ひとりきりのダブルス

 火曜日の昼の弁当は、いつもにも増してはやく腹の中にかっ込む。そう言う時に限っておかずが大好きなエビフライだったりして、しっかり味わえないのが悔しいんだけど、それでもさっさとたいらげる。
 なぜって、火曜日の昼休みは、大石とテニスをする約束をしているから。
 別に火曜日にしかできないわけじゃない。俺も大石も、他のテニス部のメンバーも、昼休みに時間ができれば皆コートに集まってテニスをする。だけど大石はクラス委員なんてやってて、毎週月曜の昼休みは会議に出るし、それ以外の日もなんだかんだと部活の雑用があったり、先生やクラスメイトに仕事押し付けられたりして(大石が信用されているって事なんだけど、利用されているようにも見えてムカつく)、なかなか顔を出さないんだ。これじゃダブルスやりたくてもできやしない。
 数ヶ月前そんな事を話していたら、大石が宣言した。
「じゃあ、火曜日だけは絶対にコートに行くよ。他の仕事は全部放って」
 ほんとかなあ、と俺は思った。もちろん俺だけじゃなくて、桃なんかあからさまに「嘘吐けー」って顔してた。
 でも、大石は嘘は吐かなかったんだ。まあ、その分火曜日の練習後、どっか寄っていこうと誘っても断わられる事多くなった気がするけど。
「英二。急いでご飯食べる君を止める権利なんて僕にはないけどさ」
 向かいに座って得体の知れないものを(多分、ものすごーーーく、辛い!)挟んだサンドウィッチを食べる不二が呆れながら話しかけてきた。
「なんだよ。邪魔するなよなー」
「邪魔する気もないんだけどさ、君がそんなに急いでご飯食べてるのって、今日が火曜日だからだよね」
「そーだよ!」
「大石、右手怪我してるよね」
 俺はぽろりと箸を取り落とした。床に転がり落ちる前に、なんとかキャッチ。
「まあ大石が居なくても昼休みにテニスはできるけどね。桃はほとんど毎日行っているし、今日は僕も行こうかなと思ってるし」
「……」
「何? その恨めしそうな目。別に僕が大石に怪我させたわけじゃないんだからね」
「そんくらい、判ってる!」
 俺は最後にとっといたエビフライを口の中に放り込んで、箸を置いた。
 なんで俺、大石が怪我した事忘れてたんだ? いや、忘れてたわけじゃないけど……昼休みには大石とテニスできるって思い込んでた。朝練の時も大石、ひとりで別トレーニングしてたのになあ。
「あ!」
「英二、口の中に食べ物入ってる最中に大口あけるのやめなよ」
「大石昼休み来るよ! だって朝練の時、『じゃ、昼休みにな』って言ってたじゃん!」
「そう言えばそうだね。全治二週間とか言ってたのに、治ったのかな? 治ったなら朝から練習するか放課後まで温存していればいいのにね」
 まったく不二の言う通りで。
 ワケの判らない俺はいてもたってもいられなくなって、まだ半分くらいしか食べ終えていない不二を置き去りに、教室を飛び出した。

 テニスコートに行く前に、大石が居るか確かめようと二組の教室に寄ってみる。だけどそこにはもう大石の姿はなくて、
「ねえ、大石知んない?」
 一番近くに居た女の子(名前は知らない)に聞いてみた。
「大石君ならチャイム鳴ってすぐに教室出てったわよ」
「誰かとどっかで食ってんの?」
「さあ。教室で皆と食べてる時もあるし、誘われてどっか行って食べてる時もあるみたいだし、手塚君と打合せしながら食べている時もあるみたいだし。今日は何かしらね?」
 手塚と弁当食って美味いのかな……なんてちょっと考えこんだ俺は、今考えるべき問題は別にある事に気が付いた。
 昼休みに俺とテニスする約束をしていながら、どこに行ったのかと言う事だ!
「あ、俺知ってる。テニスコート行くとか言ってたぜ」
 迷宮入りするかもしれないと思われた謎は、ひょこっと顔を出した男子生徒(やっぱ名前は知らない)によってあっさり解決した。
「そっか、サーンキュ」
 俺は階段の踊場に辿り付くまではぼんやり歩き、階段からは全力で走ってテニスコートに向かう。
 大石の行動の意味がよく判らない。なんで弁当も食わずにコートに行くんだろ。昼メシ食べなきゃ午後もたないじゃん。俺や桃みたいに早弁するタイプでもないから、かなり腹へってると思うんだよね。そんな状態でテニスしても力出ないだろうし。
 大石の行き先は判っても、大石の考えの行き先は、やっぱり迷宮入りしたまんまだ。

 フェンスの向こうに大石が見えた。
 悲しい事に――そう、俺は大石を見つけた時に嬉しいとか安心とかより先に悲しいと思った――大石は、制服のままで。やっぱり今日テニスするつもりはないんだ。そうだよな、右腕の怪我、治るわけないもんな。
 ここまで全力で走ってきたせいで(途中で先生に廊下や階段を走るなって何度か怒られたけど、気にしない!)やたらめったら乱れた息を、俺は必死になって抑えながらフェンスをくぐった。
「英二」
 俺の足音に気が付いたのか、振り返った大石は、いつも通りの笑顔を浮かべて俺の名前を呼んでくれる。
「ずいぶん早いな、英二。ご飯はちゃんと噛んで食べないと駄目だぞ」
「そんな事いまさら注意されなくてもわかってるよっ! つーか、大石のが早いじゃん。どうしてさ」
「俺はまだ昼ご飯を食べてないから」
「だからそれがどうしてさ!」
「コートの準備をしていたんだ。思ったより手間取っちゃったからとりあえず一面だけだけど」
 それは、見れば判る。ネットは朝練の最後に一年がちゃんと片付けているから、昼休みにテニスをする時はネットを張るところからはじめなきゃならない。けど今日は、俺がコート内に入ってきた時点で、すでにAコートにネットが張ってあったから。この状況では大石が準備したに決まってる。左腕一本で?
「俺はまだ試合形式の練習はできないから、今日は見ているだけだからさ。皆がテニスしている間に弁当食べればいいし。皆一分でも長くテニスしたいだろうなと思って」
 俺はすっかり呆れてしまって、言葉を失った。
 なんでそんなに優しいんだろ、コイツ。
 だって自分は使えないコートなんだぜ。自分はテニスしたくてたまらないのに我慢しないとならなくて、そんな自分の目の前で皆が楽しそうにテニスをするために、弁当を後回しにしてまで準備するなんて。
 俺は時々大石の事、アホなんじゃないかなと思う。でも大抵、アホだと思う時はそれ以上に「大石ってすごいな」と思っちゃう。
「こんちゃーっす! あれ? もうネット張ってあるんですか?」
 俺が自分で言うのもなんだけどめずらしく色々考えていると、テニスする気満々のカッコで、ラケット担いで、桃がコート内に入ってきた。
「ああ、桃、よく来てくれたな。さっさと準備運動して試合はじめてくれ。英二はすでに準備済みだから……ここまで全力疾走してきたんだよな?」
 バレてるし……。何者なんだよ、お前。まあ息を整えた所で汗とかかいてるからばれるっちゃばれるか。
「俺ももう準備完璧っすよ。いつでもはじめられます!」
「だってさ英二。さあ、はやく試合はじめてくれ。俺は見てるから」
「大石先輩、審判やってくれるんすかー?」
 ラケットを握った右腕をぶんぶん振り回し、桃は言う。そーだな、いつもはセルフジャッジだけど、大石試合しないって言うなら、弁当食いながら適当に審判をしてもらって……。
「いや、セルフジャッジでやってくれ。審判なんてやっていたら俺が練習できないから」
 練習? なんの?
 俺は声には出さなかったけど、顔には思いきり出てたんだろう。大石は笑顔で答えてくれる。
「イメージトレーニングだよ。相手のショットに英二がどう反応して、俺はどう対応するべきか、そう言うのを考えるんだ。だから俺は英二ばっかり見ている必要があるから、まともに審判はできない」
 それって、つまり……。
「大石はダブルスの練習するって事だ!」
「そう言う事。英二が一分でも長く試合してくれれば、俺の練習時間が増えるってわけだ。頼んだぞ」
 俺は力強く頷く。何度も何度も。大石が「そんなに首上下に振って、目、回らないか?」って言ってくるくらいに。
 だってなんか、嬉しいじゃん。怪我して、体動かしてテニスできなくても、一緒にダブルスできるのってさ。なんか凄い。さすが俺達青学ゴールデンペア! って感じがする。
「大石せんぱーい。じゃあ英二先輩の方だけダブルスコートにしません? その方がダブルスのイメージトレーニングするにはいいと思うんっすけど」
「にゃにー、桃! それはいくらなんでも卑怯だぞ!」
「いや、いい案かも。英二、俺のためにがんばってくれ」
「大石までっ!」
 俺が慌てて振り返って大石に掴みかかると、大石と桃は息をぴったり合わせ、腹を抱えて笑い出した。
 なんか俺、もしかしてバカにされてる……?

 んで、その日俺は結局桃にボロ負けした。
 コートはシングルスコートで許されたんだけど、ついつい後ろに大石が居る気がして、ボールを深追いしなかったのが敗因。
 コートに居るのがひとりだけじゃ、ダブルスやってもうまくいかないって事かな。はあ……。


テニスの王子様
トップ