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三章



 乱れた衣服を整えたメイヴェルは、膝を抱えて座りながら、アーロの帰還を待った。
 勢いで大地の王と契約してしまったが、アーロはどう反応するだろう。勝手な事をしてと怒るだろうか。頑張ったなと褒めてくれるだろうか。表向きがどちらにせよ、自身が契約できなかった相手とたやすく契約した義妹に、何かしら複雑な思いを抱きそうで、それは申し訳ない気がした。
 かと言って、契約した事を秘密にするつもりはない。メイヴェルは契約によって力を得たはずだが、その力の使い方は、さっぱり判らないのだ。本来ならばアーロのように、一人前の<守護者>に弟子入りして教えを請うべきなのだろうが、唐突にこうなったメイヴェルに、心当たりはない。アーロもしくはヨシュアに、教えてもらうしかないだろう。
 静かな空間でしばらく待つと、やがて足音が響きはじめた。メイヴェルが洞穴の入り口に顔を向けると共に、「戻ったぞ」と声がかかる。メイヴェルはすぐに立ち上がり、義兄に駆け寄った。
「待ってる間、何か問題あったか?」
 問題は、なかった。
 メイヴェルは首を振る事で答えたが、僅かな間に何かしらの意味を感じ取ったのか、アーロはいぶかしげにメイヴェルの瞳を覗いた。
「えっとね」
 覚悟していたとは言え、いきなり「大地の王と契約したの」とはやはり言い辛く、メイヴェルは少しだけ離れたところから話題を振る事にした。
「お兄ちゃん、胸に傷とか、あるの?」
「胸? 何でだ? ないけど」
 あっさりと否定され、いきなり会話に躓いた。
 もしかすると、場所に決まりはないのかもしれない。そう考えたメイヴェルは、質問を少し変える。
「体のどこかに、は?」
「さっきから何が聞きたいんだよ。まあ、あるけど。師匠も先輩も、明らかに俺のが弱いってのに遠慮ないから、毎日生傷耐えなかったからなー。おかげでそこら中にあるよ」
「ほら」と、メイヴェルの目の高さに合わせて腕を掲げたアーロは、袖を捲る。覗いた腕には確かに小さな傷がそこかしこにあって、修行時代の苦労を物語っていた。
 けれどメイヴェルが目を留めたのは、腕よりも上、手首のあたりだ。そこには腕のあちこちに刻まれているものよりもはっきりとした傷がある。メイヴェルの胸に刻まれたものによくにた、文字のような傷が。
 その傷に、メイヴェルは手を伸ばした。感触も、よく似ている。何と書いてあるかは判らないが、これがきっと色彩の王の名前なのだろう。
「ああ、それは、色彩の王との契約の証なんだ」
「色彩の王は、何て名前なの?」
「それは聞かないのがお約束なんだよ。王自ら名前を刻まないと意味ないし、そもそも文字判る奴は読めるから、秘密にする意味はあんまりないんだけどさ――って」
 それまで穏やかだったアーロの表情が、急に引き締まった。
「お前、何でこれが名前だって知ってるんだ」
 唐突に問われ、返す言葉を見失ったメイヴェルは、残された魔法陣に縋るように視線を落とした。
 アーロも後を追って魔法陣を見下ろす。そうする事で思いついたものがあったのか、すぐに顔を上げ、メイヴェルを凝視した。
「まさか、大地の王のやつ……!」
 メイヴェルが戸惑いながら頷くと、アーロはしばらく放心したのち、頭を抱えながらしゃがみこんだ。
「ちょっ……俺がさんっざん頼み込んでも駄目なのに、メイヴェルは一度会っただけでいいのかよ。何なんだよ、何なんだよ王たちの人を選ぶ基準ってさ。俺の何がそんなに駄目なんだよ。あー!!」
 大地の王への不満を、最後には奇声に変えて、アーロは叫ぶ。すると、急に押し黙った。洞穴の中で反響する己の声を受け止め、心の整理をしているように見えた。
「えっとね、私が、何年か前に亡くなった契約者さんに似てるって、大地の王は言ってた。コーラルって人だって。知ってる?」
「いや、知らない。俺じゃ、ないんだよな?」
「うん。お兄ちゃんじゃないってはっきり言ってた」
「大地の王が言ったんだと思うと、何かむかつくな。判ってる事でも」
 アーロは盛大にため息を吐く事で気持ちの整理をつけたのか、もう一度立ち上がった。
「何で契約なんかしたんだ。契約は普通、一時的なものじゃすまないぞ。お前はこれから<守護者>として闇の眷族と戦い続けなければならないんだぞ?」
 声は優しい。眼差しも、心からメイヴェルを心配してくれている事が伝わってくる温かさがある。
 けれど言葉は、考えなしで無計画にすぎると、メイヴェルを静かに責め立てていた。アーロにそのつもりがなかったとしても、メイヴェルにはそう聞こえた。
「私がついさっき、この先の人生を決めてしまったんだって事は、判ってるよ。大変なんだって事も、何となくだけど、判る。目の前で見たもの。闇の眷族と戦うヨシュアの姿を。それでも、力が貰えるなら、欲しいと思ったの。私の事なのに、お兄ちゃんやヨシュアだけに戦わせるなんて、やっぱり嫌だもん。少しでも、お兄ちゃんたちの力になれるかなって……!」
 言いたい事をただ語り続けた。言葉は整理されておらず、判りにくかっただろうと思う。
 けれどアーロは、途中で口を挟もうとせず、最後まで聞いてくれた。真面目な顔で、何度も何度も頷きながら。
 ついにメイヴェルが言葉を詰まらせた時も、黙って待ってくれた。待って、メイヴェルがこれ以上何も言えないのだと理解したのだろう。そっとメイヴェルの頭に手を置いた。
「頼りない兄ちゃんでごめんな」
「ちがっ……違うの、お兄ちゃん」
「そうか? じゃあ、言い直す。ありがとな」
 そんなにもあっさりと前言撤回し、しかも嬉しい言葉を続けられてしまうと、メイヴェルはまたも何も言えなくなる。それどころか妙に照れくさく、義兄を直視できなくなり、俯く事で顔を反らした。
「とりあえず、こうなっちまったもんはしょうがない。今回の件が片付いたら、俺は師匠のとこ帰るから、お前も一緒に来い。ちゃんと修行して、ちゃんと<守護者>になろう」
 メイヴェルは黙って頷いた。
「契約ができているなら、魔法を発動させる事そのものはあまり難しくない。むしろ、体に負担をかけないよう、制御するほうが大変なんだ。そう言うのは、ちゃんと師匠みたいな人のそばで学んだほうがいいから……せっかく俺たちを気遣って契約してくれたのに悪いけど、お前はまだ魔法を使うな」
「でも」
 それじゃ、意味がない。
 今決意して、今契約した意味が、まるでない。それはあまりにも、むなしい事だ。
 嫌だと言いたいけれど、アーロがそう決めたなら、メイヴェルには何もできない。今はまだ、魔法を使うためにどうしていいかすら、判らない状態なのだから。
「私は、役に、立てない……?」
「そうじゃない! むしろ、ありがたいさ。大地の王の力はどこでも重宝されるんだぞ。大地に溢れる生命の力を操って、傷を癒したりできるんだからな? お前がどうせ<守護者>になるって言うなら、むしろ大地の王で良かったと思ってるよ」
 アーロは肩を竦めながら薄く笑う。どこか自嘲の意味合いが込められているように見え、メイヴェルは少し悲しくなった。
「師匠みたいに魔力の扱いに長けた人はさ、他人の魔力にも少し干渉できるんだ。だから、素人が下手に魔法を使って暴走しそうになっても、上手く抑えてくれる。でも俺にはそんな力はないし、先輩だって……いやあの人ああ見えてすごく優秀だし器用だから、やろうと思えばすぐにできるようになるのかもしれないけど、今までやってきてないからさ」
 アーロは手近な土壁に寄りかかり、腕を組んだ。
「同じ魔法を使うなら制御の手伝いもできるんだけど、力の源となる王が違うと、できる事が違うから当然、使う魔法は変わってくるだろ? だから――」
 言いかけて、アーロは続く言葉を飲みこむ。
「そうか。同じならいいんだ」
 熱に浮かされたように呟いて、メイヴェルを見下ろしたアーロは、急にメイヴェルの肩を掴むと、興奮気味に揺さぶった。
「お、お兄ちゃん?」
「メイヴェル、いきなりだが、やっぱ魔法使ってくれ。ひとつだけなら、俺も補助できる魔法がある。それで、お前が力を貸してくれたら、突破口が開けるかもしれない」
 ひとりで考え込んで、ひとりで何かを思いついて、自分から禁止した事をすぐにやれと言い出して、ずいぶん勝手だと思わないわけではない。
 けれどその身勝手さが気にならないほど、アーロの申し出はメイヴェルにとって喜ばしい事で、メイヴェルは迷わず、力強く頷いていた。
「教えて。私にできる事を」


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