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五章 守り人の地




 魔物に襲われ窮地に追い詰められたザールの要請に大神殿が応じ、遠征隊を派遣したのである。任務に失敗すると言う事は、ザールの平和、ザールの民の命を失う事であり、エイドルードの名の下に勤める聖騎士団の名誉、しいてはエイドルードの名を汚す事でもあるのだ。色々な意味で失敗は許されないのだと、ハリスは小さく息を吐いた。気負うつもりは無いが、責任の重さは否定できない。
 ザールの兵士たちと協力し、ザールの守備と叶うならば魔物の殲滅を成し遂げるにはどうするべきかと、思考を巡らせていたハリスだったが、ザールの兵士たちが思っていた以上に頼りになるのは幸いだった。過去、魔物が直接ザールを攻めた事は無いそうだが、ザール近くの猟場や川などに現れる事は年に幾度かあるらしく、ザールの兵たちは魔物に対する訓練を受けているらしい。しかも、幼い領主にはかなりの人望があったようで、領主の死と魔物の蛮行は、ザールの兵士たちに団結心と魔物に対する憎悪をしっかりと植えつけた。冷静な判断力を奪う恐れもあったが、魔物との戦いを恐れるどころが喜ぶふしさえある意志は、心強いものだ。
 城の外観図と周辺の地図を借り、兵士長の協力を得て、一切の死角が無いよう見張りを立て、警戒態勢を敷く。人員に限りがあるため、片がつくまでの間、ザールの兵士や部下たちには体力的にも精神的にも疲労を強いる事になるのが気がかりだが、手を抜くわけにもいかなかった。敵は内部にも居る可能性が高いのだ。その上、外から不意打ちなど食らってはたまらない。
 しかし、疲労の蓄積は、過ちを強いる主原因だ。誰かが犯した小さな過ちが、ザールにとって致命的な結果に繋がるかもしれない――短期決戦を望む気持ちが強まったハリスは、いっそ今宵全ての魔物が攻めて来てくれればよいのにと、不謹慎な事を望んでしまった。
「ハリス様!」
 聞き慣れない声に名を呼ばれ、ハリスは振り返った。名前は判らないが見覚えのある顔の青年で、記憶違いでなければ、ジオールの部下であるはずだ。
「どうした」
「ジオール隊長より、至急、リタ様とシェリア様のお部屋にいらして欲しいとのご伝言です」
 ハリスは眉を跳ね上げた。
 魔物に操られたランディによってシェリアが襲われた直後、ジオールは言ったのだ。「貴公はまずザールの警備を固めるべきだ」と。「その間、シェリア様とリタ様の護衛は私に任せろ」と。故にハリスは、護衛隊としての部下を一時的にジオールに預け、兵士長との打ち合わせや兵の配備に専念したのである。
 そのジオールがハリスを呼びつけるとなると、よほどの事があったとしか思えないではないか。
「シェリア様たちに何かあったのか?」
「魔物が操ったと思わしき使用人に襲われましたが、大事には至らず、心配無用との事です。ただ、その件に関して重要な話がある、と」
「判った。すぐに行こう」
 ハリスは疲労の抜けない体に鞭打って、神の娘たちの部屋へと走った。
 部屋の前で待機する聖騎士たちは、申し訳なさそうにしながらも、ハリスに不審な点がないかを確認した。ジオールの指示だろう。相手が上官とは言え、現在の状況を考えれば正しい事だと納得し、ハリスは中に入る事が許される時を大人しく待った。
 扉が開き、中に足を踏み入れる。足元の絨毯に染みが残っている事に気付きながらも、部屋の中心の円卓に着いて待つ三人の元へ急いだ。ジオールは立ち上がってハリスを迎えようとしたが、必要ない事を手で示して制止すると、空いている椅子に腰を下ろす。
「重要な話とは、何です?」
 気が急き、第一声から率直に訊ねると、ジオールは周囲――主に入り口の方を――確認してから口を開いた。
「私はリタ様の護衛隊長としてこの隊に同行したまで。最終的な判断も、決定権も、貴公にあるとの前提を忘れているつもりはない。その上で、ひとつ提案したい事があるのだ」
「何でしょうか。有効な案ならば、いくらでも採用しますが」
「失礼いたします」
 聖騎士たちの許可を得たのか、盆を持った女性が入ってくる。ジオールは視線だけを動かして使用人の動きを確認すると、話を続けた。
「先ほど魔物に操られた女性が、貴公の指示だと言って、おふた方に薬入りの飲み物を運んでくるとの事件が起こった。おふた方が茶に口を付けられる前に魔物の手先であると判断できたために害は無かったが、シェリア様が『そのような事を頼んでいない』とおっしゃってくださらなければ、どうなっていたか判らん」
「ジオール殿らしくもない失態ですね」
 嫌味ではなく、純粋に驚いて言葉をこぼしながら、ハリスは無意識に、たった今入ってきた女性を睨みつけていた。彼女が先ほどの事件の犯人でない事は判っているが、魔物の手先でない保証はないし、魔物だとすれば、同じ事をする可能性もある。
 怯える女性に、リタがそっと手を重ねた。無邪気に微笑みかけ、「貴女の事は疑ってないから、安心して」と声をかけると、女性の緊迫した表情が和らいだ。
 リタが触れる事で魔物ではないと納得したハリスは、女性に向けていた視線をジオールに戻す。
「普段ならば部屋に通しもしないのだが、貴公の指示だと言われて納得してしまった。相手が遺体を操ると知り、戦場に出そうもない女性ならば死ぬ機会は少なく関係なかろうと、無意識に油断していたのだろう。謝罪の言葉も無い」
「ま、シェリアに確認しようって思ったくらいに疑ってはいたんだから、大丈夫なんじゃないの」
 何気なく紡がれたリタの言葉の中に、ジオールを庇おうとする想いが混じっている事に気が付いて、ハリスは誰にも気付かれないよう小さく笑った。リタが脱走を繰り返していた頃の話を聞いた時は、どうなるかと思ってふたりだったが、なかなか上手くいっているようである。
「ハリス。これほどの短時間に、二度も御子が狙われている。戦力の低下は否めないが、お三方にはセルナーンの大神殿に帰っていただいた方が良いのではなかろうか?」
 ここからが話の本題とばかりに、ジオールはやや身を乗り出しながら言った。
「それは私も一度は考えました。しかし、お三方を無事に大神殿へ送り届けるだけの戦力を割いてしまうと、ザールの救援と言う使命が蔑ろになってしまうでしょう。ただでさえ若き領主を失ったばかりで傷付くザールの民を見捨てるような真似は、エイドルードがお許しになりません。おそらくは、御子様も」
「もちろんそれは承知している。故に、今すぐ帰っていただこうとは言わん。今すぐ増援を求める急使を出せば、明日には増援が到着するはずだ。その後、帰っていただくと言う形はどうだ?」
 ハリスの前に器が置かれ、湯気と共に立ち上がる甘く品良い香りが、ハリスの鼻腔をくすぐった。
 僅かに波立つ茶を見下ろしながら、ジオールの言動の端々に覚える違和感について、ハリスは考えていた。
 彼の提案そのものに、さしたる問題はない。疑問点を上げるとすれば、増援が明日到着すると言う判断は希望が勝ちすぎている点だが、その点に違和感を覚えたわけではない。
 なぜ彼はわざわざハリスを呼び寄せたのだろう。ザールの警備に専念しろと言ったのは彼なのだから、提案があるならば彼がハリスの元に足を運ぶべきではないだろうか。
 御子の元を離れられないと判断したのだとしても、そもそも、直接話さなければならないほどの内容とは思えない。ハリスを呼び寄せるために伝言を託した部下に、提案の内容まで伝えれば済んだのではないだろうか。
 細かい点を言うならば、先ほど薬が盛られた飲み物が運ばれる事件が起こったと報告しながら、わざわざ他人が運んだ茶を飲もうと言う精神も理解できない。リタが大丈夫だと保証してくれた上、美味しそうに飲んでいたとしても、お断りだとハリスは思った。
「ところで、茶の準備をさせたのは、ジオール殿ですか?」
 まだ熱い茶を少しずつ飲むリタの様子を見下ろしながら、ハリスは問う。
「そうだが。何か問題が?」
「いえ」
 大ありだった。ジオールの無神経とも言える指示に、リタが文句のひとつも口にせず、穏やかな表情で茶を飲んでいるのである。普段のリタならば考えられない事だ。それに――
 ハリスは茶と共にため息を飲み込んだ。
 ジオールやリタの事をいくらか知るハリスにとって、わざとらしいと言えるほどの違和感に、何かしらの意味を見出さなければならないようだ。今のところ、心当たりはひとつしかないのだが、それが正解であるかを確かめる余裕はあまりなさそうだった。
 ジオールの前にお茶を置き、空になった盆を手にした女性は、礼をしてから背中を向けて歩き出す。
「私は試されているのですかね?」
 ジオールは静かに首を振る。
「いいや。私はただ、信じているだけだ」
「あたしは試してるけどね。急いだ方がいいのは間違いないけど、駄目なら駄目でやりなおせない事じゃないし、馬鹿にして笑ってやれるからそれでもいいかなとか、ちょっと思ってる」
 済ました顔をして、リタは茶をひとくち飲んだ。
「私はおふたりの期待にお応えできるほどのものを持っておりませんから、今度このような状況になりましたら、具体的な質問を口にできる場所と時間をぜひとも用意してください。その程度の余裕ならば、許されるでしょう?」
 ジオールは口元に笑みを浮かべて答えた。
「やはり信じて正解ではないか」
「ありがたいような息苦しいような、複雑な気分ですが、理解はいたしました。ジオール殿の案を採用します――と、私が返答しないと、困るのですよね? 貴方はとうに私の名前を使って、使者を出しているのでしょうから」
「あんた、上に話通す前にそこまで勝手に進めちゃったの? それはいくらなんでも問題でしょ」
 リタが向ける冷たい眼差しと言葉をものともせず、ジオールは浮かべた笑みをそのままにハリスを見つめた。
「一時的とは言え上官が、物分りがいい後輩である事は、私の幸運だろう」
「何を心にも無い、しおらしい事を。とは言え、ジオール殿の独断のおかげで、相手に気取られる前に行動を起こせました。その点においてのみは感謝いたします」
 立ち上がるためにハリスが椅子を引いたのと、扉が閉まる音が響いたのはほぼ同時だった。
 ハリスは無言で扉を見つめ、向こうにある人の気配が薄れる時を待った。その間、ハリスを除く三名は、優雅にお茶の時間を楽しんでいる。
「彼女は期待通りの方なのですか?」
 立ち去る前にこれだけは聞いておこうと、ハリスは再度ジオールを見下ろした。
「あたしの審美眼を疑う気? 完璧だって。こっそり隠れて見に行って、一番信頼できそうな人にお茶入れてって頼んだんだから。しかも、遠征隊長自らの発言だよ。向こうだって疑わないよ」
「……リタ様自ら行動なされたのですか」
「そうやって口うるさい事言うと思ったから、ジオールに着いていてもらったよ。ジオールひとりで行けば良かったとか言わないでよね。ジオールひとりじゃ、その手の人をちゃんと見つけられるか不安じゃない。でも大丈夫。あたしが選んだんだから、絶対間違いない。今頃、神の娘に手を握ってもらっちゃった、からはじまって、盛り上がってるはず」
「頼もしいお言葉です」
 ハリスは心にも無い言葉を口にした。自分自身にそう言い聞かせるしかなかったからだ。
 三人のやりとりを聞いているのか居ないのか、平然と優雅に茶を飲むシェリアを見つけると、少しだけ心が和らいだ。
「しかし驚きました。リタ様はともかく、ジオール殿が、無謀にも近い行動に出るとは。リタ様の身に危険が及ぶ事は考えなかったのですか?」
「考えた末に、ここに居る限りはどうしても危険が及ぶ事が判った。ならば早期に決着を付けるが最も安全だろう」
 ジオールの冷静な切り返しに、ハリスは微笑み混じりのため息を吐きながら、「確かに」と答えるしかなかった。


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