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一章 神の子と魔物の子




 リタが手綱を操る馬上において、アストは心は浮かれていた。
 馬上から見下ろす景色は、視点が高いところにあるためか、地上を歩きながら見る時と印象が大きく違っている。かと言って、進むたびに少しずつ変化していく様は、城の上部の窓から見下ろすものともまた違い、新鮮な感覚だった。
 アストは表面上おとなしくしていたつもりだが、リタはアストが楽しんでいる事をとっくに察しているようだった。けして馬を駆けさせる事なくゆっくりと進み、楽しむ余裕をアストに与えてくれている。
「もしかして、馬に乗るのはじめてなの?」
 アストの指示によって、ザールの中心を縦に走る大通りに辿り着くと、リタは馬に乗ってからはじめて、道に関係ない質問を口にした。目的のザール城は、未だやや遠いところにあるとは言え、正面に現れている。余計な会話をしても道を誤らない自信ができたのだろう。
「うん。必要ないしね。俺、生まれてから一度もザールを出た事ないし」
「確かに、必要はないか。私も必要があって乗ってるわけじゃないし――あ、一応訂正しておくけど、貴方は一度だけザールを出た事あるわよ」
 ザール以外の場所の記憶が一切ないアストは、目を丸くしてリタを凝視した。
「そうなの? 小さい頃?」
「そう。貴方が赤ん坊の頃。だから当然覚えてないだろうけどね。ついでに言うなら、私はその時、貴方に会ってるの。だからさっき、『はじめまして』って言わなかったでしょ」
 言われてみればそうだった。彼女はアストに対して「こんにちは」と挨拶したのみだった。聞いていたアストはあまり意識していなかった――と言うより、母が目の前に現れた事に驚くので精一杯で、会話をする余裕がなかった――が、リタはきちんと意味をもって言葉を選んでいたのだ。
「じゃあ、俺は、王都の大神殿に行った事があるの? それとも別の場所?」
「大神殿でよ。ほら、全ての子供はさ、産まれた時にエイドルードに仕える者から祝福を受けるでしょ? で、貴方に祝福を与えたのが、私なの」
 アストは首を捻った。
「それだけのためにわざわざ大神殿に? ザールにだって神官は居るし、神官たちが駄目でも父さんで充分じゃないかなぁ……」
「その辺はちょっと事情があってね。馬鹿馬鹿しい話なんだけど」
 リタは眉間に深い皺を刻み、あからさまに不快を混ぜ込んだため息を吐く。直後、唇を尖らせながら、刻まれた皺を消し去ろうと、指で軽く眉間を揉み解しはじめた。
 可愛らしい仕草であったが、同時に間抜けにも見え、アストはリタの目を盗んで肩を震わせる。
「そう言う事か」
 皺の具合を見ていたアストは、しばらく時間がかかるだろうと油断していたが、リタが新たに声を発したのは、思いの外早かった。
「あの子、さっきの、ユーシスって言ったっけ? 彼が例の、レイシェルさんの息子ね? カイが祝福を与えたって言う。ああ、だからジオールの部下の方が良かったのね。ザールに滞在している聖騎士たちは、あの子の事よく知っているもんね。快く引き受けない人も多そうだし、最悪、警護を放棄して、あの子を見捨てるかもしれない」
 カイは怯えて身を硬直させたが、すぐに解した。どうせ後で説明しなければならないと覚悟していた件を、すでに知っていると言うならば、むしろ気が楽だと気付いたからだ。
 何より、この短時間で、アストはリタに対して好感を抱いていた。言動も雰囲気も考え方も、気持ちのいい人だと。彼女ならば、ユーシスを魔物の子として嘲る事はないだろう。
「貴女もユーシスの事を知っているんだ?」
「知ってるも何も、馬鹿馬鹿しい話に関係してるのよ。貴方、カイがあの子に祝福を与えた事実を知ってるって事は、そうなった経緯も知ってるのよね?」
「うん。さっきユーシスに聞いたばかりだけど。神官たちがやらなかったから、代わりに父さんがって」
「さっき? ユーシスに? あー、まあいいや、その辺は後で。カイがあの子に祝福を与えたのはね、完全にカイの独断だったわけよ。神官たちの反対を押し切った強行って言うのかな。結果、やつらいわく『魔物の子』が、この国で最も輝かしい祝福を受けちゃったわけ。くだらない神官たちを黙らせるには他に方法がなかったんだろうけど、王族ですら大司教の祝福しか受けられないってのに、思い切ったわよねえ、カイは……」
「父さんは間違ってないよ」
 我慢できずにアストが口を挟むと、リタは少し寂しそうな笑みを浮かべる。弱々しい表情は、彼女が最初に見せたものと同じなのだが、多少なりともリタの事を知った今となっては、違和感を覚えるものだった。冬の終わりにちらつく雪のように、はかなく消えてしまいそうだ。
「そうだね。私もそう思う」
 リタはアストの頭に片手を置き、淡い金色をかき混ぜる。
 それは口にできない感情を覆い隠すための行為だったのか、手の動きが止まった時には、リタの笑顔は明るいものに戻っていた。
「さて、問題です。あの子から遅れる事数ヶ月、産まれた子供は誰でしょう」
 問いはなかなか曖昧で、ザール中を探せば答えはいくつかあっただろうし、国中を探せば無数と言って良いほどにあっただろう。しかし外を知らないアストに考え付く答えは、たったひとつしかなかった。
「俺?」
「正解。じゃあ次の問題。元々あの子を良く思ってなかった連中は、貴方の事をどう思っているでしょう」
 今度はアストが眉間に皺を刻む番だった。リタが言わんとしている事はまだ理解しきれていないが、不快な事に違いないだろうとの直感が働いたのだ。
「とても、大切に思ってる」
「正解。カイに『勝手な事するな!』って文句言う度胸すらない連中は、『我らの救世主アスト様が、魔物の子ごときに劣る扱いを受けるなんて我慢ならない!』と思ったわけね。だから、貴方が受ける祝福は、あの子が受けたものよりももっと立派なものであってほしかった。だけど、祝福を与える立場にある者で――って言うか、この国に生きる全ての人の中で、カイより位の高い存在なんて、当の貴方以外には居ないわけよ。しょうがないからカイが祝福をって話に一度はなったのだけど、同じ人物が祝福するならなら、順番が後の分劣ってる感じがして、彼らは面白くなかった。そこで思い出したわけね。カイより上は居ないが、同等な存在が、王都の大神殿に居るじゃないか、と。で、私が貴方の誕生を祝福する事になったわけ」
「それだけ?」
 眉も目も口も、顔の中にある全てを中心に寄せるように顔をしかめたアストは、呆れた勢いで出した自身の声の低さに驚いた。自分はこんなにも冷たい声を出せるのかと。
「それだけ。情けない話でしょ」
 リタは失望を混ぜ込んだ笑いを漏らした。
「とは言え、これって、貴方がセルナーンに来た理由にはならないのかなあ。元々は、私がザールに行くって方向に話が進んでいたし」
「そう言えばそうか。俺が父さんより偉いなら、俺は貴女より偉いって事だし」
「自分で言うと可愛くないぞ」
 リタはアストのこめかみを軽く小突き、頬をつねった。
 痛みで頬が軽く熱を持ったので、アストは小さく暴れて痛みを訴えと、「ごめんごめん」と笑いながら軽く言い放ったリタは、柔らかな手でアストの頬を撫でてくれた。
「結局、何で俺が王都に行く事になったの?」
「せっかくだから大神殿で盛大な儀式を行いたいってのもあったんだろうけど、一番は私がザールに行きたくないって駄々こねたからかな。私に祝福させるなんて、完全に神殿がわの我侭だから、譲歩してくれたみたい」
「今は来てるのに、何で十年前は来たくなかったの? めんどくさかったから? 王都に比べたらずっと田舎だし」
 リタは静かに首を振った。同時に揺らめく長い金髪は、傾きだした陽の光を反射し、周囲に無数の光を振りまいた。
「あの頃はザールに会いたくない人が居たから、かな」
 目を細め、徐々に近付いてくるザール城を見つめるリタは、手綱を両手で握り締めた。そして馬の腹を蹴ると、突然走る速度が上がる。
 アストは必死に馬にしがみつき、崩れかけた態勢を整えた。
「大丈夫?」
「大丈夫だけど、なんで突然」
「だって、目立ってるみたいだから、ちょっと嫌かなって」
 言われて周囲を見下ろすと、ザールの住民たちがちらほらと、通りの左右に集まりはじめている。普段、アストがひとり歩いているだけでも注目されるのだから、リタと居ればいつもの倍、いや、それ以上目立つのは、必然と言える事だった。大人たちならば尚更だ。彼らは、生前のシェリアの記憶が残っているであろうから。
「ま、そう言うわけで、私は元々貴方に借りがあったの。だから、私が貴方の友達を守るために自分の部下を貸してあげた事、恩に着なくていいわよ」
 アストはリタに背中を預け、真上を見るような格好で、リタの顔を覗き込んだ。
「友達?」
「違うの? あんなに必死に守ろうとしてたのに?」
「だって、昨日会ったばかりだよ」
 リタは小さく吹き出した。
「関係ないでしょ。いつ会ったかなんて」
「そうなのかなあ」と小さく呟いた言葉は、風に遮られてリタには届かなかった。速度が上がれば会話すら難しいのだと悟ったアストは、口を閉じ、リタと同様に正面を見つめる。
 陽の光を浴びたザール城が、すぐ近くに迫っていた。
 アストは片手で自身の胸に触れてみる。何かが胸の奥で渦巻くような感覚に、落ち着かなかったからだが、触れてみたところで治まる様子はなかった。
 風の中でアストは思った。治まらなくてもいいのかもしれないと。これはきっと悪いものではないのだろう。
 歓迎すべき心地よいものが、芽生えた証なのだ。


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Copyright(C) 2008 Nao Katsuragi.