大石とケンカをしたのは今日の部活のはじまりの頃。 仲直りしたのは、部活の後半だったかな。 「見ている方をさんざん心配させといて、ずいぶんあっさり仲直りするよね。心配した僕らがバカみたいだよ」 部活終わって着替えながら不二にイヤミを言われたりもしたけれど、まあ、ケンカなんて早く仲直りした方がいいに決まっているんだから気にしない。だいたい不二が本気で心配していたか怪しい。顔、思いっきり笑ってたし(いつもか)。 「ふむ。今日中に仲直りしたか。今までのパターンからすると明日の朝練がはじまる前に仲直りする確率が85%だったんだが。データを更新しておこう」 乾にはそんな事言われた。つまり乾も俺達のケンカを大事だと思ってなかったみたいだ。 でもまあ確かに乾の言う通りだなあ。だいたい次の日の朝、俺が頑張って早起きして、大石とあんまり変わらない時間に部室に行って、そこでお互い謝って終わりって感じが多かったし。 「いつも仲がいいふたりがケンカするから、本当に心配したよ〜」 ああタカさん、タカさんだけだよ俺達を本気で心配してくれたの。俺、これから「心の友は」って聞かれたら、「タカさんだ」って答えるからねっ! 「ところで英二、帰らないの? とっくに着替え終わってるのに」 着替えを終えてバッグを担いだ不二は、ベンチに座った俺を見下ろして首を傾げた。いつもの俺なら部活が終わったら真っ先に帰っちゃうからだろう。 「ん。今日は大石待ってようと思って。一緒に帰るんだ」 「仲直りした日の部活後はふたりでラーメンを食べに行く確率95%だな。ちなみに菊丸はチャーシューメンを好んでいるらしい。大石は多少健康に気を使い野菜ラーメンをよく食べる」 「うっさいよ乾」 本当にそうするつもりだったから、しかも今日はチャーシューメンの気分だななんて思っていたから、ちょっと恥ずかしくてムカついた。俺、そんなにチャーシューメンばっかり食ってるかな……? 「そう言えば大石遅いね。何してるんだろう」 「決まってるじゃない。桃が走り終わるまで見守っているんだよ。手塚も一緒じゃないかな」 「さっき俺が聞いた時には残り十周と言っていたから、もう少しだ。十周ならば桃城がいかに体力を消耗していても十分あれば充分だろう――そう言えば」 乾は制服のボタンを全部きっちりとしめ、ジャージをたたんでから俺に振り返った。 「俺は越前と打ち合いしていたからうっかり見逃したんだが、結局ふたりのケンカの理由は何だったのかな?」 俺はうっ、と息を飲む。こう、ケンカは本気でしたわけだし、大石にムカついたのも本気だったけど、後々になってから他人に説明するにはちょっとくだらない理由な気がする。 でもさー、俺は今でも俺だけが悪いとは思ってないんだよねー。大石もそう思っているからこそ、謝ってきたんだろうし。いや俺が悪くなかったとはもちろん言わないけどサ。 「乾の予測範疇内だと思うよ」 にっこり笑顔で余計な事を言うのは不二。 「ふむ。桃城の件で神経質になっている大石を刺激したと言う事かな」 「そうそう、普通のジャージ着た桃をからかってやろうなんて正直に言っちゃってね」 「あの、ふたりともその辺にしといた方が……せめてここでは」 「初日のうちに言っておけば大石も苦笑しつつも流しただろうに、よりによって三日目か」 「ちょっとバカだよね」 「うがー!」 俺を見下ろしながら笑う不二と乾のふたりを何とか止めようと、俺は体全体を使って暴れてみた。でも、バカにされるネタをひとつ増やしただけのような気もする。 「だってさー、レギュラー落ちした時、あんな本気で心配されたら余計落ち込むだろ、フツー!?」 俺だって本気で桃をからかおうとしたわけじゃない。だって俺、去年の今頃、レギュラージャージ一回着たか着ないかくらいだったもん。それって桃は去年の俺よりすごいって事じゃん。悔しいけど! まあだからなんつーか、ケロッと笑い飛ばそうかと思ってさ。 「うん、英二に悪気があったわけじゃない事は皆判ってるよ。大石だってね。ただちょっとタイミングが悪かっただけだよ。いつもは冷静で温厚な大石だって、たまにはイライラする時があるのさ」 「そうだぞ菊丸。菊丸にそんな遠回しな嫌味が言えるわけがない事くらい皆判ってる」 「また俺をバカにするー!」 「素直で判りやすい奴だと誉めたつもりだが」 ぽんぽん、と俺の頭を軽く叩く乾。ホントか? ホントに誉めてるのか、それ。 「でもさぁ正直、大石は桃の事心配しすぎだとか思わなかった?」 「そりゃ思ったよ」 「思ったな」 「で、でもそれは大石の性分だし」 タカさん、ほんとイイヤツだなあ。さっきからフォロー入れまくってるよ。 確かに、時に必要以上に他人の事心配するのが大石ってヤツだけど。それにしてもあれはやりすぎだと俺は思うわけだ。それに、桃をからかってやろう発言に怒られたのはまあ、まだいいとして、シャツ裏向けにしたの笑った事で、無言で突き飛ばされるとは思わなかったし(だからこそ俺も勢いで「組むのやめる」なんて言っちゃったんだけど)。 だいたい俺がレギュラー落ちした時、あんなに心配してもらってないぞ。俺のレギュラー落ちは大石の問題でもあるのにさ。 「それに大石、乾の時なんてぜんっぜん心配してなかったじゃん」 「そうだね。英二の時は笑って『来月またダブルス組もう』って笑顔で背中叩いただけだったよね」 う。乾をだしにしたの、完全に不二に読まれてるよ。トホホ。 「俺は大石にある程度信用されているんだろうな」 乾は少しだけずれたメガネを押し上げつつ、不敵な笑みを浮かべながら言った。 「信用?」 「一度レギュラー落ちした程度で落ち込み、部活をやめるようなマネはしないと思ってくれていると言う事だ。大石は誰かが部活をやめる事に著しく反応するからな」 うん、それは知ってる。 春に入部した新入生は、半分以上が夏までにやめてしまう。名門である青学のテニス部は他の運動部にくらべて厳しいから、カッコよさそうとか楽しそうとか、中途半端な気持ちで入部した奴は練習のキツさに耐えられないんだ。 退部届を受け取るのは、大抵大石。手塚に直接渡すのが怖いからなんだろうけど。 受け取る度に大石は、優しい笑顔を曇らせる。渡してきた本人には「そうか、しょうがないな」なんて普通の笑顔で言うけれど、相手が背中を向けるとすごく寂しそうな顔をするんだ。 「良かったじゃない。英二も大石に信用してもらえてて」 「う?」 「今の乾の話聞いてた? 英二はレギュラー落ちした時、大石に心配されたいの? されたくないの?」 心配されるという事は。 大石に信用されてなくて、今日みたいにイライラさせちゃって。もしかしたら、人のいないところではすごく寂しそうな顔をしているかもしれない。 そんなの、ヤダ! 「されたくない!」 「はい、正解。よくできました」 「ひぃ〜、疲れた。もう動けねーな、動けねーよ」 ガチャリと部室のドアが開き、桃がふらふらとした足取りで部室の中に転がり込んでくる。俺の隣にどっかり腰を降ろし、肩にかけたタオルで汗を拭いた。 なんで桃だけ帰ってくるんだ? と聞こうとした直後、手塚に話しかけているだろう大石の声が徐々に部室に近付いてくる。 「手塚、やっぱり百周はやりすぎじゃないか? 同じ百周走らせるにしても、五十周ずつ二日にわけるとか……あれ、皆まだ残ってたのか?」 部室に入ってくるなり、大石はそう言った。 「大石ってけっこう友達がいのない人だよね」 「えっ、ご、ごめん不二。よく判らないけど」 本気でうろたえる大石。どうやらいつもの調子、完全に戻っているみたいだ。ほっと一安心。 「これから三年水入らずでラーメンを食べに行こうって話になっているんだ。君達も行くよね?」 「え?」 「菊丸のおごりでな」 「ええ!?」 何もかも聞いてないよ! と叫ぼうと思ったけれど、不二の笑顔とキラリと光る乾のメガネの前に、俺は何も言えなくなってしまう。 大石とふたりきりで話そうと思っていた件は、今不二たちと話していて解決しちゃったから。だから皆で食べにいくってのはいいけど、なんで俺のおごりなんだよ! 「三年水入らずって事は、俺は仲間に入れてもらえないんすか?」 「うん。本当は桃におごってほしいくらいだけれど、後輩にたかるのは情けないから仲間はずれの刑で勘弁してあげるよ」 「そ、そっすか」 桃は不二の笑顔にすっかり怯えて、そそくさと着替えはじめた。三日間のサボリ、さすがの桃も反省してるかな? そうだ。大石に余計な心配かけたんだから、反省してもらわないとなっ! いやそれより問題は俺のおごりって点。 「俺はもちろん行くよ。だけど英二のおごりじゃなくて、俺のおごりで。色々迷惑かけちゃったからな」 なんて爽やかに言うのはやっぱり大石で。 マジで!? 大石、神様みたいな奴だ! 「別に迷惑はかかってないぞ。俺達に迷惑をかけたのは桃城だけだ」 「い、乾せんぱ〜い……」 「いいからおごらせてくれよ、それで俺は満足するんだし。手塚も来てくれるよな?」 手塚は少しだけためらって、 「つきあおう」 とだけ答えると着替えはじめた。 俺、手塚をナチュラルにラーメンに誘える大石って何気に凄いと思う。などとくだらない事で大石をあらためて尊敬しつつ。 「大石、やっぱいつもどおりにしよ。俺が大石の分払って、大石が俺の分払うの。他の皆の分は、しょーがないから半分ずつ」 俺が大石を見上げながら笑うと、大石はいつも皆に見せる、優しい微笑を浮かべている。 「英二はチャーシューメン?」 「うん。大石は野菜ラーメン。で、不二は激辛地獄ラーメンで、タカさんはふつーのショーユだよね。乾はミソでいいや」 「こらこら菊丸、勝手に人のメニューを決めるな」 いいじゃん、人におごらせるんだから文句言うなよ。 「手塚は塩ラーメンかな?」 「そんな感じ!」 全員のメニューが決まると、俺は勢いよく床を蹴って立ち上がる。ほら、善は急げって言うじゃん! 「そんじゃ俺達先行って注文しとくよ。ふたりとも早く来ないとのびちゃうからね! ばっはは〜い」 荷物を引っつかんで、練習でくたくたになってる事も忘れて俺は走り出す。不二や乾やタカさんがため息つきながら「走るな!」って俺を止めようとしてるけど、気にしない。 なんか、嬉しかった。 なんだかんだでみんな優しい事とか、大石と仲直りできた事とか、皆で一緒にラーメン食える事とか、イロイロ。 でもやっぱり一番嬉しかったのは、大石が俺の事信用してくれてるってのが判った事かな? きっと今日食うチャーシューメンは、今までで一番おいしい。 あそこのチャーシューメン、チャーシュー六枚入ってるから、皆に一枚ずつわけてあげようかな、なんて考えながら、俺はラーメン屋に向けて走り続けた。 |