美しいヒト

「不二、今日は付き合ってくれてありがとうな」
 大石は僕が部室を出たのを確かめてから電気を消し、自分も外に出て、ガチャリと部室のドアの鍵を閉めた。
 僕と大石のふたりだけが最後まで部室に残っている、と言うのは、かなりめずらしい事だと思う。大石が最後なのはよくある事だけど、僕は練習が終わったらすぐに帰るタイプだからね。
 それなのにどうしてこうなったのか、理由とはごく単純で、練習後、僕たち全員の着替えが終わった頃、スミレちゃんがあわてて部室にやってきたんだ。
「ちょっと調べたい事があるから一昨年の対戦成績表を見たいんだが、出せるか?」
 そう言われても、一昨年の対戦成績表なんてどこに保存されているか、僕たちは知らなかった。副部長である大石もそんな引継ぎはされていない様子だし。昨年副部長だった手塚なら知っていたかもしれないけれど、残念ながら手塚は今日生徒会で部活に出て来ていなかった。今も見上げると、校舎にある部屋の中で生徒会室にだけ電気がついているのが確認できる。
「今から探すので、少し時間がかかってしまうかもしれませんけど、いいですか?」と、間髪入れずに言い出したのは大石。僕はそれを聞いて、どうしてか名乗り出てしまった。「僕も手伝うよ。帰った後の予定、特にないからね」なんて。
 だから。
「別に大石にお礼を言われる筋合いは無いよ」
「だが……」
「スミレちゃんにはちゃんとご褒美貰ったしね」
 大石が鍵を鞄にしまったのを合図に、僕たちはふたり並んで歩き出した。
「ご褒美」と言うのは、学校の近くにあるラーメン屋のタダ券千円分。ちょうどラーメン二杯分にあたる。スミレちゃんが、「俺も手伝うよ」と言った他のメンバーを「ふたりで充分だ」って追い返したのは、ご褒美がふたり分しかなかったからだろうな。
「せっかくだから今日使っちゃおうよ。ふたりだけの時じゃないと使えないから」
「そうだな。ちょうど腹も減ってるし」
 大石は腹のあたりを抑えながら言った。
 僕たちは食べ盛り伸び盛り。あんなハードな練習の後じゃ、一刻も早く家に帰って、夕飯食べたいと思って当然なのにね。
「ねえ大石」
「ん?」
「綺麗なだけの人間は居ないとか、人間みんな汚い存在なんだとかって言葉、よく聞くじゃない?」
 僕はタダ券を、うっすらと明るい西の空に向けて掲げながら、唐突に語りだした。
「不二って、いつもそんな突然話をふる奴だったか?」
 答えの前に、率直な疑問を述べる大石。その疑問がなかなかに的を得ていて、こう言う時大石は天然ボケっぽい割に実はけっこう食えない奴だなあと思う。
「うーん、そうでもないと思うよ。唐突に話をふって、ちゃんと答えてくれる人があまり居ないから」
 あまりと言うか、実は大石くらいしか考えつかないんだよね。英二は特に何も考えず「何言ってんの?」とかケロッと返してくるだろうし、タカさんは困りそうだし、手塚は無視しそうだ。乾には僕の裏を欠片も見られたくないので、こんな話を持ちかけようと言う気にもならない。
 だからついつい、このテの話は大石に振ってしまう。
「まあいいじゃないそんな事。それでさ、綺麗なだけの人間は、確かに居ないだろうって僕も思うんだ。けれどやっぱり、比較的綺麗な人間と、比較的汚れた人間と言うのは、存在すると思わない?」
 今日は風が強くて少し不安になり、僕はタダ券を財布の中にしまいこんだ。
 この質問は、大石には少し酷だったかもしれないな。大石は綺麗とか、汚れているとか、そう言う事で人を分ける事、好きじゃなさそうだ。
 数秒沈黙を保ったあと、大石はしぶしぶ、と言った様子で小さく肯いた。
「皆同じってわけにはいかないからな……比較してしまえば、どうしても差は出てきてしまうと思うよ」
 まあ、そう答えるだろうね。否定する事は簡単だけど、それは嘘にしかならないから。
 僕は大石よりテニスが上手いし、大石は僕より背が高い。そんな身体的な差がそれぞれあるように、心の中だって人それぞれ、千差万別だ。
「比較的で分けていいなら、大石は間違いなく、綺麗な人間だよね」
「そうか?」
「そうだよ。あんなめんどくさい事後輩に押し付ければいいのに、さも当然のように自分から進んでやっちゃうんだから」
 大石は困ったように笑った。誉め言葉を素直に受け取らないのが、実に謙虚で彼らしいと言うか。
「君は綺麗な人で、僕は汚れた人。それでいいんだよ」
 僕がぽつりと呟くようにこぼすと、大石は突然ぴたりと足を止めた。
 すぐに僕も足を止めたけれど、反応してから行動に出るまでに少し時間がかかったため、一歩だけ先に進んでしまっていた。「どうしたの? 大石」と聞こうと思って振り返ると、静かな怒りを込めた大石の顔が見える。
「俺は、そんな言い方は、好きじゃないな」
 大石の手は、力を込めて震える拳になって。
 どうして怒っているの? なんて、聞かなくても理由がすぐに判ったから、僕は大石の神経を逆撫でする事になるかもしれないと思いつつも、笑ってしまった。
 彼はとても温厚だから、怒る事なんて滅多にないはずなんだけどね。うん、実に大石らしい怒り方だ。
「やっぱり大石は、綺麗な人なんだね」
「なっ……!」
「だって、僕が自分の事を卑下していると思って、君は今怒ってくれているんだろう? でもね大石、僕は、汚れている自分が嫌だなんて、少しも思ってないんだよ。汚れている事が悪だと感じるのは、君が綺麗だからさ」
 ほら行こう、と僕が軽く大石の袖を引き、僕たちは再び並んで歩き出した。けれど大石は何か考えているのか、思い悩んでいるのか、沈黙を保ったままだ。
 言っても判らないかもしれないし、判ってもらえても、更に悩ませる事になるかもしれないから、言わないけど。
 汚れてしまうのは、気楽なもんなんだよ、大石。たまに居残りして探し物を手伝うだけで、「実はいい奴なんだな」なんて思ってもらえるんだから。
 でも君はそうじゃない。
「綺麗で居続ける事は、たいへんだよね。一度たりとも、ほんの少しでも、汚れる事ができないんだから」
 たとえば、君が他の人と同じように面倒くさいと思って、探し物を別の人に押し付けていたとすれば――その時点で、君は僕らと同類扱いされるんだろう。悲しい事だけれど。
「不二……?」
 僕たちはまだ、若い。むしろ、幼いくらいだけれど。それでももう、僕はリタイアしてしまった。
 これから年を重ねるたびに、美しくあり続ける事が、もっともっと辛くなっていくんだろう。
 それでも。
「それでも僕は、君にはずっと綺麗な存在であってほしいと、望むよ」
 自分にできない事を他人に望むのは、最大級のエゴだと思うけれど。
 それでも、僕は多分、信じたいんだ。ヒトは綺麗であり続けられるのだと。
「不二。俺は今、正直な事を言えば、『不二は一体何言ってるんだろう』って思ってる」
 大石は見る人に安堵を覚えさせる微笑みを浮かべた。
「どうして?」
「不二が汚くて俺が綺麗って、そこがまず納得できないよ。不二は優しいじゃないか。今日だって探し物に付き合ってくれたし、俺は何度も不二に助けられてる」
 大石の笑顔が、力強く変化する。
 だから僕もつられるように、笑みを強くした。
 まったく。そんな事を臆面もなく言えるのは、君だけだよ、きっと。
 僕が君にしている事なんて、君が僕らにしてくれている事の、十分の一にも満たないはずなんだけどね。
「うん、まあ、そう言う事にしておいてもいいや」
「こらこら不二。自分から話をふっておいて、ごまかす気か?」
「英二ほどじゃないけど、僕も割と気分屋なんだよね。もう充分に話して満足したし。それに、ラーメンは頭使わずにすすり込むのが一番だろう? さ、今日は何を食べようかな」
 歩き続けていた僕らの目の前には、ラーメン屋がせまっていた。空腹中枢を刺激する香りも、鼻先をくすぐる。
「何食べようって、ここではいつも激辛地獄ラーメンじゃないか、不二は」
 まったく、とため息を吐きながら、大石は僕に続いてラーメン屋の暖簾をくぐった。

 何が書きたかったんだか判りません(-_-;A 読んでて腹立ってきたのでゴミ箱直行決定です(笑)「幸福論」のすぐあとに勢いで書いたんだと思いますが……。
 ですがちょっぴり、「俺は、そんな言い方は、好きじゃないな」と怒っている副部長は気にいってたり(笑)
 不二は「困るだろうから」と遠慮してますが、コレ、タカさんとの話にすれば良かったのかもしれません。
 しかしこのふたり、ラーメン屋似合わないッスね……(-_-;)ファーストフードはもっと似合ってませんけど(笑)カフェとかですかね、やっぱ。


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