組んだまま難しい顔をして、椅子に座っていた。
 そうしていると彫像みたいに賢そうなのに、どうせダジャレを考えているんだろうと思うと、とんでもなく愉快だ。多分世間一般の女子は、「もったいない」って思ってるんだろうけどさ。
「……サエさん」
 ダビデはゆっくりを目を開いて、俺を見上げる。
 へえ。俺に言うんだ、ダジャレ。
 バネが居ないからかもしれないけど、俺はツッコまないよ?
「なんか、バネさんの弱点。知らない?」
「は?」
 うっかりした。この俺が、意表を突かれて驚くなんてね。
 まあ、ダビデがダジャレを言わなかったら、誰だって驚くよな。しょうがないしょうがない。
「どうしてバネの弱点なんて聞くんだ?」
「なんとなく。いつも蹴られっぱなしだから、たまには何か返してやろうかと、思って」
 蹴られているのは自業自得じゃないか、と思ったけれど、おもしろいから放っておくか。
「じゃあどうして俺に聞くんだ?」
「サエさんはひとの弱点いっぱい知ってそうだから」
 ははは。言うな、こいつ。
 あとでお前の弱点、突いてやるから覚悟しろよ。
「けっこう難しいよな。バネは恐いもの知らずだし、弱点になりうる短所も『どうにもならない』って開き直る男だから、なかなか弱点がないんだよな」
「うぃ」
 ダビデが心底納得したように頷く。
 たとえば歴史のテストの点数が悪くて、こっちがからかおうとしても、『俺は過去を振り返らねぇんだよ!』とか言って豪快に笑うし(負け惜しみじゃないからタチが悪い)、去年の夏にバネがカキ氷食べすぎて腹を壊した時は、みんなで大笑いしていても『俺はやりたい事をやりたいだけやった! 悔いはねぇ!』とか爽やかに言ってた。
 ……こうして思い出してみると、あいつって思ってたよりバカだな。まあ別にいいけど。
「直球勝負で素直な気持ちを伝えてみると、けっこうダメージくらうかもしれないよ」
「どんな風に?」
「マジメな顔して、『バネさん、いつもありがとう』とか言ってみる」
「おお」
「ただし、ダビデの場合照れ隠しで蹴られる可能性が高いな」
「それじゃ意味ない!」
 うん、まあ、そうだよな。
 うーん。
 俺たちや剣太郎なら色々と小さな攻撃技が使えるんだけど、ダビデだと難しいな。小さく攻撃して大きな反撃を食らうから。骨を断たせて肉を切るになってしまう。
 ……ああ。
「ひとつ、最強の必殺技があったな……」
 俺がそう呟くと、ダビデは過剰反応した。
 これなら確実にバネに効果がある。諸刃の剣、だけどな。
「何年前だったか忘れたけど、バネとか樹っちゃんとかと見ていたテレビで聞いた話なんだ。これは絶対、バネにダメージ与えられる」
「おお!」
「ダビデは、初めて宇宙に行った生物を知ってるか?」
「? 『地球は青かった』とか言ったひと?」
「惜しいな。それは宇宙にはじめて行った『人間』」
 ダビデは不満げに眉間に皺をよせ、口をへの字にした。
「ロシアだったかな。ちょっとその辺忘れたけど、人間が行くよりも先に動物実験をしたんだよ。だから初めて宇宙に行ったのは、犬なんだ」
「へえ」
 あの無類の犬(と言うか動物)好きは、その話を知った時、とても誇らしげにしていたっけ。
 だからこそ。
「そのあと人間が行ったって事は、実験、成功?」
「うん。大成功だったみたいだ。その犬は、地球には帰ってこなかったけれど」
 興味深そうに俺の話に耳を傾けて、楽しそうに笑っていたダビデの顔が、突然ひきつる。
「もともと、その犬を乗せた小さな宇宙船には、地球に帰ってくる機能はなかったんだってさ。彼は生きて――死んでからも、地球には戻ってこれなかった」
 あの時バネが、庭の二匹の犬を抱きしめて泣いていたのは、身勝手な人間たちへの憤りのためか、寂しく死んでいった哀れな犬のためか、自分の大切な犬たちがそんな運命に生まれてこなかった事への喜びのためか、俺には判らない。
 ただ、彼の小さな心がこの話にひどく傷付いたのは間違いなかったし、だから今でもこの話は嫌いだろうし、今となっては号泣した事そのものが恥ずかしくもあるだろうから、充分弱点になりえるかと思ったんだけど。
「どうやらお前にはこの技、使えないみたいだな」
「……うぃ」
 俺に顔を見せないようにうつむいたままのダビデはたぶん、あの時のバネや樹っちゃんと同じくらい、傷付いているんだろう。
 あの時の俺と、同じように。
「使えなくていいさ。そのまま素直で優しく育てよ」
 ぽん、とダビデの頭に手をおいてから、俺はダビデの横を通りすぎ、部室を出る。
 最後に一瞬だけ、丸まった大きな背中を見守ってから部室のドアを閉めた。
 ふう。
 やっぱりこの話は、諸刃の剣だな。


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テニスの王子様
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