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四章



 終わった。
 みんな助かった。
 そう思い安堵した瞬間にはじけた鮮血は、眩しいほどに赤い。
 アーロが目に見えない複数の刃に切り裂かれたのは、突然の事だった。額に、肩に、腕に、胸に、腹に、足に、いくつもの裂傷が突然現れ、血が吹き出す。ひとつひとつの傷は致命傷と言えるほどのものではなかったが、とにかく数が多いために出血が多く、あっと言う間に全身が赤く染まった。アーロは苦痛を伝える呻き声を短くもらし、体を大きく揺らがせた。
「アーロ!」
 さんざん痛めつけられた喉からかすれた声を絞り出したヨシュアは、よろけながらも腕の力だけで体を起こすと、倒れ込んでくるアーロの体を受け止めた。
「ふざけんなっ……アーロ、どうして、こんな……!」
 ヨシュアが眉間に皺を寄せつつ細めた目でアーロに注いだ眼差しは、暗いながらも柔らかさを内包している。吐き捨てられた、怒りを含んだ声とは、似ているようで対照的だだ。
「お兄ちゃん!」
 居ても立ってもいられず、メイヴェルは地面を蹴り、アーロの元に駆けつける。
 ヨシュアの腕の中に居るアーロは、完全に意識を失っていた。生気もだ。流れ出た血に染まる全身を際立たせるかのように、苦悶の表情を浮かべる顔は青白い。息はしているが、かろうじてと言った様子で、急激に生命力が失われているのは明らかだった。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
 メイヴェルが何度も呼んでも、アーロは応えてくれない。急激に怖くなって、メイヴェルは無意識に縋れる相手を捜し、すぐそばに居るヨシュアを見上げた。
「お兄ちゃん、どうしたの? 闇の眷族に、何かされたの……?」
 ヨシュアは即座に首を振った。
「色彩の王じゃない、別の王の力で作られた法剣を使っちまったんだ。制御しきれない魔力に体の内側から蝕まれると、こうなる。けれどそんなの、<守護者>なら誰もが知っている事だ。他人に法剣を作ってやるなんて、まともな<守護者>ならするわけがない。一体、誰が……」
 アーロの異変による不安で震えていた手が、掠れ声の説明を聞く事で、一時的に静止する。しかしすぐに更なる震えが、メイヴェルの全身を襲った。
 記憶が鮮明に蘇る。ほんの一日前の事だ。メイヴェルが大地の王と契約した事を知ったアーロは、制御できない力を使うのは危険だと言いながら、ひとつだけ魔法を使ってほしいと言った。その魔法ならば使った事があるから、自分でも制御の補助をする事ができるから、と。
 守られてばかりの自分でも力になれる事が嬉しくて、メイヴェルはふたつ返事で受け入れた――それこそが、アーロの持つ長剣に、魔力を込める事。
 笑顔で「ありがとう、助かった」って言ってくれたから。「これで俺もあの闇の眷族と戦える」って言ってくれたから、嬉しかった。役に立てた事が嬉しかった。重荷でしかないはずの自分を、頼ってもらえたような気がして。
 今になって気付く。そもそもアーロがメイヴェルに頼んでくる事自体が、明らかに不自然だったのだと。色彩の王以外の魔力が込められた剣が欲しいなら、すでに力が安定しており、更に強い魔力の持ち主である、ヨシュアに頼めばすむ話ではないか。アーロはヨシュアに頼んでも絶対に受け入れられないと感じていたから、無知なメイヴェルにろくな説明もせずに頼んだのだろう。
 もっと考えれば良かった。今更後悔しても遅いけれど、それでもせずにはいられない。自身の考えのなさが、こんな結果を呼んでしまったのだから。
「ど……どうしよう、ヨシュア」
「いや、メイヴェルちゃん、大丈夫だ……」
 ヨシュアは俯き、何度か小さく咳込んだ。そうして再びしゃべれるよう喉を落ち着けてから、顔を上げる。
 深い青色の瞳が、メイヴェルの胸元を映して大きく見開いた。
「メイヴェルちゃん、それ」
「私なの。私が、お兄ちゃんの剣に魔力を込めたの」
「いつの間に、そんな」
「昨日」
「ああ……だからメイヴェルちゃん、寝込んでたのか……くそっ、気付いていたら、はったおしてでも止めたってのに!」
 ヨシュアは心底悔しそうに唇を歪ませた。
「私、知らなかった。お兄ちゃんが、こんな事になるなんて。知ってたら、絶対やらなかった……!」
 ヨシュアはアーロの血にまみれた手を、一瞬ためらいつつも、メイヴェルの肩に置いた。
「メイヴェルちゃんのせいじゃない。アーロは全部判った上でメイヴェルちゃんに頼んだんだから。全部この馬鹿が悪いんだ」
「でも」
「もしくは、さすがのこいつも最後の最後までまで使わないようにしていた諸刃の剣を、使わせちまった俺の無力が悪い」
「違う、違うの……」
 責任の所在など、どうでもいい。みんなが助かるのなら――アーロを助けられるのなら。
 けれど、どう考えてもこのままでは、アーロを助けられない。ここから街に戻って医者に見せるまでに、どれほどの時間がかかるか。ヨシュアが止血をしようと手を動かしはじめたが、それで何とかなるとは、とても思えなかった。
「ヨシュア」
 メイヴェルはアーロの血にまみれた手を、固く握りしめた。
「教えて」
「何を……」
「魔法の使い方を」
「何で今」
「ここに刻まれている名前は、シャーリーン。大地の王の名前なの。大地の王の力は、傷を癒せるんでしょう。一昨日、ヨシュアは、大地の王の力を使って、傷を治してた」
 ヨシュアは目を細め、息を飲む。何が苦いものを飲み込んだかのように、辛そうな顔だった。
「駄目だ」
「どうして」
「ちゃんと修行を積んでないからだよ。今度はメイヴェルちゃんがこうなるかもしれないんだ」
「それが何なの!?」
 諫めるヨシュアの優しい声を消し飛ばさん勢いで、メイヴェルは叫んだ。叫びは、胸の奥から怒りを引きずり出してきた。
 ひとりで勝手に決めて、こんな事をするなんて。六年前に勝手に居なくなられた事がどれだけ悲しかったか、メイヴェルは強く訴えたつもりだったけれど、アーロの心には少しも届いていなかったのだろうか。それは悲しいし、とても腹が立つ。
「理由が何だとか、誰のせいでこうなったとか、どうでもいい。でも、最終的にこうなる事を選んだのは、お兄ちゃんでしょう? だから、私、お兄ちゃんを許さない」
「メイヴェルちゃん」
「勝手に、こんな……自分から死ぬ事を選ぶようなの、許せない。絶対に。だったら、見捨ててくれたほうがましだった」
 もしアーロがここで命を落としたとして。
 その死をアーロは、美しいものだと思うのだろうか。満たされた心で短い人生を終わらせられるのだろうか。残されるメイヴェルにとっては、何よりも呪わしい死だと言うのに。
 メイヴェルは一度堅く目を伏せてから、もう一度目を開き、睨むようにアーロを見た。
「普通、魔法ってのは、契約後何ヶ月も修行を重ねて、やっと使えるようになるものなんだ。師や兄弟子の補助を受けて、力の制御法を体で覚えて、ようやく。メイヴェルちゃんが無事に法剣を作りだせたのは、アーロの補助があったからだ。補助が無ければ、きっと魔力の暴走を抑えきれない」
 今更言われずとも判っている。大地の王と契約した直後、アーロに説明されているのだから。その時はどれほど危険かまで理解できていなかったが、目の当たりにした今なら、嫌と言うほどよく判る。
 判っていても、何かしたいのだ。
 何もせずにアーロを失う事など、耐えられないのだ。
 この義兄が居なくなってしまったら、メイヴェルには、もう――
「お願い、ヨシュア」
 ヨシュアは困惑や怒りのようなものをはっきりと表情に出していたが、感情に任せてメイヴェルを叱りつける事はしなかった。何かを言おうとしてはその言葉を飲み込む、を繰り返し、しまいにはメイヴェルやアーロを視界から追いやるように目を反らす。
 ヨシュアが内なる葛藤をして居るのは明らかだった。このままアーロを見捨てるか、メイヴェルに命を賭けさせるか――第三者である彼が気軽に出せる答えではないのだから、当然だろう。
「お兄ちゃんが死んじゃったら、私……」
「くそっ!」
 ヨシュアは一度拳を地面に叩きつけてから、その手でメイヴェルの手を掴んだ。
「俺が何でも出来ると思ったら大間違いだからな」
 アーロを地面に横たわらせてから、ヨシュアはメイヴェルの手を引き寄せ、アーロの体の上にかざした。
「大地の王よ」
 絞り出されたざらついた声が、微かに耳に届くと、メイヴェルは慌てて顔を上げ、真っ直ぐにヨシュアを見つめた。
「続けて」
 メイヴェルは力強く頷く。「ありがとう、ヨシュア」と伝えようとしたけれど、言葉にならなかったので、微笑みかける事でその代わりとした。
 同じだけ優しい微笑みを、横たわるアーロにも向ける。
 大丈夫だよ、お兄ちゃん。
 必ず、助けるから。
 メイヴェルは静かに息を吸い、空気を震わせる音を吐き出した。
【大地の王よ――】


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