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二章



 生まれてこの方カドリーンの家以外で寝泊まりした事のないメイヴェルにとって、宿とは言え知らない部屋で休む事は、少し緊張した。信頼できる義兄も居るし、恩人であるヨシュアも居るので、不安がない事が救いだろうか。
 とった部屋は二階で、普段メイヴェルが暮らしている部屋と、高さは大体同じだ。けれど窓の向こうの風景は、同じ街だと言うのに大きく違っていて、何とも不思議だった。
「窓を開けっ放しにしてると、冷えるだろ。風邪ひくぞ」
 義兄に注意され、景色を見飽きた事もあって、メイヴェルは窓を閉めた。
 風の流れを遮断すると、なるほど確かに温かい。物珍しさに気を取られて、感覚が少し鈍くなっていたのかもしれない。温もりを取り戻しつつメイヴェルは、家のものよりやや堅い寝台に腰を下ろした。
 満足したのか安心したのか、義兄は部屋の入り口へと向かっていく。扉に手を置き、呟きはじめた。
【色彩の王よ――】
 よく聞き取れないが、どうやら詠唱しているようだ。何をしたいか判らないが、邪魔をしてはいけないのだろうと何となく感じ取り、メイヴェルは視線を巡らせ、ヨシュアを見つめた。
「扉を隠しているんですよ」
「そんな事ができるの?」
「実際消す事は無理ですけどね。あいつは色を操れるんで、扉とか取っ手とかを壁と同色にして、一見判らないようにする事はできます。ま、触ったら判るんですけど。開けっ放しにしてても意味ないですし。人間と違う視覚を持った闇の眷族相手にはまず効果ないでしょうし。でも、いざと言う時の時間稼ぎにはなるでしょう」
 闇の眷族相手に効果がないのなら、どんな「いざと言う時」に役立つのか判らなかったメイヴェルだが、納得したふりをして相槌を打った。それよりも気になる事があったからだ。
「私には敬語なのね」
 ヨシュアを凝視しながら、メイヴェルは問う。
「一応まだカドリーン家の使用人ですからね」
「でも、お兄ちゃんの先輩なら、むしろ私の方が」
「いいいい。うん、じゃあ、俺も今から敬語止めるから、メイヴェルちゃんはそのままで」
「え? 敬語使わなくていいんすか?」
「お前は駄目に決まってるだろ」
 期待に膨らんだ弟弟子の眼差しを一瞥した後、ヨシュアは笑いながら返したが、目はちっとも笑っていなかった。メイヴェルへの態度とまるで違う。
「でも先輩、俺も扱いは一応カドリーン家の人間なんですが」
「俺がありあまる才能を無駄遣いして不向きな使用人と言う職に就いているのはお前のせいだぞ? 俺がこの半年でどれだけシャナさんに怒られたと思ってんだ。って言うかな」
 ヨシュアは真剣な表情で弟弟子に向かい直った。
「俺が聞きたい事のひとつはそれだ。コーラルお兄ちゃんって、どう言う事だよ」
「何ですかいきなり。そんなのどうでもいいでしょう」
「あ、でも、それは私も……気になる。どうしてアーロって呼ばれてるの?」
 メイヴェルが重ねて訊ねると、義兄は少し戸惑いを見せてから、観念したように頭を掻いた。
「そもそも、俺の本当の名前はアーロなんだよ。実の母親に名付けられて、八歳までその名前で育ったんだ。で、カドリーン家に拾われる時、シェーラ様にコーラルって名付けられて、それに従ったわけだ。あの時はとにかく寒かったし、温かいところに入れてその後の暮らしが安定するなら、名前なんかどうでもいいと思ってな」
「あっさりしたもんだな」
「命かかってましたから、名付け親を気遣う余裕なんてなかったもので。だいたい、俺、親に捨てられたんですよ? 捨て返したからって文句言われたくはないです」
 義兄――アーロがあまりにも簡単に言うから、メイヴェルは驚いて目を見開く。ヨシュアは気まずそうに、笑みを凍り付かせていた。
「ちょ、先輩。そんな真面目に反応されても困るんですけど。別に俺、今でも母親を恨んでいるとか言う訳じゃないですし。そりゃまあ、母親として慕ってるかと訊かれりゃ否定しますけど、あの人も大変だったんですよ。俺がお腹に居る状態で男に捨てられて、じーちゃんに頼ってなんとか生活してたのに、そのじーちゃんが死んじゃって、生計立たなくなったんですから。最後のほうとか多分、俺に言えないような仕事してまで頑張ってくれてたと思いますし、同じ捨てるでも金持ちの家の前に置き去りにしてくれたのはそれなりに良心的だと思いますし、感謝はしてるんです。これでも」
 ヨシュアはアーロが語っている間止めていた息を吐き出した。
「アーロ、お前……」
「何ですか」
「やっぱり根は素直でいい奴だよな」
「いい奴かどうかはともかく、根っこどころか全部素直だっていつも言っているでしょうが」
「照れるなって。いや本当に、俺、お前を心から尊敬したわ。お前すごいな」
「先輩、誰にでも『すごい』を連発しますよね。すごいです」
「茶化すなよ」
 からかうように笑うヨシュアから、わざとらしく顔を反らしたアーロは、メイヴェルに向き直った。
「話戻るけどな、<守護者>になるために弟子入りした時、師匠に言われたんだ。本当の名前じゃないと王たちは契約をしてくれないから、嘘の名前は捨てろ、ってさ。だから俺は今アーロと名乗っているし、今後もコーラルに戻る事はない。今すぐにとは言わないけど、お前も慣れてくれると助かる」
 メイヴェルはしばらく戸惑っていたが、やがて覚悟を決めて頷いた。
 名前が変わると言っても、義兄ある事が変わるとは言っていない。今まで通りでいいのならば、名前など、大きな問題でないように思えたのだ。
「うん、判った。頑張る」
「ありがとな」
 アーロは安心しきった笑みを浮かべながら、メイヴェルの頭を優しく撫でた。
「はーい。じゃあ、次の質問」
 ヨシュアは勢いよく腕を上げる。
「いや訊きたいのは俺のほうなんですけど」
「お前が訊きたいの、この半年間の事全部だろ。長くなるから後でまとめて話させろ。俺は、今メイヴェルちゃんが名前の事訊いてくれたおかげで、質問がひとつに減ったから」
「はい。判りましたよ。で?」
「お前、なんで帰ってきたんだ?」
「は?」
 アーロはヨシュアをきつく睨みつけた。
「師匠が許してくれないからぎりぎりになるけど、メイヴェルの誕生日までには絶対に帰るって、手紙にも書いたでしょう。届いてません?」
「だから、どうして師匠が許してくれたんだって訊いてんだよ」
 アーロは言葉を失ったと言う体で、丸くした目でヨシュアを見つめる。
「だってお前、未だに色彩の王以外と契約できてないだろ? まさか呪文唱えたふりで、俺を騙せたとか思ってないよな?」
「思ってました」
「矢なんか完全に跳ね返されてたじゃねーか。あの闇の眷族は確かに上級だったが、戦ってみた手応えからして、風の王と契約できて、その魔力を矢に込めてたら、ちゃんと通じたはずだ」
「やっぱりそうなのか……」
 アーロは力無くうなだれ、片手で顔を覆った。
「師匠に認めて貰おうと、限界まで頑張ったんですけど、結局色彩の王以外とは契約できなくて……時間がないんですって言っても、師匠は『雑魚以外とも一人で戦えるようになるまで出さないよ』とか言うし。師匠だって事情知ってんだからさー、もうちょっと融通きかせてくれてもいいっすよね」
「師匠からすれば、行ったところで無駄なんだから行くなって事なんだろうな」
「でも、今戦えないのなら、俺にとっての<守護者>になる意味がなくなる。修行そのものが全部無駄ですよ」
「まあ、お前が言う事も判らなくはないが」
「だから頭きて、師匠の部屋から宝玉ごっそり盗んで、飛び出してきました」
 アーロは荷物を探り、取り出した宝玉を、次々と寝台の上に広げた。色はそれぞれ違う。白いもの、青いもの、赤いもの――それぞれが光を内包して僅かながらも周囲に色を広げるため、混ざりあって複雑な色を作り出していた。
「これは、何?」
 メイヴェルはもっとも手近にあった白い石を拾い上げ、目の高さまで掲げた。
「それは多分先輩が光の王の力を込めた――っと、その前からか。えっとな、師匠がどっかから発掘してきた不思議な石でさ。<守護者>の魔力をいくらか込める事ができるんだ。そうすると、他の<守護者>でも、本来は制御できないはずの他人の魔力を上手く制御して、使えるようになる。込められる魔力には限界があるけど」
「つまり、さっきアーロが強い風で雲を吹き飛ばしたのは、風の王と契約した<守護者>が魔力を込めた宝玉を使ったからであって、実力ではない、と」
「その通りですよ」
 アーロは手を開き、握りしめていた宝玉を、他の宝玉と同様に寝台の上に落とした。
 緑に色付いたそれは、他の石と比べて、放つ光が弱々しい。内包する魔力が弱い――ほとんど使ってしまった、と言う事だろうか。
「に、しても、師匠の弟子に風の王と契約した人居たんですね」
「居たぞ。ちょうど俺と入れ替わりくらいだな」
「へぇ。名前は?」
 ヨシュアはアーロを凝視したまま、数瞬動きを止めた。
「な……なんですか」
「忘れた」
「ボケるには早すぎませんか?」
「誰がボケだ。直接話した事がないんだからしょうがないだろ」
「先輩が弟子入りした時には、卒業していた、と?」
「いや。死んだ」
 返事ではあったけれど、まるで独り言のように力無い呟きをこぼして、ヨシュアは目を反らす。力を失いかけた緑の石を拾い上げ、てのひらの上で転がした。
「じゃあ、それ――形見、って、やつ、です、か……?」
「おいおい。師匠だぞ? そんな可愛い想い入れしてると思うか? 全部でいくつあるかすら把握してないだろあの人は」
「う……それなら、いいんですが」
「あ、青いのふたつあるな。ひとつ貸せ」
 ヨシュアは緑の宝玉を放り投げ、次に青い宝玉を拾い上げた。
「俺も宝玉一個持ってて、エイラに魔力を入れてもらってたんだが、あの闇の眷族が火を操りやがるから、さっきの戦いで使いきってな」
「いいですけど……」
 アーロはヨシュアの手の中にある宝玉を、弱々しい眼差しで見つめた。
「先輩、もう、いいんですよ?」
 言い難いのか、切れ切れに言葉を発するアーロの様子に、ヨシュアは首を傾げた。
「元々俺が帰るまで、の約束でしょう。しかも俺、誕生日までは多分何も起こらないとか言って頼んだのに、おもいっきり何か起こってるし。だからもう、充分ですから、あとはどうぞ、就職活動に精を出して、いい所に雇ってもらってください。あ、半年間で気付いた事とかあったら、それは全部教えてほしいんですけど」
 ヨシュアは更に首を傾け、俯くアーロの顔を除き込む。
「それはどう言う意図で言ってるんだ?」
「へ?」
「可愛い、かっわいい妹ちゃんの前でひとりカッコつけたいだけ、ってなら、とりあえず殴ってやるが」
「まさか。先輩じゃあるまいし」
 アーロは即座に否定したが、余計なひと言が勘に障ったらしく、ヨシュアは軽く握った拳骨をアーロの頭に落とした。
「約束の日まで、あと二日あるだろうが」
「へ?」
「『メイヴェルの十五歳の誕生日までに必ず帰るので、それまで』って、お前は言ったし書いただろ?」
「だから、俺が帰る……」
「メイヴェルちゃんの誕生日まで、な。ったく、師匠に一人前の<守護者>と認められてから初めての仕事で、いきなり契約反故にするなよ。俺の信用、ひいては輝かしい未来に傷が付くだろうが」
 アーロは殴られた部位をさすりながら、顔を上げた。兄弟子を見つめながら、口を開いたり閉じたりを何度か繰り返しているのは、音にする言葉を迷いながら選んでいるせいだ。
「もう少し、ご協力、お願いします……」
 最終的にアーロが選び取った言葉がいたく気に入った様子で、ヨシュアは満面の笑顔で、アーロの頭をかき混ぜた。


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