INDEX BACK NEXT


三章



「ひとつ、確認したい事があるんだが」
 ヨシュアは逡巡する様子を見せたが、ほんのわずかな時間だった。のんびりと首をかきながら、すぐにアーロに問いかけてくる。
「何ですか」
「メイヴェルちゃんの首の印は、いつからある?」
 アーロは考え込み、記憶の糸をたぐり寄せてから答えた。
「生まれた時にはあったと聞いてます」
「なるほど。次、知ってたら教えてくれ。ウォレス氏とシェーラは、何年前に結婚した?」
 そんな事が今関係あるのか、とか、関係なかったとしたらどうしてそんな事に興味があるのか、とか、言いたい気持ちを押さえ込んで、アーロは答える。
「だいたい十七年前くらいです。厳密には、十六年と九ヶ月くらい」
「詳しいな。お前、他人の結婚記念日まで覚えてんのか」
「その『他人』は血縁を基準として、ですか?」
「そうだな。悪い」
 ヨシュアは腕を組む。考え込むため、ではないだろう。自分を守るため――いや、アーロと精神的距離をおくため、だろうか。
「俺、なんとなく予想できたけど、お前は?」
「は? 今の情報から、ですか?」
「おう。聞くか? 確実にお前には嬉しくない予想だけど」
「まあ、参考程度に」
 アーロがあからさまに視線を反らすと、ヨシュアは小さく笑う。本人は忍んでいるつもりのようだが、辺りは静かであるし、大して離れているわけでもないので、聞こえてしまった。少しだけ、苛つく。
「結論から言うとだな、シェーラが願ったのは、ウォレス氏との結婚だ」
 聞こえやすい声で、はっきりと言い切られたので、聞こえなかったわけではない。けれど理解するまでに時間がかかり、アーロが反応するまでに、やや長い沈黙が生まれた。
「はあ!?」
「結婚じゃないかもしれないが、ウォレス氏の心を奪うとか、そんな感じの」
「闇の眷族って縁結びみたいな可愛い事するんすか!?」
「縁結びって言っちまうと可愛いけど、心を操るつったら、とたんに可愛くなくなるだろうが。たとえばほら、他の女の旦那を奪っちまう、とか」
「まあ、そう、ですけど……」
 アーロは無意識に、疑いを込めたまなざしを兄弟子に向けていたらしい。ヨシュアは慌てた様子で言葉を続けた。
「一応予想の根拠はある。ウォレス氏も、お前たちも、シェーラにもうひとり子供が居るって事実を知らなかったって事だ」
「それが何の根拠になるんですか」
「シェーラがその子供を捨てたのが、今から十七年前――厳密には、十六年と十ヶ月前だからさ」
 またも沈黙を呼び込む事になったが、今度は理解に時間をかけたからではなかった。ただ驚いて、反応が遅れたのだ。
「そんな……」
「まあ、幼子の存在を巧みに隠しながらおつきあいをしていたのかもしれないし? 出会って一ヶ月で結婚したのかもしれないから? あくまで予想ですけども? ただ、願いが結婚を前提にしたものなら、まだ生まれていない子供を生け贄にする事を、闇の眷族も受け入れやすいと思うんだよなあ」
 ヨシュアはアーロの思考の逃げ道をふさごうとしているのか、自身の予想を肯定する要素を次々と語る。
 けれどどれもこれも、アーロの耳には入ってきていない。アーロは思考の海に溺れかけた自分を保つ事に精一杯で、目の前に居る人物にさえかまっている余裕はなかったのだ。
「そんな……でも、それなら――」
 シェーラを敬愛しているアーロにとって、ヨシュアの予想や、そもそも真実として語っている部分ですら、感情的に受け入れたくないものだ。しかし、思考的には充分納得できるものだった。
 それに、ヨシュアの予想が真実だとすれば、つじつまが合うのだ。アーロが以前から抱え続けてきた違和感を、解消するために。
「おい、アーロ?」
 微動だにしない弟弟子を心配したのか、ヨシュアはアーロの顔を覗きこむ。その事実にしばらくしてから気付いたアーロは、「すみません」と小さく謝った。
「あの、先輩、聞いていいですか?」
「どーぞ」
「実は俺たちに隠れて、大地の王と契約してません?」
「は? してねぇよ?」
「昔契約してたとか」
「だからねぇって」
「突然何なんだよ」と、呆れと不満をまぜこぜにしながら、ヨシュアは呟いた。
「いえ……先輩って、女の人には誰にでも優しいのに、シェーラ様だけひどい言いようなのが、気になって」
「話、繋がってるか? まあ、別にいいや。俺にだって、たまには気に入らない女が居たって、しょうがないだろ?」
「それに、家族よりも昔のシェーラ様に詳しかったりするし――まるで、自分がされた事みたいに。だからもしかして先輩は、シェーラ様の……」
 捨てられてしまった最初の子供なんですか? と、質問を最後まで吐き出すよりも早く、ヨシュアは盛大に吹き出した。
「笑うとこですか!?」
「いやいや悪い悪い。つい。うん、いや、そもそも悪いのは嘘吐いた俺だからね? しょうがないんだが、うん」
「今までの話、やっぱり全部嘘だったんですか!?」
「そこまで言ってねえよ! 俺の嘘はちょっと。うん、可愛いもんですよ」
「じゃあ、どこが嘘だったんです?」
 ヨシュアは笑いをかみ殺し、咳払いで喉を整えた。
「昨日の話の中でさ、宝玉に風の王の力を込めた兄弟子の名前、忘れたって言っただろ、俺。それが嘘なんだ」
 ずいぶん遠いところから正され、意表を突かれたアーロは、黙って次を待った。
「昨日は混乱させるかと思って言わなかったんだけどな。繋がらないか? 俺、さっき言ったろ。シェーラが、通りすがりの<守護者>に預ける形で捨てた子供の名前を、お前に付けたって」
「コーラル」
「そう、コーラルだ。ヨシュアじゃない。そして、お前は誰よりもよく知ってるよな? 嘘の名前じゃ王と契約できない事。つまり俺の名前がヨシュアなのは、嘘じゃない」
 それは、ヨシュアはコーラルではなく、シェーラの捨てられた子供ではないと言う、何よりの証拠。
 自分の中にあった仮説をあっさり否定されたと言うのに、アーロは安堵していた。もし肯定されていたら、ずいぶん複雑な関係になってしまうなと、心の中で怯えていたせいだろうか。
「その人――メイヴェルの本当の兄ちゃんは、大地の王と契約してました?」
「お前さっきから大地の王にこだわるね。まあ、してたけどな。コーラルは風と大地の魔法が使えた」
 やっぱり、そうなのか。
 肯定された事で、アーロは肩を落とす。ヨシュアが語るシェーラとコーラルの話と、現実とが、繋がってしまったから、だ。
 メイヴェルは言った。大地の王が、「コーラルとメイヴェルが似ている」と言っていたと。父親違いと言え、兄妹だとすれば納得できる。そして大地の王が語った契約者コーラルも、ヨシュアが語った兄弟子コーラルも、どちらも数年前に亡くなっている。
「じゃあ、メイヴェルの本当の兄ちゃんは、もう……」
 ヨシュアは口元に乾いた笑みを浮かべながら、しかし目はけして笑わずに答えた。
「三歳で捨てられたっきり連絡ひとつよこさなかった母親が、十年ぶりに手紙をよこした。そこには、十年離れていた子供を心配するような言葉は何ひとつ綴られていなかった。書いてあったのは、<守護者>になったなら娘を助けてくれ、それだけだった」
「そんな」
「十三歳と言う多感な年頃に母親――シェーラに失望したコーラルは、自分で自分を消してしまいました、とさ」
 ヨシュアは一度目を伏せ、もう一度開く。その時にはすでにこの場に居ない人物への憎悪を、瞳に宿らせていた。
「ごめんな、アーロ。お前やメイヴェルちゃんにとって、シェーラが大事な存在だって事は、頭で理解してるんだよ。でも、俺は許せないんだ。あの女が」
 ヨシュアが謝る必要はない。アーロがまず思ったのは、それだった。
 昨晩ヨシュアは本当のコーラルの事を、「すれ違いで入った兄弟子」と言っていたが、それも「名前を知らない」と言う嘘に信憑性を持たせるために重ねた嘘なのだろう。ヨシュアは本当のコーラルを知っていて、きっと仲が良かったのだろう。だからこそコーラルを自殺に追い込んだシェーラを、強く憎んでいるのだ。
 当然の感情だろうとアーロは思う。自分の現在が本当のコーラルの犠牲の上にあると理解した上で、それは認めざるを得なかった。いや、それ以上に――たとえばヨシュアが、シェーラと共にアーロやメイヴェルに敵意を向ける事も、充分にありえたのではないだろうか。
 だがヨシュアは、協力してくれると言った。それは、メイヴェルやアーロのためでなく、コーラルのためと言う想いから来ているのかもしれないが――ありがたい、本当にありがたい事だ。アーロは頭が上げられなかった。
 けれどきっと、この人の事だ。ありがとうとか、ごめんなさいなんて言葉、受け取ってくれないのだろう。
「どんな人だったんですか?」
 まともに顔も見られないけれど、沈黙に耐えかねたアーロが口にしたのは、問いかけだった。
「ん?」
「本当の、コーラルさん」
「お前なあ」
 気にしてんじゃねえよ、とでも言われるかと思ったが、ヨシュアが続けたのは予想外の言葉だった。
「何が楽しくて男の顔を誉めないとといけないんだよ」
 拍子抜けしたアーロは、思わず顔を上げてしまった。
「顔……について、聞いたわけじゃないんですけど、何ですか? 誉める以外に説明のしようがないほどの美少年だったって事ですか?」
「ああ。考えてもみろ。メイヴェルちゃんの兄貴だぞ?」
「ああ、そりゃ、美少年に決まってますね」
 間髪入れずにアーロが肯定すると、ヨシュアは声を上げて笑う。「お前どんだけ妹が可愛いんだよ。まあ可愛いけど」などと言いながら。
 つられて、アーロも笑っていた。直前まで絶望的な気持ちでいた事が嘘であるかのように。
 悔しいが、少なくとも今はまだ、<守護者>としての能力以外の色々な部分でもこの兄弟子には敵わないのだと、アーロは認めるしかなかった。


INDEX BACK NEXT 

Copyright(C) 2012 Nao Katsuragi.