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四章



「陽が落ちるまであと少ししかないから、その前に決めとこうや。こいつ、どうする?」
 泣きやみかけた頃、ふいにヨシュアの声が聞こえて、メイヴェルは顔を上げた。
 ほぼ同時に振り返ったアーロと、いつの間にかヨシュアに捕まっていたウォレスと合わせて三人分の視線を一斉に受けたヨシュアは、呆れたような困ったような顔をしている。
「ヨシュア……あの」
「おっと。ごめんなさいって言うつもりならいらないよ。俺、基本的に女の子からされる事なら、何でも許しちゃうから」
「俺は先輩の理不尽な言動を絶対に許しませんけどね」
「え? それ、そのまんまお前に返すぞ俺は」
 何の緊迫感もない、いつもの調子のやりとりに、メイヴェルは呆気にとられる。それに気付いたヨシュアは、わざとらしく咳払いを挟んで話を戻した。
「で、俺、こいつをどうすればいいんだ?」
 ヨシュアが掴んだウォレスを腕を持ち上げる。少し捻られたのか、ウォレスが小さくうめき声を上げて、眉間に深い皺を刻んだ。
「こいつもシェーラと同罪でいいのか?」
「何となく、違う気がするんですけどね、俺は」
「そうか?」
「根本的な部分でシェーラ様に逆らえないようにされているんじゃないかなあと思うんですけど、思うだけなので、確証はありません」
「なるほど。それは充分ありえるな。じゃ、今のところは見逃してやるか」
 ヨシュアはうなずくと、あっさりウォレスを手放す。
 急に解放されて体勢を崩したウォレスは、その場に膝を着いた。ふう、とひとつ息を吐いてから、アーロに振り返る。
「コーラル、君は、シェーラに何をしたんだい?」
 しかしアーロはウォレスに向き合わず、相変わらずヨシュアを見上げるだけだった。
「ほら。この状況で、真っ先にシェーラ様の心配ってのが、また怪しいじゃないですか」
「おう、納得した」
「コーラル!」
 ヨシュアがウォレスのすぐ横を強く踏みつけ、大きな音を立てると、ウォレスは息を飲んで言葉を失った。
「あーもう、時間ないから、静かにしてろ」
 言いたげな目で見上げてくるウォレスに冷たく言い捨てたヨシュアは、同じだけ冷たく切り捨てるように背を向けた。
【光の王よ、ヨシュアの名において、闇を遮る強靱な楯をここに】
 ヨシュアが唱える。
 一瞬後、小屋の壁や天井に沿うように、光の壁が生まれた。それは二日前の晩にメイヴェルを守ってくれたものと同じ輝きで、その頼もしさはよく判っている。心強さに、メイヴェルは表情をわずかに緩める。
「今からこの場を離れるのは賢くないから、あんたは死にたくなかったらメイヴェルちゃんのそばに居な。そしたら、ついでに守られるから。ま、これ、壊れるかもしれないけどな。そしたらアーロが守ってくれるさ」
「俺ですか」
「守るのがお前の役目って決めただろうが」
「おっしゃる通りで」
 アーロは一度、力付けるようにメイヴェルの肩を叩くと、ひとり立ち上がる。
 窓から外を覗く。視界は白く濁っているはずなのに、赤く燃える空が、近付きつつある夜が引き寄せる藍色と混ざりはじめている光景は、いやと言うほど鮮やかだ。
 じわじわと近付く時を、メイヴェルは祈りながら待つ。ヨシュアは右手で法剣の柄を、左手で緑色に輝く宝玉を握りしめながら、詠唱し魔法の灯りを呼んだ。アーロは長剣の柄に手をかけかけて、思い直したのか弓を手にした。
 そして陽は落ち、地上に闇が訪れる。
「来るぞ」
「はい」
 小さく切り取られた窓の向こうで、一瞬何かが輝いた。
 直後に、視界が赤く染まった。炎だ。紅蓮の炎が小屋を囲み、中に居るメイヴェルたちごとまとめて飲み込んでしまおうと燃え上がっている。しかし炎が脅かすのは小屋だけで、屋根や壁は徐々に焼け落ちていくのだが、メイヴェルたちには何の影響も及ぼさなかった。熱さも、息苦しささえも、光の壁の内側にはやってこない。
「師匠並じゃないですか、これ」
「馬鹿言え」
 ヨシュアは軽く肩を竦める。
「あの闇の眷族は、これを詠唱なしにやるんだぞ。師匠以上だっつうの」
「何の慰めにもならない解説ありがとうございます」
「お前を慰めたって俺には何の特にもならないからな」
 今度はアーロが肩を竦める番だった。
「さーて。そろそろ近付いてきてくれるかな」
「近付いてきますかね?」
「近付いてこないなら俺から行っちゃうよ。何のために風の力が入った宝玉を預かったと思ってるんだ」
「頼もしいお言葉で」
 ヨシュアの返事はなかった。振り返る事もせず、ただ一点を睨みながら、唇に薄い笑みを浮かべるだけだった。
 やがて、小屋のほとんどが焼け落ち、視界が広がる。
 メイヴェルの目に、無数の星が輝く暗い空と、その中心に浮かぶ闇の眷族の姿が、はっきりと映った。遠すぎて光が届かず、どんな様子かは判らないが――燃え尽きて炎が消える頃、メイヴェルのは地面からわずかな振動を感じ取った。
「アーロ」
「言われなくても」
 アーロは振動が伝わってくる方向へと歩きながら弓を番える。
 ほどなくして姿を現したのは、二足歩行の獣だ。獣、と言っては差し支えがあるかもしれない。突進するために強く地面を蹴る足は、さながら甲殻類のような質感で、細く長い。毛むくじゃらの体とはひどく不似合いで、メイヴェルはその違和感に生理的な嫌悪感を覚えるのだった。
 とても地上の生き物と思えないそれらは、闇の眷族なのだろう。光の壁から出たアーロは、迷わず矢を放った。続けざまに、二本、三本、四本――そのどれもが獣たちに命中し、魔法の矢に足を抉られた二体は、こちらにたどり着く前に地面に倒れた。
「お兄ちゃん!」
 残った一体は体に矢を刺したまま、アーロの目の前まで迫ってくる。足と同じく硬質の両手を、高い位置から押し潰そうと、アーロに向けて降り下ろした。
 それを素直に食らうほど、アーロは鈍くない。短剣を引き抜きながら跳びすさると、両手で地面を抉った獣に、短い刃を埋め込んだ。
 魔力の宿る刃は、易々と獣の肉を抉る。獣は咆哮し、痛みを怒りに変えて、アーロに襲いかかった。傷から体液をまき散らしながら、両腕で次々とアーロに殴りかかる。
 右、左、右、と、三度避けたアーロは、続けざまにくる四度目の攻撃を、短剣で受け止める形をとった。当然刃は、受け止めるだけでは飽きたらず、獣の腕を指し貫く。襲いかかってくる獣の力を借りて、なお深く。すると獣が泣き叫ぶ赤子のように唸りながら体を伸ばすので、アーロは剥き出しの腹に飛び込み、もう一撃を食らわせた。
 獣は叫び、重い体が地面に沈む。ひときわ大きな振動を響かせると共に、動きを止めた。
「おー。やるな」
「だから、先輩が言うと嫌味でしかないんですって」
「どうしてこの子は褒め言葉を素直に受け取れないんだろうねえ」
「今はそんな事どうでもいいでしょう」
「そう言う事にしておくかな。じゃ、あっちの二匹もちゃんととどめ刺しとけよ」
「言われなくても」
 アーロが素早く向き直り、矢に足を貫かれながらも、腕と片足だけで地面を這い進もうとする二匹を睨む。
 弟弟子の背中に微笑みかけてから、ヨシュアは夜空を見回した。無数の星が輝く中、揺らめくひとつの影に視線を留めると、左手の中の宝玉が、淡く輝いた。
 緩く渦巻く風が、ヨシュアの黒髪をなぶる。しかし、それも一瞬。風はすぐに激しさを増し、ヨシュアを包み込むと、その身を浮き上がらせた。
【光の王よ、ヨシュアの名において、闇を裂く鋭き雨を降らせよ!】
 光の雨が降る様は、まるで星が流れる夜のよう。
 幻想的とも言える美しい光景の下で、闇の眷族は飛んでいた。針のように鋭い雨に、引き裂かれる事のないように――ヨシュアを包む風が動いたのは、その時だった。
 ヨシュアの身が、闇の眷族へ向けて突き進む。闇の眷族が雨を避ける事でたどり着いた場所に。
 突き出した小剣の刃が、闇の眷族の腕を掠める。直前まで胸の中心を捉えていたはずなのだが、ヨシュアの動きに気付いた闇の眷族が、とっさに体勢を変えたのだ。
「くそっ!」
 ヨシュアの法剣と闇の眷族の爪が斬り結ぶたびに、金属同士がぶつかり合うような音が響く。互いに決定打を与えられないまま、何度も、何度も。
 祈りながら見上げる事しかできないメイヴェルは無意識に、組み合わせた手に力を込める。不思議と、皮膚に爪が食い込む痛みが、生きている実感を与えてくれる気がした。
【光の王よ!】
 小剣を振り上げながら、ヨシュアは唱える。
【ヨシュアの名において――】
 魔法を使おうとしている事に気付いたのだろう。闇の眷族は、ヨシュアが詠唱を終えるよりも早く蹴り飛ばし、後ろに引いた。わずかな距離を開くと、素早く腕を振り上げる。
 その動作に何の意味があるか、メイヴェルはすでに知っていた。
「先輩!」
 目を反らそうとしたメイヴェルの耳に届いたのは、最も信頼できる人の声だ。


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