最強の男?

 朝練終わって着替えている時に、なんでだったか、大石が朝コンビニに寄って今日発売の月刊プロテニスをもう買ったとか言う話になって、俺がつい「いいなあ、俺も読みたいなあ」とこぼしちゃったもんだから、
「じゃあ昼休みにでも見るかい? タカさん」
 なんて話になった。
 大石も買ったばっかりなのに悪いなあと思いつつ、大石って本当に優しい奴だから、お互い遠慮しあう形になっちゃって。で、結局俺は大石の言葉に甘える事にして、昼休みに弁当持って二組に向かった。
 大石の前と隣の席の人は昼休みどこかに行ってしまうらしく、どっちに座ってもいいよと言われた俺は前の席の椅子を借りて大石の机に弁当を置いた。大石も弁当を出して、ふたり一緒に手のひら合わせて「いただきます」と声を合わせる。
 うちは寿司屋をやっているから、食べ物へ感謝する気持ちは忘れるなってずっと言われて育ったけど……やっぱり家の躾がいいんだろうな。大石は爽やかで清潔感があるなと皆言ってるけど、そう言うところから来ているのかもしれない。
 感心した俺は、ふと、朝大石が出て行ったあとも部室に残っていた面々――俺と不二と乾、それから海堂とか一、二年が何人か――で話していた事を思い出した。
「ねえ、大石」
「ん?」
「朝皆で話してたんだけど、大石ってやっぱ凄いよね」
 大石は口の中のものを全部飲み込んでから、ちょっとだけ眉を寄せて首を傾げた。
「なんで突然そうなるんだい、タカさん?」
「だってさ……」
「おおいしー!」
 朝と放課後(と時に昼休み)、テニスコートでもっともよく耳にする元気な声が、教室の入り口から響いてきた。
 やや廊下がわに位置する席に座る大石を呼ぶには大きすぎる声にびっくりしたのか気になるのか、今教室に居る生徒はほとんど入り口に視線を集めてしまったのだけど、肝心の声の主は注目を集めても恥ずかしがる様子がまったくない。
 声の主は、もちろん英二。英二ってやっぱり度胸あるよなー。
「あ、そーか。タカさんも一緒に食べてるんだっけ?」
「どうした、英二」
 英二はおおよその生物には憎む事ができないだろう、人懐っこい明るい笑顔で近付いてきた。
「いや俺さあ、今日箸忘れちゃったんだよねー。大石いっつも割り箸持ってたよね? 借りに来たんだっ」
「借りにきたって、英二は返してくれた事あったか?」
 少しだけ意地悪な笑みを浮かべつつも、大石は鞄から割り箸を取り出す。
「そう言うなって、サーンキュ! ついでに一緒に食おーぜ」
 断わる隙も与えず(まあ大石は絶対に断わらないだろうし、俺も英二ならぜんぜん問題ないんだけど)、英二は大石の隣の席の椅子を勝手に引っ張り、大石の机に弁当箱を置いた。パキン、と音を鳴らして箸を割って、おいしそうにエビフライにかぶりつく英二を見ていると、微笑ましくてなんとなく幸せな気分になれる。
 それはまあそれとして。
「ねえ大石、俺は大石とクラスになった事ないから詳しい事判らないけど、大石が忘れ物したところなんて見た事ないし想像もつかないんだけど。どうして割り箸なんか常備してるのさ?」
「うーん」とちょっとだけ答えに困った大石は、やっぱり爽やかな笑顔で答える。
「誰か使うかなと思ってさ。それに俺だって忘れ物くらいした事あるよ。去年英二に歴史の便覧借りに行ったし」
「違うよ。あれは前の日から俺が借りっぱなしだっただけだよ。大石は取りにきただけ」
「そうだったか? まあ、そう言うわけでなんとなく」
「大石って……」
 俺は「やっぱり凄いよね」と続けようとしたんだけど、再び大石を呼ぶ声で遮られてしまった。
「大石」
 昼休みでそこそこ賑やかな教室を、一瞬にして静める事ができる威厳のある低い声に。
 さっきまで英二が注目をあびていた位置に立っているのは、青春学園の生徒会長であり我等がテニス部の部長でもある手塚だ。
 大石は箸を置き、手塚の元へ歩み寄った。
 気軽に他のクラスに入ってこないあたりがなんとも手塚らしいなと思う。そして大石も「入ってこいよ」なんて言わずに中座するあたり、判ってるんだろうな。やっぱり仲いいんだ。
「手塚、どうしたんだ? 今日打ち合わせはなかったよな?」
「ああ、打ち合わせは無い。その……お前の数学の教科書、本当にお前のか?」
 首を傾げる大石の目の前に、手塚が教科書を裏向けに差し出した。多分数学の教科書を大石は手に取り、名前を確認している。名前ちゃんと書いてるんだ、律儀だなあ、大石って。
「あれ、これ俺のだな。じゃあ俺が手塚の持っているって事かな?」
「そう思う」
「一昨日図書館で勉強した時に入れ違えたのかもな。ちょっと待っててくれ、見てみるから」
 って言うか、名前見ないと自分の教科書だって判らないのって(しかも二日間も)、実は凄くないかな? 普通教科書に書き込みとからくがきとかするよね皆。ふたりともそんな事まったくしないで、綺麗につかってるのかな? なんか、それっぽい。
 大石はすぐさま机に戻ってきて、中を探り、数学の教科書を取り出した。俺と英二がなんとなく興味本位で覗いてみると、裏表紙には確かに、中学生とは思えないほどの達筆(確か手塚は去年書道コンクールで入選していたはずだ)で「手塚」と書かれている。
「あ、ほんとだ! 悪いな手塚」
「いや、俺も気付いていなかったからな。謝る必要はない」
 手塚は教科書を受け取ると、端から見るとこれ以上無いほどそっけない台詞を残して一組に戻って行った。大石(や英二)の笑顔を見ると、俺はついついつられて笑いたくなっちゃうけど、手塚はそんな気にならないのかな?
 返された教科書を机の中にしまい、大石は弁当の続きを食べはじめる。もう俺と英二はほとんど食べ終えていたんだけど、大石はまだ半分にも到達していない。英二・手塚と続けて登場したせいで、落ち付いて食べれてないからなあ。
「大石ってよく手塚と普通に話せるよね。俺、どうも緊張しちゃって駄目なんだよな」
 しかもふたりきり(だよな。乾とかいたのかもしれないけど)で図書館で勉強なんて、ほとんど拷問に思えるよ。手塚には悪いけど。
「あ、俺も俺もー! 怖いわけじゃないけど、世間話するのはちょーっと苦手だなっ! 返事してくれなさそーだし」
 英二、元気なのはいいけど、人の机にご飯粒こぼすのはどうかと思うよ……しかも一旦口に入れたやつ。ああ、大石ってば文句も言わずに慣れた手つきで拭き取ってるよ。偉いよ。
「そうかな? 手塚って結構話しやすい奴だと思うけど」
 影でこっそり「ミスター爽やか」で通ってしまう大石は、嘘偽りまったくありません、とばかりの爽やかな笑顔できっぱり言い切ったんだけど、それでも俺は耳を疑わずにはいられない。
 話しやすい……?
 俺はついついふう、と深いため息を吐き、
「大石ってほんっと」
「すまん、大石」
 言おうとした台詞をまたもや新たに登場した人物に遮られた。
 三度目の声の主は教室の入り口で大石を呼ぶと、そのまま無駄の無い動きで大石のそばまで寄ってくる。十一組の乾だ。
 乾はただでさえ背が高いのに(俺もかなり背が高い方だけど、俺以上。もしかすると青学中等部で一番背が高いのは乾かもしれない)、大石は座っていたから、少し辛そうに首を傾けて見上げていた。
「お前の普段の食事ペースならばもうそろそろ食べ終わっていると思って来たんだが、どうやら予定外のトラブルがあったようだな」
「トラブルと言うほどでも無いけれど、英二と手塚が来たから食事が遅くなったかもしれない」
「にゃに? 俺のせいか?」
「なるほど。弁当の残量から予測するに、三分ばかり時間をロスしたようだな」
「うん、それくらいかも」
 大石は笑顔のまま頷いた。いや、そこは笑顔で返さなくていいと思うよ、大石。ちょっと気味悪がるのが普通だよ。
 俺は乾のデータと眼力によって、食べ終えて空っぽの弁当箱に何が入っていたかを当てられてしまいそうな気がして、急いで蓋を閉める。別に弁当のおかずをあてられた所で何の問題も無いんだけど、なんとなく怖くて。
「ところで乾、俺の食事終了を見計らって何しに来たんだ?」
「うっかり地図帳を家に忘れてしまったから借りに来たんだ。六組には今日社会はなく、四組に河村の姿が見当たらなかったからな。三時間目に社会があった二組のお前に借りるのが一番確実だと思ったんだ」
「全クラスの時間割までデータにとっているのか。相変わらずだな」
 大石は地図帳を取り出して乾に渡しながら答える。
 いやだから「相変わらずだな」なんて笑って流す台詞じゃないと思うよ大石、今のは。俺は乾と普通に友達なつもりだけど、そんな言われ方されながら地図帳貸してって言われたら、ちょっと引いちゃうよ。
「ありがとう大石。じゃあ」
 乾は地図帳を掲げ、やはり無駄の無い動きで人の中をすり抜け、教室を出て行った。大石はひらひらと手を振っている(もちろん笑顔で)。
 大石……もう慣れちゃってるのかな、乾のデータ魔ぶり。俺がいちいち驚きすぎてるのかな。英二も特に反応して無いし。
「大石〜、はやく食っちゃえよ、テニスしに行こうぜ!」
 いつの間にか弁当を食べ終えた英二は机を揺らしながらそんな事を言う。
 大石がまだ昼ご飯を食べ終えていない事の責任の一端は英二にもちょこっとある気がするんだけど、そんな事気にしないのが英二らしいなと思うし、不機嫌そうな様子を見せず「はいはい」って流している大石が、なんて言うかもう尊敬を通り越して泣ける。
「あ、テニスしようで思い出した。これのためにわざわざタカさん呼んだんだよね。ごめん」
 そして大石はまたまた箸を休め、鞄の中から「月刊プロテニス」を取り出したのだった。

「大石って凄い男だよね」
 朝部室で話していた時は、確かに大石は凄く優しいななんて思って、なんとなく皆に同意しただけだったんだけど。
 本当の意味が、この昼休みだけでイヤってほど判った気がするよ。


テニスの王子様
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