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四章



 ヨシュアが炎に包まれるより一瞬早く、地上から水の柱が昇った。
 炎と水は互いを飲み込み、食い合い、水蒸気となって辺りを薄白く染める。その中でヨシュアは、詠唱を完成させた。
【――闇を貫く鋭き槍を!】
 光の槍は湿気を帯びた空気を引き裂き突進すると、息吐く間もなく闇の眷族へと到達する。腹の中心に突き刺さった槍は、やがて体を貫くと、消えた。
 ヨシュアはすかさず風を操り距離を詰め、苦痛に呻く闇の眷族が無防備に晒した喉に、法剣を埋め込む。
 とうとう闇の眷族は、呻き声すら上げられなくなった。羽根は動きを止め、宙に浮く力を失い、地上に落下してきた。どさりと鈍い音が鳴った後は、急に静かになった。
 続いて、ヨシュアもゆっくりと地上に近付いてきた。徐々に風の威力を弱め、音も立てずに地上に降り立つ。よほど疲れたのだろう、肩で息をしながら、未だ鋭い目で闇の眷族を見下ろしていた。
「先輩、大丈夫ですか!」
「おー、お前のおかげでな」
「俺って言うか、エイラのおかげですけどね」
 アーロは手の中にある青い宝玉を見せながら言った。
「エイラの愛が俺を守ってくれた事を否定する気は全くないが、その愛をちょうどいい時に解放してくれたのはお前だからな。やっぱりお前のおかげだよ」
「先輩、エイラがこの宝玉に込めたのは、愛じゃなくて単なる魔力ですよ。仮に愛だったとしても、先輩への愛ではなく、師匠への愛です。これ、俺が盗んできた、師匠の宝玉ですからね」
「お前さ、直前まで戦っていた先輩のご機嫌取りとか、する気ないわけ」
「気持ち悪い夢想に乗るのが、ご機嫌取りになるんですか?」
「おいおい酷いな。そこまで言う――」
 会話を打ち切り、ヨシュアとアーロは同時に動いた。ヨシュアは闇の眷族の右腕を、アーロは左腕を、同時に踏みつける。
「おや。気付いたか」
 声はふたりの足下から発せられた。中性的な、耳障りのよい声。首と腹を貫かれたと言うのに、それはまだ活動を止めてはいなかった。
「まあいい。多少時間は稼げた」
 腹からはまだ体液を流し続けている闇の眷族だが、恐ろしい事に喉の傷は、ほとんど塞がっていた。触れるだけでまたすぐに皮膚が裂けそうなほど生々しい傷跡だったが、それでもつい先ほど剣で貫かれたばかりである事を考えれば、震えがくるほど驚異的だ。
 両腕を拘束するふたりの足から逃れようと、闇の眷族は腕に力を込める。体勢が有利であるはずなのに、ふたりの足が少し浮いた。
 ヨシュアは左手に握り込んだ宝玉を捨てる。両手に剣を持つと、それで闇の眷族の両腕を地面に縫いつけようとした。いや、単純に、両腕を切り落とそうとしたのかもしれない――どちらにせよ、ヨシュアは目的を果たす事はできなかった。
 突然、火がはぜたのだ。
 小屋を包み込むほどの大きな炎ではなかったし、燃え続ける力もなくすぐに消えた。しかしそれは確実に、闇の眷族を踏みつけていたヨシュアの足を飲み込んだ。
「……っ!」
 皮膚が焼けただれた足は力を失い、ヨシュアの体が崩れ落ちる。両手の小剣は狙い通りに働けるはずもなく、むなしく地面を抉るだけだった。
【光の王よ】
 闇の眷族はまず、自由を取り戻した片腕でアーロの足を払い、完全な自由を手に入れた。素早く起きあがり、羽根を羽ばたかせ、突風によってアーロの体を吹き飛ばす。
【ヨシュアの名において、闇を縛るくさ――】
 そして悠々とした動きでヨシュアの喉を掴み、詠唱を止めた。
 呼吸すらままならなくなったヨシュアは剣を振るうが、その太刀筋には先ほどまでの鋭さがない。闇の眷族はやすやすと払いのけ、剣を叩き落とした。
「腕を使わなければ火が呼べないと思ったようだが、残念だったな。あれは、大きな炎を呼ぶための儀式にすぎない」
「っ……!」
「先輩を放せ!」
 アーロは立ち上がりざまに叫ぶと同時に、ヨシュアが力を込めてくれた宝玉で生み出した光の矢を、闇の眷族へと向けた。
 振り返った闇の眷族は、笑いながらその矢を受ける。頬を掠め、脇腹と右肩と左足に突き刺さろうとも、笑みは消えない。余裕の証か、胸の中心を捉えていた最後の一本を、ヨシュアを掴んでいない片手で受け止めて見せる。
 アーロは眉をひそめた。
「己の力では何も出来ぬ雑魚は、おとなしくしていろ」
 闇の眷族はヨシュアの体を地面に叩きつけると、噎せ込みながら必死に息を吸い込むヨシュアの背を踏みつけた。続いて、首を。
 ヨシュアは再び、声を出す自由を失う事となる。状況を打開しようと、闇の眷族の足に手をかけてみるが、たとえ万全の状態だとしてもひっくり返すのは難しい、不利な体勢だった。
「おとなしくできるか!」
 再度、光の矢が闇の眷族を目指して飛ぶ。
 その後を追うように走り出したアーロは、すでに力を使い果たした宝玉を投げ捨て、別の宝玉を取り出す。そして、更なる光の矢を呼び出し、数で圧倒するように、闇の眷族を狙うつもりだった。
 しかし闇の眷族は、アーロを鋭く睨み、腕を振り上げる。あっさりと小屋を焼き尽くすほどの業火に包まれる訳にはいかず、アーロは握りしめた白い宝玉の力で守りに転じるしかなかった。
 光の壁で己とヨシュアを守りながら、闇の眷族との距離を詰める。その間、炎になぶられ続けた光の壁が、徐々に弱っていくのを感じていた。
 手持ちの宝玉に、使える力はほとんど残っていない。ヨシュアに力を込めて貰った宝玉はみっつだが、すでにふたつの宝玉の力を使ってしまった。水の宝玉の力も攻撃に転じられるほどではない。となれば、早々に決着をつけねば勝ち目がない。
 手を伸ばせば届く距離まで近付いて、アーロは最後の宝玉を握りしめる。これで、できればとどめを。最低でも、ヨシュアの解放を――
 闇の眷族の爪が、アーロを守る光の壁を鋭く突いた。すでに力を失いかけていた壁は、最後にわずかな抵抗をしたものの、空しく砕け散る。その勢いのまま向かってくる爪を、紙一重で避けたアーロは、今が最後の機会だと、拳の中の宝玉を輝かせた。
 否。輝かせようとした、だ。唐突に下方から蹴り上げられ、アーロの拳は強くはじかれる。その勢いで、宝玉はこぼれ落ち、手の届かない方向へ転がっていった。
 アーロは息を飲み、反射的に目で宝玉の行方を追う。その一瞬の隙に、胸倉を掴まれてしまう。闇の眷族は、同じ体格の人間ならばありえないような怪力でアーロの体をつり上げると、懐にしまい込んでいた、宝玉を詰めた袋を奪い取った。
 その中には、もはや目の前の闇の眷族に対抗できる力のある宝玉はないのだが、事実を知る術のない闇の眷族にとっては、全てが驚異となるのだろう。闇の眷族は袋ごと遠くに投げ捨ててから、アーロの体を地面に落とした。
「くそっ……!」
 即座に立ち上がったアーロは、腰に下げた長剣の束に手をかける。
「無駄に抗うな。お前は、己の力では何もできぬ小物だろう」
 闇の眷族は明らかに侮蔑の意味を込めたと判る笑みを、紫色の唇に浮かべた。
「お前が勝手にそう思い込んでいるだけだろう?」
「お前の矢はすでに食らった。先ほども見せてもらったよ。小虫のように、ただ風を切る音がうるさいだけの無力な矢。あれは何の力だ? 芳香か? 音響か? 矮小な力しか持たずに、それでも王を名乗る者の力しか借りれぬお前は、哀れな存在だな」
 その通りだ、と、アーロは思った。自分には力がない。色彩の王の力では、目の前に居る闇の眷族には歯が立たない。それは事実だ。
 けれど、それが、戦う事を諦める理由にはならないのだと、知っている。
 闇の眷族はアーロに背を向けた。足下に居る、唯一驚異となりえる青年を、片付けるために。
 アーロは緊張のあまり滲み出て来た手汗を拭い、喉を鳴らしてから、引き抜いた長剣を胸の前に構える。すかさず地面を蹴り、闇の眷族の背中に突進した。
「愚かな。気でも触れ――」
 肉を抉る感触が、柄から手へと伝わってくる。
 アーロが手にした法剣の刃が、闇の眷族のを貫いていた。背中から、胸を。
「な……ぜ……」
「ああそうだよ。俺の――色彩の王から借りた力は、お前に通じねぇよ」
 闇の眷族の体に埋めたままの剣を、捻った。もっと深く、傷付けるために。
「でも、この剣に宿る魔力が、色彩の王の魔力だなんて、決まってねーだろうが」
「そんな、馬鹿な……」
「ああ馬鹿だよ。馬鹿だからこんな事すんだよ。でも、お前もなかなか間抜けだったぞ。他のところへの攻撃は平気で食らうくせに、胸だけはしっかり庇ってんだからな」
 アーロは更に傷を広げようと、斜めに引き抜いた後、再び突き刺した。
「ここがお前の弱点なんだろ。他のところとは違って、再生できない」
 返事はなかった。ただ、闇の眷族の体が、力なく崩れ落ちていくだけだった。
 アーロが思った通り、胸に広がった深い傷は再生する様子を見せない。よく見れば、胸だけでない、他の傷の再生も、すっかり止まっていた。
 これで、終わったのか。
 アーロは笑みを浮かべた口から息を吐く。握りしめていたはずの法剣は、手から滑り落ちていった。


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