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「熱心だな」
 頭上から声がかかったから、私はテキストに向けていた目を上げた。
 目が合うと、大地は小さく微笑んで、私の正面の椅子に座る。そこから、大地から見ると逆さになってるテキストを覗きこんだ。
「まあね」
 素直に肯定して、ちょうどいい温度まで冷めたハーブティーをひと口、飲む。
「意地はるのやめて、おじさんからの仕送りを使わせてもらう事にしたの」
「ああ、遠慮すんな。使え使え」
「だから、バイト全部やめちゃった。おかげで、勉強する時間がたくさんできた」
「いいじゃん」
 大地はにこにこ笑ってる。すごく、嬉しそうに。
 そんな顔で見られるのが、恥ずかしいような悔しいような、複雑な気分で顔をそらす。
 そうして私の視線の先にあらわれたのは、ここにしっかりと根を下ろしたノイバラ。
 小さな白い花が咲く日は、そう遠くないんだろう。すでにいくつかのつぼみがついている。
 別に、勉強するだけなら、アパートでしたっていいんだけど――なんとなくここに居座ってしまうのは、もう何も残っていない想いでの場所の片鱗が、ここにあるからだ。
「ところでさ、野ばら」
「ん?」
「バイト、する気ない?」
 私は大地に向き直った。
 何言ってるんだろうって、まず思った。
 バイトやめて、勉強してるって、私、言ったよね? それを、「いいじゃん」って、大地も肯定してたよね?
「私の話、聞いてた?」
「聞いてた。だから、都合いいなと思って」
 大地は手にしていた紙を、つっと、テーブルの上を滑らせて、私の前に持ってくる。
 アルバイト募集の公告。それだけなら、はらいのけていたかもしれないけれど、私は大地の手から奪い取るようにして、じっと目を通した。
 ハーブ園からの募集だった。
 休日、特に長期休みの時なんかに、けっこう観光客が入ってる、あの、大きな。
 いいな、って、素直に思った。いい経験になるだろうし、勉強にもなるって。
「そこのオーナーさんからさ、直接バイトのお誘いが入ったんだよ。うちのサークルにさ」
「何で?」
 って、反射的に聞いてしまったけど。
 完全な素人より、少しでも経験のあるバイトのほうがありがたいのは、当然だなって思った。だから、園芸サークルに直接声をかけるのは、疑問に思う必要もない、普通の事なのかもしれない。
 そう、考え直したところで、大地が意味ありげに笑った。
 何なの、さっきから。
「学祭、たまたま見に来てたらしい」
「それで?」
「販売していたハーブとか、一緒につけて育て方の説明書いてあるカードとか、よくできていた、って褒めてたよ」
 だから、と、大地は続ける。
「このバイト、やってみたいって言ってるやつ他にも居るけど、野ばらがやりたいなら、みんな譲るってさ」
 むこうが一番ほしがってるのは野ばらだしな、と言って、大地はまた笑う。
 でも、今度はもう、笑われてもちっとも気にならなかった。
 ホントだ。
 大地の言った通りだった。
 動いてみろって。目標に向かって突き進んで、汗かいてみろって。そうすれば、道は切り開かれて、先が見えてくるって。
 大地が言った通りだった。
「やる」
「そ」
 そうと決めたら、居てもたってもいられなくなった。
 テキストを全部片づけて、立ち上がる。手には、バイト募集のチラシ。今、すぐにでも、行ってみたいと思った。今日からすぐに仕事、ってわけにはいかないだろうけど、でも、見に行きたかった。そうして近付く事で、夢にも近付けるような、そんな気がしたから。
「大地、ありがとう。あと、ごめんね」
 情報をくれたお礼と一緒に謝ってみると、大地は眼を丸くした。
「ありがとうはともかく、ごめんねって何だよ」
「私のほうが先に夢を叶えちゃうかもしれないから」
 少しだけ身を乗り出して、大地に顔を近づけて、からかうように笑ってみる。
 でも大地は、「夢は競争するもんじゃないだろ」なんて、平然と返してくる。
 何よ。余裕しゃくしゃくで、つまんないの。少しくらい慌ててみればいいのに。可愛くないんだから。
 大地に背中を向けて、こっそりため息吐いてから、「じゃあね」とだけ小さく言って、私は歩き出す。夢に向かって、一歩ずつ。
 だけど、背中から、大地の声がかかったから、足を止める。
「いつか、一緒にやるってのはどう?」
 なに、ソレ。どう言う意味よ。
 振り返った。大地は、どんな顔してそんな事言ったんだろうって、確かようと思って。でも確かめられなかった。大地はすでに、私に背中を向けていたから。
 ただひとつ判ったのは、大地の耳が、びっくりするほど真っ赤になっていた事。まるで、薔薇の花みたいに。
 ――なんだ。
 可愛いところも、あるじゃないの。


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Copyright(C) 2012 Nao Katsuragi.