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三章



 ヨシュアが洞穴にやってきたのは、昼をいくらか過ぎた頃だった。
「遅かったですね」が、アーロの再会後第一声だ。こんな時間まで何をしていたんだとの、嫌味と質問を兼ねたつもりだったが、通じていないのか軽く流すつもりなのか、ヨシュアは明るく笑って「食いもん仕入れてきたぞー」と、荷物を掲げるだけだった。
 とは言え、食べ物はありがたい。朝から何も食べておらず空腹だったアーロとメイヴェルは、先ほど多少食事を採ったが、アーロが故郷に戻るまでの道のりで持ち歩いていた保存食の残りに、その辺で採れた木の実などを足しただけの、質素なものだったのだ。
「あれだけ追いかけ回されていたのに、買い物する余裕があったんですか?」
「ああ、余裕よ? 向こうは宿屋の主人の情報を元に三人組探しているみたいだし、外見の特徴がはっきり判っているのはメイヴェルちゃんだけみたいだしっ……と」
 ヨシュアはようやく、メイヴェルが会話にまったく入ってこない事に気付いたようだった。
 アーロの肩越しに洞穴の奥を見て、毛布にくるまり横たわるメイヴェルを目に留める。
「メイヴェルちゃん、寝てるのか」
 アーロは頷いた。
「疲れてるんですよ。あと、昨晩とか、全然眠れなかったみたいで」
「そりゃそうだよなあ。怖かっただろうし。じゃ、ゆっくり休ませてやろう。飯は逃げないからな。あ、こっちはお前のぶん」
 ヨシュアは包みをひとつ、アーロに軽く投げてよこした。
 やや固めに焼き上げたパンに、甘辛く煮た豚肉や野菜が挟まっている、手軽な食べ物だ。強い香りやほんのりと残る温もりに、けして空腹ではないはずなのだが食欲を刺激され、アーロはすぐにかじりついた。
「ちょうどいいや、アーロ、少し話そうや」
「はひ?」
「入り口のほうに行こう。ここで話してたら、メイヴェルちゃんを起こしちまうかもしれないから」
 アーロは食べ続けながら、先を歩くヨシュアに着いていく。ヨシュアは宣言通り入り口付近で立ち止まると、立っている事が億劫だったのか、腰を下ろした。
「昨日、話を途中でぶっちぎっただろ」
「先輩が、ですよね」
「まあ、そうなんだが」
 ヨシュアがわざとらしい笑い声を上げる事でごまかそうとしたので、アーロは黙ってごまかされてやる事にした。ひと口には少し大きい残りを丸ごと口の中に放り込み、咀嚼して飲み込んでから、「で、何が言いたいんです?」と、先を促してやる。
「メイヴェルちゃんの首の印の事だよ」
 アーロは無意識に、自身の首の後ろを押さえていた。そこに何もない事は判っていたけれど。
「お前だって判ってるだろ。あの印は、勝手につくもんじゃない。闇の眷族との、契約の証だって」
「そりゃあ……」
 肯定しつつ、アーロは言葉を濁した。
 <守護者>としての修行は、魔法や武術の訓練だけではない。闇の眷族に関する知識を得るための勉強もそのひとつで、ゾーグに「読んでおけ」と机に積まれた大量の書物の中には、メイヴェルの首に刻まれているもののような、闇の眷族との契約の印について記されたものもあった。
 上位の闇の眷族は人や王たちと違う、妖力を有している。それは人が抱える欲望のいくらかを、叶える力もあると言う。だからこそ心弱きものは、願いを叶えるために、闇の眷族と契約してしまうのだと。
 人と契約した闇の眷族は、必ず代償を求める。多くは、極上の餌を。契約した者は、願いの代わりに、己自身や身内の誰かを、餌として差し出さねばならないのだ。
「お前が師匠のところに来る前からついてたって事は、契約したのがメイヴェルちゃん本人とは考えにくい。つまり、メイヴェルちゃんは家族の誰かに生け贄にされたってわけだが」
 ヨシュアはそれ以上言葉にせず、視線だけでアーロに問いかけてくる。
 アーロは息苦しさを感じはじめていた。鼓動が早まる。緊張と言うよりは、恐怖に支配されている気がしていた。
「正解を知っているわけじゃありませんけど……俺は、ひとつ知ってる事があります」
「ほう?」
「ウォレス様は、平気で人を裏切れる人だと言う事です」
「それはまた、意外で新鮮な意見だな」
 ヨシュアは心底驚いたようで、目を丸くしていた。
「まあ、その事実は今は関係ないんだが。犯人はシェーラのほうだからな」
 簡単に断言するヨシュアに、アーロは即座に反論した。
「ちょっと待ってくださいよ。今は亡くなっているけれど、じーさんばーさんだって身内に含まれるわけですし、そもそもの、ウォレス様とシェーラ様の二択ってのがおかしくないですか?」
「カドリーン家に灯っていたほとんどの蜜蝋の火が消されてたんだぞ? 闇の眷族を家の中に招き入れるために、だろう? そんな事、死者にも外の人間にもできやしないだろうが。ま、この条件だけなら、俺とシャナさん含めて四択なんだろうが、相手は闇の眷族が動けない朝昼にメイヴェルちゃんを捕まえるため、あれだけの人数を雇ってるんだぞ。それなり以上に金持ちだろう。で、半年前に高給取れない職に就いたばかりの俺には金がない。シャナさんがこっそり貯めてたってのも考えられるが、そもそもシャナさん血族じゃないだろ。メイヴェルちゃんを贄に闇の眷族と契約なんてできない。ほら、残り二択」
 とっさに反論の言葉が浮かんでこない、流れるような主張に、アーロは唇を噛むしかなかった。諦めて受け入れると、心はあっさりと答えを出した。
 ヨシュアの言う通り、その二択からしか選べないと言うのなら――アーロが選ぶのは、決まっている。
「つっても俺は、はじめからシェーラ一択だと思ってるけどね」
「どうしてですか。そんなわけないですよ。あの人は、たまたま門の前に捨てられていただけの俺を拾って、すぐに受け入れてくれたような人ですよ? 受け入れた後も、実の子と分け隔てなく育ててくれました。そんな人が、実の子を」
「待て待て、アーロ、そもそもお前の認識が間違っているんだよ」
 ヨシュアは手のひらをアーロの顔の前にかざし、態度と言葉でアーロを黙らせた。
「お前が知らない事を教えてやるよ。あの女はな、カドリーン家に嫁ぐ前に、ひとり子供を産んでいる。だがあの女は、その子供を愛さなかった。邪魔にすら思っていたんだろう。通りすがりの<守護者>に押しつけて、さっさと姿をくらましたのさ」
 ヨシュアが語るシェーラ像は、アーロが知るシェーラとはあまりにもかけ離れていて、とても信じられるものではない。
 けれど、否定するために口を挟む事はできなかった。させないだけの力を、言葉に、表情に、込めていたのだ、ヨシュアは。
「やがてウォレス氏と結婚し、可愛い可愛い娘をもうける。親子三人、幸せな日々を送る中でようやく、かつて子供を捨ててしまった事に罪悪感を抱いたんじゃないか。そんな時、お前が、たまたまあの女の目につくところに捨てられた。あの女はお前を拾い、かつて自分が捨てた子の名前をお前に付け、代わりに可愛がった。そうして、勝手に罪を償った気になって、のうのうと過ごしてたんだよ。許されるはずもないのにな」
「違います、そんな」
 アーロはようやく声を出す事に成功したが、すぐにヨシュアの声が覆い被さった。
「何が違う? あの女は結局、実の娘可愛さに、お前をあっさり手放したじゃないか。幼いお前に、闇の眷族と戦えなんて無茶を押しつけたじゃないか」
 でも、先輩は知らないでしょう?
 胸の奥底に眠る感情が生み出した言葉は、喉に詰まって音にならなかった。
 そうだ、ヨシュアは知らない。実の母親に見捨てられた絶望感も、身も心も冷えたアーロにとって抱きしめてくれた人の存在がどれだけ温かかったも。
 シェーラはアーロを家の中に招き入れ、暖炉の火を強くしてくれた。温かな料理を出してくれた。それらは、アーロの命を救ってくれたけれど――それ以上にありがたかったのは、受け入れてくれた事だ。父を知らず、祖父を失い、母親しか家族が居なかったアーロにとって、母親の行為は世界から存在を否定される事に等しかった。けれどシェーラやメイヴェルは、消えかけたアーロの存在を、この世に引き留めてくれたのだ。
 仕方ないではないか。実の子供のほうが可愛いくても。後ろめたい想いを断ち切りたくても。そんな当たり前の願いを叶えるために、アーロに<守護者>になれと言ったり、コーラルになれと言う事が、そんなにも悪なのだろうか? 悪だとしても、かまわない。アーロは、それを受け入れて当たり前だと思えるだけの恩義をシェーラに対して抱いているのだから。
「そして今、我が身可愛さにその実の娘すら切り捨てようとしているなんて、まったく大した女だ……」
「もう、やめてください」
 アーロが低い声で、吐き捨てるように言うと、ヨシュアはようやく唇を引き結んだ。
「仮に、先輩が言う事が全部本当だとしても、シェーラ様がメイヴェルを生け贄にした証拠にはならないでしょう」
 ヨシュアは天井を見上げながらしばし考え込んだ。
「まあ、そうかもな」
「俺は、あの闇の眷族を倒せれば、犯人探しなんてどうでもいいと思ってます。でも、どうしても探すなら――今更証拠なんて見つけられっこないんです。せめて、動機と言うか、メイヴェルを犠牲にしてまで叶えたかった、闇の眷族の力を借りなければならなかった願いが何だったのか、それをまず知りたい。それが判れば、少しは」
「納得できる、か?」
 アーロが睨みながら頷くと、ヨシュアは長い息を吐いた。


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