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二章



「で、これ以上話す前に、ひとつ確認しておきたい事があるわけだ、俺は」
 ヨシュアは手にしていた青い宝玉を懐にしまい込んでから、ろくに口を挟めず縮こまりながら座っているメイヴェルに視線を落とした。
「お前はできる限り、メイヴェルちゃんに何も知らせずにすませたかったみたいだが、すでに『何も知らせず』は無理だ。それは、判るよな」
「はい」
「ま、もともと無茶だったわけだが」
「先輩がこっそり全部片付けてくれれば済んだ話なんですけどね」
「そんな事できると思われていたなんて、信頼厚いなあ、俺」
 ヨシュアが得意げに笑うと、アーロは目を反らしながら肩を落とし、ため息を吐いた。
「って事で、アーロ、説明してやりな」
 落とした肩を、すかさずヨシュアが叩くと、アーロはしぶしぶと言った様子で、メイヴェルに振り返った。
 わざとらしく咳払いなどをして沈黙を誤魔化し、時間を稼いでいるようにも見えて、メイヴェルの心はざわついた。嫌な予感しかせず、不安になっていると、ヨシュアが今度は肘でアーロをせっついた。
「あのな、メイヴェル」
「うん」
「どんな事があっても、お前の事は俺が――俺と先輩が守るから、安心してくれな」
 アーロは強く、メイヴェルの手を握った。
 良くない話をされるだろう事は肌で感じていて、緊張していたメイヴェルだが、語り手である義兄はもっと緊張している事が、触れた場所から伝わってくる。すると、メイヴェルは不思議と気持ちが楽になった、素直な気持ちで頷く事ができた。
 アーロは手を伸ばし、メイヴェルの髪を払う。首にまとわりつくそれが離れると、アーロの表情が歪んだ。思い出せば、義兄は子供の頃からそうだった。メイヴェルの首に刻まれているものが心底不愉快である事を、表情にはっきりと露わにするのだ。
「今日、お前が闇の眷族に襲われたのは、偶然じゃないんだよ」
 アーロの手が、メイヴェルの首に触れる。醜い痣を、隠すように。
「えっと、な、闇の眷族ってのは、人間の血とか肉を糧にして生きている訳なんだが、下等の闇の眷族は常に腹を減らしているような状態で、月の無い、地上に出られる時はとりあえず出てきて、見つけた獲物を片っ端から食い散らす。俺たちがよく話に聞く被害者ってのは、主にこっちのやつらに襲われてるんだ。対して、力のある、妖力の強い闇の眷族たちは、単純に燃費がいいのか、自分の妖力を糧にしているのか、理由は判らないが、あまり食事をしない。目をつけた獲物が、いい頃合いに育つまで、待つんだよ。他の――下等なやつらに横取りされないよう、印を付けてな」
「……つまり?」
 メイヴェルに凝視される事が辛いのか、アーロは俯いた。
「お前は生まれた時からずっと、あの闇の眷族に狙われていたんだ」
 義兄の言う事は、すぐに理解できた。恐ろしい事だとも。だからこそ義兄は直前に、安心しろと言ってくれたのだろう。
 だからメイヴェルは、湧き上がる恐怖心を押さえ込もうと必死になった。腹の奥、喉の奥に閉じ込めようと――けれど上手く行かなくて、血の気が引いていくのを感じていた。顔が、体が、冷たくなって、震える。
「メイヴェル」
 異変に気付いたアーロは、力強い声でメイヴェルの名を呼び、同じだけ力強く手を握ってくれた。
「ごめんな。怖いよな。だから、できれば言わずに片付けたかったんだけど」
 メイヴェルは懸命に首を振った。
「大丈夫だから、続けて」
 迷いを見せてからアーロは頷く。
「印を刻まれた人間は過去に遡ればけっこう沢山居て、<守護者>たちの間で少しずつ解析が進んでいる。印の一部が特定の闇の眷族を示すって事も判っているんだが、人間で言うところの名前みたいな感じで、過去に記録が残っている奴でなけりゃ、どう言う奴なのかまで知るのは難しい。お前を狙っている奴は、判らなかった。三十六年前に、犠牲者が居る事以外はな。それと――」
 長く語り続けたアーロは、息を飲んだ。今までも充分、語り難い事を語っていたと思うのだが、これからはより辛いのだと、無言で語っている。
「個人を示す文様の横に、獲物が十五になるまで待つ、と意味のある文様が刻まれている。だから、お前が十五になる間近になって、向こうは動き出したんだ。本当は、お前の誕生日はちょうど新月だし、それまで大丈夫だと思ってたんだけど――万が一何かあったらと思って、先輩に、さりげなくお前を見守っててもらったんだ。本当にさりげなかったかは、俺には判らないけど」
「ばれないようにって頼まれてんだから、ばれないようにやったって」
「可愛い女の子や綺麗な女性を前にした先輩の見栄っ張りぶりを知っているので信用できません」
「失礼な! 俺は女性を外見で差別しないぞ!」
「誰の前でも見栄を張るって事ですか!? 余計に信用できないじゃないですか!」
 真面目で、命がかかった重い話をしていたはずなのだが、ふたりのやりとりになると、どうも間が抜けたものになる。メイヴェルは急に気が抜けて、声を出して笑ってしまった。
「メイヴェル……」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。ヨシュアはちゃんと、使用人をしてたから。<守護者>だなんて、ちっとも気付かなかった」
「ほらみろ」
「だから、今日まで、何にも気付かず、のんびり過ごせたよ。ありがとう、お兄ちゃん」
 笑ってしまうと、穏やかな心や落ち着いた思考能力が、いくらか戻ってきて、メイヴェルはまず義兄に告げねばならなかった言葉に、気付く事ができた。
 たぶん、そうなのだ。義兄が今日まで――可能ならばすべてを片付けるまで――メイヴェルに黙っていたのは、メイヴェルを怯えさせないためだ。十五歳になる日に絶望し、怯えながら過ごす日々から、メイヴェルを救い出すためだったのだ。
 <守護者>になろうとしたのも、十五になったメイヴェルを守るため。黙って行ってしまったのも、両親に箝口令を敷いていたのも、メイヴェルに<守護者>になろうとした動機を知られたくないため。何もかもメイヴェルのためにしてくれたのに、何も知らず――それが義兄が望んだ事とは言え――に裏切られた気になって、一方的に責めていた自信が、メイヴェルは恥ずかしくて仕方がなかった。
「かっわいいなー! いいなー!」
「先輩、ちょっと黙っててください」
「黙ってられないって! 可愛すぎるって! お前が色彩の王以外にすげなくふられ続けてるのって、嫉妬からじゃねーの? 俺が王なら絶対契約してやんない」
「王たちの心がそんなに狭いわけないでしょうが!」
「え? お前、本気でそう思ってる? あいつら別に立派でもなんでもないぞ。闇の王なんか、ひきこもりの陰気野郎だからな。人間だったら、絶対に社会に適合できない感じの」
「そんな王とよく契約できましたね」
「まったくだよな。会話するだけでひと苦労だったからなぁ。でも、だからこそ、じゃねぇか? 会話できた、お前友達、力貸してやる、みたいな」
「軽すぎるぞ、闇の王……」
 呟いて頭を抱えたアーロは、やがて話が大幅に反らされた事に気が付いて、あわててメイヴェルを見つめた。
「心配するな、メイヴェル。印を刻んだ闇の眷族を始末すれば、印は意味がなくなる。って言うか、消える。そうしたら、いつもの、日常が帰ってくるからな」
 義兄の真摯な眼差しに応えたくて、メイヴェルは穏やかな気持ちで頷いた。
「そうかぁ?」
 しかし、ヨシュアの冷たい声が、穏やかな空気を引き裂いた。
 先にアーロが、続いてメイヴェルが、ヨシュアを見上げる。そこにある顔は、からかったりふざけたりした様子のない、声と同じほど冷たい表情を浮かべていた。
「そうですよ」
 アーロはきっぱりと言い返す。こちらも、先ほどまでのやりとりが嘘のように、厳しい眼差しだった。
「お前が言うなら、そうなのかもな」
 睨み合いに近い状態から、先に脱したのはヨシュアだった。アーロに背を向けて歩き出し、一番端の寝台に腰かける。
「とりあえず、疲れたわ。朝まで休んでいいか?」
「え、ちょっ……」
「美容にも健康にも夜更かしは大敵だぞー。続きは、朝起きてからにしよう。じゃあお休み」
「ちょっ、先輩!」
 ヨシュアは聞く耳持たず、と言った様子で、寝台に横になる。すぐに寝息が聞こえてきたが、本当に眠っているのか、眠ったふりをしているだけなのかは、メイヴェルには判らなかった。
「しょうがない。俺たちも休もう」
 ため息を吐いてからアーロは、メイヴェルに振り返った。
「ああなったら先輩、意地で起きないから」
「起きたとしても、起こさなくていいよ。戦ってくれたから、疲れてると思うし」
「それもそうか」 
 アーロはもう一度ため息を吐いてから言った。
「お休み、メイヴェル」
 久しぶりに聞いた挨拶がくすぐったくて、メイヴェルは照れ笑いしながら返した。
「お休みなさい、お兄ちゃん」


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