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九章



 メル・グナと名が刻まれた鉄板をはめ込まれた扉の重みに怯み、イリュウスは立ち尽くしていた。
 重いと言っても、普段はメルの弟子たちが出入りしているのだ。多少頑丈なくらいで、鍵でもかかっていない限りは、父親譲りの怪力を誇るイリュウスに開けられないものではない。
 イリュウスを凍り付かせる重圧は、心理的なものだ。扉の向こうに居るだろうメルの厳しい視線や言葉を想像すると、無意識に構えてしまうのだった。
 この程度の事に怯んでいてどうする。西の勇者を超えようなどと大それた事を考えている人間が、他の何に恐れると言うのだ。
 イリュウスは自身にそう言い聞かせ、扉をノックをしてから開けた。返事を待たなかったのは、障害を勢いで無理矢理乗り越えようと思ったからだった。
 ぎっしりと本が敷き詰められた本棚や、薬品類が納められた戸棚、一見金庫だがおよそ金庫とは思えないほど厳重に閉じられた鉄の箱などが四方の壁を埋め尽くす部屋は、研究室と言う響きから想像するものより、遙かに整然としている。だが、その中心にある、椅子が六つ備えつけられている広い机の上は、開きっぱなしの本が数冊と何十枚もの羊皮紙が散らばっていて、何とも違和感があった。もっとも、机にはりつき現在進行形で書類に向き合っている女性がふたり居るのだから、仕方がない事かもしれないし、そもそも普段から部屋全体がそのていど散らかっている研究室の主であるイリュウスが、どうこう言える立場ではないのだろうが。
 そうしてイリュウスが軽く部屋の中を見回せるだけの時間が無言のまま過ぎ去ったが、扉に背を向けて座るメルは、振り返るどころか顔を上げもしなかった。よほど集中しているのか、わざと無視しているのか。
 そろそろ声をかけるべきだろうかと、イリュウスが口を開きかけた時、メルの向かいに座る、メルの一番弟子であるカレニナ・ドリス――メルとイリュウスはカレンと呼んでいる――が顔を上げ、驚いた様相で声を漏らした。
「ローゼンタール導師」
 瞬間、メルがすばやい動きで振り返った。
 向けられた厳しいまなざしに、予想していたよりも強い感情がこめられていて、イリュウスは息を飲む。
「あら、イリュウス、何しに来たの?」
 わざとらしいほど嫌味ったらしい言い回しに、イリュウスは苦笑するしかなかった。
「最高導師様か誰かに言われて、あたしを止めに来た? そうよねぇ。あたしを失うなんて、この学院にとって、随分な痛手だろうから。ラバンなんて弱小国にとっては、百年に一度の逸材だものね、あたし」
「メル様。ローゼンタール導師が困っていますよ。まずお話だけでも聞いたほうが……」
「あたしはね、情けないのよ!」
 メルは大きな音を立てて手にした本を閉じ、机に叩きつける。イリュウスの位置からは装丁と題名しか見えないが、どうやら近隣の遺跡に関する書物だろう事が判った。宣言どおり探索を諦めておらず、下調べに余念がない、と言うところだろう。
「あたしは十歳の時から魔術師になりたいって頑張ってきたけどね、こんな、魔術後進国に生まれて、凄く苦労したわよ。いい教師も居ない、読みたい本もない。オランに生まれていれば、もっと早く向上できていたかもと思うわけよ。そう思わない?」
 勢いに押されたイリュウスは頷くしかなかった。
「でもね、だからってあたしは諦めなかった。だってこの国には、オランにはないものがひとつあったんだもの。古代王国時代にもぞんざいな扱いをされていた地域だからと、近年までまともに調査されていなかったからこそ発見された、誰も足を踏み入れた事のない遺跡。誰も知らない秘密を、この国は握っている――あたしは、それだけを支えに魔術師として頑張ってきた」
 大げさな身振りと共にある熱い語りは、やや演技が入っているようにも見えたが、奥に潜む願いに嘘はないのだろうと、イリュウスは感じていた。
「そしたらどうよ。十五年も前、国がその遺跡を発掘しようとか言い出すじゃない。西方最強の戦士でありながら、優秀な賢者でもあった西の勇者を隊長として。あたしがどれだけ悔しかったか判る? 十三歳の少女が抱くささやかな夢を、国と英雄とで全力で踏み潰そうって言うのよ? なんとか食い付いて、調査に参加させてくださいってお願いしても、子供だから駄目だとか言われるし――ああ、思い出すだけで腹が立つ!」
 メルは思い出す事で燃え上がる怒りを拳に託し、机に叩きつけた。会議室のものに比べて明らかに質で劣る机は、軋む音を立てながら、大きく揺れる。
「だからって別に、西の勇者に失敗してほしかったわけじゃない。誰かが仕入れた新たな知識は、あたしの成長に役立つものになるから。一段とはやく成長して、自分の手で新しいものを探せるようになればいい。そう思った」
「らしくないな、メル。言いたい事は簡潔に話した方がメルらしいぞ」
「あんたと出会えた事は幸運だと思ったのよ!」
 眉間に皺を寄せたメルは、部屋中の空気を震えさせる勢いで叫んだ。
「西の勇者が失敗した時、あたしは夢を取り返した。それと共に、夢が何十倍にも重いものになった。西の勇者が攻略できなかった遺跡を、あたしに攻略できるのかって――そんな時に出会ったのがあんただった。あんたは、魔術に関しては見習いに毛が生えたようなものだったけど、その頭脳の優秀さは半端じゃなかった。悔しいけど、初めて負けたと思ったのよ。それに加えて、あんたは西の勇者の息子だった。私と同じ、遺跡攻略に夢を抱くはずだと信じてた。同じ夢を持つ、優秀な相棒。あたしは夢に何歩も近付いたと思ったんだから」
「つまりお前が言いたいのは」
「なによ」
「導師全員が反対した事ではなく、俺が反対した事に失望しているのか?」
 どうやら図星だったらしい。メルは口を開けたまま動かなくなった。
 ふう、とわざとらしいため息をついたイリュウスは、カレンとメルの間にある椅子に腰掛ける。そうして目線の高さを近付けてから、メルとカレンの顔を交互に覗いた。
「勘違いされているようだが、俺は反対していない。金と人命を無駄にするなと言う、常識を口にしただけだ。西の勇者は今でこそ名声のみが残っているが、当時はそれなりの陰口や非難の声があったんだよ。西の勇者と言う名に驕り、無謀な挑戦をしたとな」
 遺跡調査に参加した冒険者や魔術師たちの家族は、突然の訃報を素直に受け入れられず、どうしようもなく悲しかったのだろう。その悲しみはやがて怒りとなって、国や、学院や、イリュウスたち西の勇者の家族へ向けられた。失敗などありえないと思っていたからこそ、信頼を裏切られて辛かったのかもしれない。
「だから俺は、あの時点で、企画には賛成していた。それに加えて、色々考えて決めたよ。俺も、北の遺跡の発掘調査に参加させてくれ」
 顔を近付けてイリュウスを凝視したメルとカレンは、ほどなくして同時に互いに向きなおり、見つめあう。強張っていた表情は徐々に柔らかくなり、やがて笑みへと変わった頃、唐突に抱き合った。
「やったわね、カレン!」
「はい、メル様! これでお金も入ります!」
 イリュウスは脱力した。二人は、イリュウスが仲間入りした事に対して純粋に喜んでいるわけではないようだ。
「金?」
「はい、二名以上の導師が認めた高度研究および調査には、学院から最低五万ガメルの助成金が出ているんです。これで、五万ガメルが手に入ります。少しは楽になりますよね」
「最低五万なら、もっとふんだくれるんじゃない?」
「でもメル様、定例会議でアリフィド導師に喧嘩を売ったとおっしゃっていたではありませんか。経理の最高責任者はアリフィド導師ですよ。規定ですから最低額は出してくれると思いますが、それ以上は……」
「大丈夫よ、ニネアのババァ、イリュウスの事凄く気に入っているもの。イリュウスが申請に行けば多少は色付けてくれるんじゃないかしら。いっその事、イリュウスを二、三日貸し出すとか……」
「こら待て。俺がどうしても必要だ、みたいな事言っていたが、そう言う意味でか」
 メルは一瞬動きを止めてから首を振った。
「そんな訳ないじゃない。あんたは大切な相棒よ」
「じゃあその妙な間はなんだ」
「気にするんじゃないの! 細かい男ね!」
 メルはひとつ咳払いを挟むと、何事もなかったかのように話を変えた。
「じゃあとりあえず、基本的な事を決めましょう。企画発案者はあたし。で、責任者はイリュウスね」
「まてまて。どうしてそうなる。発案者と一緒で問題ないだろう」
「まあまあ。考えてごらんなさい。これを実現させるためには、色々な人の協力が必要でしょう。だから、『ああ、この調査は本当に凄いものなんだ』って思わせないといけないのよ。そのためには、有名人の名前をずらりと並べておくのが効果的でしょう? あたしの名前は一回で充分」
「だからってなんで俺が」
「うざったいわね! あたしがやりたくないからに決まってるでしょ。いいじゃない、成功すれば名声はあんたに集まるんだから。で、次が会計。これはカレンでいいわね」
「え……」
 イリュウスは即座に手を挙げた。
「意義なし。俺より研究費の方が大事らしいからな」
「そ、そんな……」
 導師ふたりに笑顔で睨まれて、カレンは縮こまった。しばらくしてメルがぽん、とカレンの肩を叩くと、諦めたように静かに息を吐く。
「はい決まり。じゃあ、助成金の申請は明日するとして、まずは情報と人材集めね。特に人材は手ごわいわ。西部を代表するような戦力をかき集めないといけないけれど、満足に報酬は支払えない。タダで死んでくれって言っているようなものよ」
「メル様やローゼンタール導師のように奇特な人を探すしかないと言うわけですね」
 何やらひっかかる言い回しだったが、本人に悪意はないようだし、自覚はしていたので、イリュウスは文句を言わず受け入れる事にした。、
「そう言う事だ。で、俺は少々、奇特な人物に心当たりがある」
「そう言えば、妹さんってけっこう腕のある精霊使いだったわよね。フィアナちゃん、だっけ?」
「確かにあいつは喜んで行きそうだが、子供を産んだばかりだぞ?」
「あら残念」
「だからメル、とりあえず情報収集はカレンに任せて、転移の術で俺をエレミアまで運んでくれないか。その後ロマールにも行きたいから、お前も一緒に」
 メルはしばらく考えたそぶりを見せたが、すぐに納得したようで、
「なるほどね、判った」
 と頷き、机に立てかけていた杖を手に取った。


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