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三章



 細い月が輝く夜が過ぎていく。
 メイヴェルは泣き疲れたのか、再び眠ってしまった。ヨシュアは、メイヴェルを気遣ったのか、単に顔を合わせる事が気まずいのか、洞穴の入り口近くに待機したままだ。「追っ手が来るかもしれないから見張りー」などと言っているが、万が一雲が出てきて月を覆ってしまった時、抵抗できず闇の眷族に補食されるだけの者たちが、夜に街の外に出る事は考えにくい。そもそも人間相手に本気で隠れるつもりならば、奥に引っ込みつつ色彩の王の力で入り口を隠したほうが無難ではないか、とアーロは思う。アーロが色を付けられるのは、「物理的に接触できるもの」か、「他の王の力で具現したもの」のふたつで、空間をどうこうする事は不可能だが、大きめの布を常に持ち歩くようにしていて、布で入り口を塞ぎ、そこに周囲にとけ込むような色を付ける事は可能だ。
「寒くないですか?」
 ずっとメイヴェルのそばに居たアーロだが、朝まで離れたままと言うのも居心地が悪く、ふたり分の器を手に兄弟子に近寄る。片方を差し出すと、ヨシュアは笑顔で応えてくれた。
「おう。気が利くな」
「そう思うでしょう? でもこれ、ただのお湯ですよ。味付けるもの、何も持ってないので」
「まあ、暖はとれるな、うん」
 ヨシュアは器を両手で包み込み、立ちのぼる湯気に顔を近付ける。やはり、寒かったらしい。
「メイヴェルちゃん、少しは落ち着いたのか?」
「眠ったので、多少は落ち着いたんではないかと」
「そっか」
「どうやら我慢させてるみたいですみませんけど、俺はメイヴェルの気持ちも判るんで……もう少し我慢してください」
「うわあ、妹ちゃん大好きなお前らしい言い分だなあ」
 ヨシュアは乾いた笑いを響かせてから、器に口を付けた。体の中から温めようとしたのだろうが、思っていたより熱かったらしく、軽く火傷した舌を出して、夜風に冷やさせる。
「よっぽどいい母親だったんだなあ。シェーラは。メイヴェルちゃんや、お前にとって」
 アーロは頷いた。月を見上げるヨシュアの目に映っていないのを承知で。
「とても優しい人でした。でも、今思えば、優しいだけだったかもしれません。それって、先輩が言うところの、罪悪感によるものだったんでしょうかね」
「お? お前にしては、辛辣なシェーラ評だな」
「いけませんか?」
「いや、悪くないけども」
「俺はメイヴェルと違って、先輩の言った事、全面的に信じちゃってるんですよね」
 ヨシュアはアーロに振り返った。
「俺が言うのもなんだけど、何でだ? いい思い出のばかりの家族なんだろ?」
「先輩の話を聞いて、血の繋がった家族を信じるのも悪くないかな、と思っただけです」
「俺の話のどこに、お前がそんな考えかたをするに至る成分があった? 逆ならともかく」
「色々ありまして」
 アーロは膝を抱えながら笑った。ごまかしきれるとは思っていなかったが、ありがたい事にヨシュアは、それ以上追求してこなかった。
「で、先輩。問題の日がとうとう明日に迫っているんですが、どうしましょうか」
「どうしようもないだろうな。向こうのほうが機動力ありそうだし、手下もいるんだろ。だったら逃げ回るのは難しいから、迎え撃つしかない。それで、お前の攻撃が相手に効かないなら、お前は俺が戦いやすいように補助して、俺が戦うしかない」
「ですよね」
 判っていてもはっきり言い切られると、やはり気が滅入るアーロだった。
「あの闇の眷族が全ての力を見せたとは限らないが、見た限りで一番手強いと感じたのは、炎だな。ひとりで戦ってい時は、身を守る事に手を抜けないから、そのぶん攻撃の手を緩めないといけなかった。だからお前は、俺が気がねなく戦えるよう、宝玉の力を使って、俺たちを守る事に専念しろ」
「はい」
「あと向こうが手下を引き連れてきたらそれもなんとかしろ」
「意外と忙しいですね、俺」
「今まで師匠に派遣された仕事なんかとは訳が違うからな。師匠はなんだかんだで、うっかりすると死ぬかもしれない程度の、ちょっとした無理しか俺たちにさせなかった」
「それ、けっこう無理だと思うのは俺だけですかね」
 すぐに同意が返ってくるかと思ったが、ヨシュアは薄く笑うだけだった。ゾーグの弟子として過ごした時間がより長い分、感化されているのだろうか。アーロは六年かけても、さっぱり感化されなかったが。
「じゃ、アーロ、あいつと戦うために、風の王の力が入った宝玉よこせ。あと空っぽのも貸せ。お前が使えるように、光の王の力を込めておくから」
「空なのは、先輩が使ったやつだけですけど。元々水や大地の王の力が入っていたやつ」
「あと炎のも貸せ。たぶんあいつには効かないし、次必要になった時は師匠に入れてもらえばいいからな」
 アーロは頷いてから奥に戻り、荷物を探る。
 戻る前に、メイヴェルの様子を確かめた。ずいぶん深い眠りに落ちているのだろう、ゆっくりとした呼吸を延々と繰り返すばかりで、身動きひとつしない。その寝顔は、起きている時よりもずっと穏やかで、アーロは少しだけ心が安らぐのだった。
 安堵の息を吐き、早歩きでヨシュアの元へ行く。ヨシュアはアーロの接近に気付くと、無言で手を差し出した。
「お願いします」
「ん」
 ヨシュアはひとつだけ手の中に握り込み、唱える。アーロにすら聞き取れないほど小さな詠唱だったが、宝玉を握り込んだ手が淡く光るので、そこに力が発生している事は判った。
 それを三度繰り返し、全ての宝玉に力を込め終えると、ヨシュアは無造作に手を差し出した。
「ありがとうございます」
「お前のためだけにやったわけじゃない。俺の命綱でもあるからな。頼んだぞ」
「はい」
 アーロは受け取った宝玉を堅く握りしめ、強く頷いた。
「さ、お前もそろそろ休め。明日の晩に備えて、体調はできるかぎり万全にしておいたほうがいい」
「先輩は?」
 ヨシュアはそれまで肩にかけていただけの毛布に全身くるまった。
「寝るに決まってんだろ。お前より俺の体調のほうが重要だっつうの」
「そりゃそうですね。じゃ、おやすみなさい」
「おう、おやすみ」
 ヨシュアの返事を聞き届けてから、アーロは再び奥に戻った。
 蜜蝋の淡い光の中で眠るメイヴェルを確かめてから、自身も毛布にくるまって横になる。
 とても穏やかな気分で眠れる状況ではなかったが、目を伏せると、すぐに睡魔に襲われた。思っていたより疲れていたんだなあと、ぼんやり思いながら、アーロは夢の中に落ちていった。

 次に目が覚めた時には、視界が暗かった。
 蝋燭の火が消えてしまったのだろう。点け直そうにも暗すぎてどうしていいか判らず――やはり炎の王の力が込められた宝玉は残しておくべきだったのではなどと考えながら――アーロは首を巡らせた。外に続く方向に、わずかな光が覗いている。もう朝がきているようだと判ると、アーロはいったん外に向かう事にした。
 だがアーロは、数歩歩いたところで、つま先に絡みつく何かに足を取られ、転びかける。「何だよいったい」と悪態つきながら拾い上げると、手触りですぐに正体が判明した。これは毛布だ。自分が使っていたものは自分が眠っていたところに放置したはずだから、おそらくはメイヴェルが使っていたもの――
 アーロは振り返るが、目がいくらか暗闇に慣れても、見通せるほどではない。舌打ちして、外に向かった。入り口近くで、大口開けて眠っているヨシュアを見つけると、蹴りとばしたい衝動に耐え、力尽くで毛布を剥ぎ取った。
「うぉあ!」
 妙な悲鳴にかまわず、アーロはヨシュアの胸ぐらを掴んで引き上げ、無理矢理立ち上がらせた。
「な、何だよ」
「ちょっと来てください」
「おう」
「明かり点けて!」
「お、おう」
 アーロがヨシュアの腕を引きながら奥に戻る中で、ヨシュアは半ば寝ぼけた声で唱えた。
【光の王よ、ヨシュアの名において、世界を照らす優しき光を】
 到着と共に、優しい明かりが周囲を照らす。そしてアーロは、誰も居ない空間を見たのだった。
「あれ? メイヴェルちゃんは?」
「っ……!」
 アーロは思わず唇を噛む。
「先輩も知らないんですか」
 首をかきながらあくびしたヨシュアは、ようやく目が覚めたらしく、素早い動きで向き直ると、アーロを凝視した。
「あんの……くそ女……!」
「いや。いや、先輩。さすがに、連れ去られたって事はないと思うんですけど」
「そうか?」
「だって、あれだけ大勢引き連れて宿を囲んだのに、俺たち逃げたんですよ。もっと多く、せめて同じくらいの人数で来るでしょう。それに気付かなかったんだとしたら……気付かないくらい寝ていた俺たちも悪いですよ」
「薬かがされたって感じもしないしな。って、いちいちそんな事するくらいなら、殺すなり拘束するなりするか」
 アーロは苦々しい表情で頷くしかなかった。
 ヨシュアが明るくしてくれたおかげで、判った事がもうひとつある。暗かったのは蝋燭の火が消えたからでなく、燭台ごとなくなっているせいなのだと。
 ならば、一番考えやすいのは、メイヴェルが持ち去った、だろう。
「メイヴェルは、おそらくはまだ明るくなる前に、ひとりでここを出た」
「俺が言うのもなんだが、気付けよ、お兄ちゃん」
「本当になんですよ! 先輩だって気付いてくださいよ!」
「はいはい悪かった悪かった。お互いにな。とにかく今、こんな事で責め合っててもしかたない。やめよう」
 言い出したのはそっちじゃないか、と、アーロはこっそり思ったが、それを口にするとまた口論で時間を浪費してしまいそうなので、必死に飲み込んだ。
「ひとりでどこに行ったんだ、なんて、聞くだけ野暮か」
「はい。俺がメイヴェルなら、行き先はひとつですね」
 それ以上は言葉にしなくても、通じた。アーロとヨシュアは無言で見つめあい、頷きあう。
 どちらからともなく走り出す――向かう先はただひとつ、カドリーンの家だ。


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