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四章 追想




 今から二十年ほど前、聖騎士団にはふたりの天才が居たと言う。
 ひとりは第十八小隊隊長エア・リーン。地方の農村出身でありながら、出自を感じさせる事のない礼儀作法を身に着け、流暢な神聖語を喋り、入団一年目でありながら武術大会で優勝し、聖騎士団長と刃を交わす栄誉を得るほど強い男だった。
 もうひとりは騎士団長アシュレイ・セルダ。聖騎士団内に残されていたあらゆる記録を塗り替え、若干二十五歳にして聖騎士団長の座に着いた彼は、剣技、知識、知恵、容姿においてまで、比肩する者無き男だった。
 当時、誰もが彼らの将来に期待したと言う。まだ若き彼らが、聖騎士団と共に成長し、聖騎士団を正しく導いていく未来を夢見たのだと。
 だがふたりは周囲の期待に応える事無く、ある日を境に聖騎士団を去った。エア・リーンは大神殿から、アシュレイ・セルダは遠征先の街から、忽然と姿を消したのだと言う。
 そしてふたりは禁忌を犯した。エア・リーンは婚約者が勤める砂漠の神殿に、アシュレイ・セルダは妻が勤める森の神殿に侵入し、神の妻たる女神を連れ去った。
「女神は神殿を去る前から御身に御子を宿しておられ、やがて神殿の外で神の御子をご出産なされました。砂漠の女神たるリリアナ様はカイ様を、森の女神たるライラ様はシェリア様とリタ様を。女神ご自身の、尊きお命と引き換えに」
 ハリスと、ジオールと、ルスターとを後ろに控えさせた男は、悲痛な光を眼差しに湛えながら言った。
 上背が高く引き締まった体をした男は、人目を引き付ける鮮やかな藍色の外套を羽織っている。それこそが聖騎士団を率いる人物の証であり、彼が現聖騎士団長である証でもあった。
「神が真実を当時の大司教に告げ、聖騎士団が皆様をお迎えに参上したのは、ご生誕より一年余が過ぎた頃、今から十五年ほど前となります。その際、エア・リーンとアシュレイ・セルダはそれぞれ、御子を連れて逃亡いたしました。聖騎士団は大司教を通して神の声を聞き、御子の捜索及び両名の追跡を開始いたしましたが、力及ばず、アシュレイ・セルダよりシェリア様の奪還に成功したのみ。エア・リーンはカイ様をお連れしたまま神の目を逃れ、アシュレイ・セルダはリタ様をお連れしたまま行方不明となりました。リタ様のお話により、今日に至ってようやく死亡が確認された次第です」
 聖騎士団長が詫びの意味を込めて頭を下げると、他の三人も続いた。
「探索と追跡は絶えず続けておりましたが、我らの力不足により発見にいたらず、カイ様とリタ様には長き苦境の日々を強いる事となりました。どれほど謝罪しようとも許される事ではありません――特にリタ様は、リタ様御自ら足をお運びくださらなければ、お迎えに更なる時間を要したはずです」
 カイは右隣に立つシェリアの無表情を確認してから、左隣に立つリタと無言で目を合わせた。合図は何もしなかったが、ほぼ同時に深い息を吐き出し、強い眼差しでディアスを見上げる。
「別に辛くも悲しくも無かったので、そんな事、謝る必要はありません。むしろ、迎えに来た事を謝ってほしいくらいですから」
 カイが本音を吐露すると、リタも続けた。
「あたしは迎えに来てもらった方が良かったのかもしれないけど、白々しくて余計に腹が立つからやっぱり謝らないでほしい。たったひとりの神の息子であるカイの事は本気で探していたんだろうけど、あたしなんて別に探してなかったんでしょ? 神の娘は、シェリアひとりが居れば充分だもんね」
「リタ様、けしてそのような事はありません! 団長は誰よりもリタ様をご心配なされておいででした」
「よい」
 リタの言葉を否定しようと身を乗り出したルスターを、団長は短い言葉で制止する。ルスターは一瞬悔しそうな顔をしたが、すぐに無表情を作り、元の位置に戻った。
 反論も、許しを請う事もしない。それが彼なりの謝罪なのだろう。
 理解はできる。だが、違うのだ。自分はそんなものが欲しいわけではない――カイは無意識の内に、握り締めた拳を震わせていた。
「何? それ。自分たちの非を認めて、非難は全て受け止めますって、そう言うつもり? それで誠意を見せたつもりなわけ?」
 カイは開きかけた唇を閉じ、リタに振り返った。今まさに自身が紡ごうとした言葉を、リタが紡いでくれたからだ。
 綺麗に弧を描く眉を吊り上げ、大きな空色の瞳に憎悪を宿らせ、小さな唇をひきつらせている。胸元で握り締められた手は、カイのものと同じように小刻みに震えていた。
「涼しい顔で罵倒を受け止めて、反省してるふりをして、心の中では笑ってるんでしょ。大事な大事な神の子供がまた癇癪を起こしてる、落ち着くまで黙って聞いておこう、子供はそうやってあしらえば良いんだって! 少しでも機嫌をとって、救世主だか次代の神だかの子供を一刻も早く産んでくれればそれで良いって、思ってるんでしょう!」
 部屋中に響き渡るリタの叫びが、痛いほどの沈黙を呼び込む。大声を出した事で息が切れたのか、リタの激しい呼吸だけが、カイの耳に届く全てだった。
「『その通りです』とお答えすれば、ご満足いただけるのでしょうか?」
 本音を叫ぶ事で潤みはじめたリタの瞳が、沈黙を破って発言した人物に向けられた。
 リタはしばらく苛立ちに唇を噛んだ後、右手首にはめていた黄金の腕輪を外し、ハリスに対して力任せに投げつけた。肩を上下させて興奮に乱れた息を整えながら、腕輪を受け止めるハリスを睨みつける。
 カイはリタの肩にそっと手を置いた。
 カイのてのひらから温もりが伝わると同じ速度で、リタは興奮をゆっくりと静めていく。上を見上げ続けていた顔が、気持ちと言う支えを失って俯くと、目にたまっていた涙が静かに頬を滑り落ちていった。
 涼しい顔をしていた聖騎士たちが僅かに動揺し、空気が震える。
「あたし、悔しい。悔しいよ、カイ」
 短く区切りながらこぼれていくリタの言葉に、カイは頷いた。
「あたしだって本当は判ってる。この人たちが悪いんじゃないって事くらい。この人たちは、世界を守りたくって、大切な人を守りたくって、そうしなきゃいけないからそうしてる。それだけだって、ちゃんと判ってるよ。でも、だからって、自分たちが悪くないって、そんな顔されたら……あたしは凄く惨めで、悔しい」
 カイは再び肯いた。
「うん、判るよ、リタ。俺だって同じ気持ちだ。だからこそ、ここで泣いてはいけない」
「……っ」
 意志の強さで泣き崩れる事を堪え、自身の涙を拭うリタを支えながら、カイは聖騎士たちに顔を向けた。
「これ以上貴方たちから聞くべき話があるとは思いませんから、とにかく部屋に戻ります。場所も判りますから、送ってくださらなくて構いません。リタは俺が送ります」
 聖騎士団長は小さく頷いた。
「了解いたしました」
「行こう、リタ」
 カイが可能な限り優しい声で言うと、リタは嗚咽を飲み込みながら小さく頷いた。ひとりで生きる事を余儀なくされ、挫けずに強く生きてきた少女の見せる涙に、カイの中で滾る怒りがより強くなっていく。
「カイ様」
 リタの肩を抱いて立ち去ろうとするカイを呼び止めたのはハリスだった。
「こちらをリタ様にお返しください」
 ハリスが差し出したものは、先程リタが投げつけた黄金の腕輪だった。作ったような微笑を浮かべてそれを返す様は醜悪で、カイはあまりの不愉快さに笑うしかなかった。
「俺をここに連れてくるために数千人の命を盾に取って、それでもそうやって笑っていられるあんたは、やっぱり凄いよ。あんたがリタや俺の護衛隊長じゃなかった事を、俺は神様とやらに感謝する」
「結界外でお育ちになられたカイ様のお心に、エイドルードへの信仰が芽生える役に立てたのだとすれば、私が生を受けた意味もあったと言うものです」
 良心も、自制心も働かなかった。カイは自分の心が願う通り、涼しげに微笑むハリスの頬を殴りつけた。
 突然の衝撃によろけ、膝を着くハリスの手から、腕輪を奪い取る。そして今度こそ振り返る事をせず、カイはリタを連れてその場を後にした。
「ハリス、リタはどうして泣いているの? カイ様は、どうして怒っておられるの?」
 感情の無いシェリアの声は、けして大きな声ではないと言うのに、いやにはっきりとカイの耳に届いた。
 自分が可哀想だ。リタも、可哀想だ。けれど誰よりも可哀想なのは、何も理解できていないシェリアなのかもしれない。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.