最強の男?〜前夜〜

「興味深いデータだな」
 俺が自分のノートを眺めながらそうひとりごちると、正面で着替えていた青学ゴールデンペアがまったく同時に振り返った。
 ふたりは生活環境から性格から、全て正反対と言っても過言はないはずなのだが、妙に息が合う時がある。それがゴールデンペアと呼ばれる所以だろう。
「どうした乾?」
「またにゃんか新しい発見〜?」
 俺のデータノートを極端に嫌う(近寄るのさえ嫌がるのは、いくらなんでも酷いと俺はこっそり思っているのだが)大石はその場で首を傾げ、逆に菊丸は興味津々と言った顔付きで俺に近付きノートを覗き込んだ。
 相変わらず、こう言う所ではあらかじめ決めてあったかのように役割分担するな、こいつらは。
「新しい発見と言えば新しい発見だが、さして役に立つものではないな。先週あたりふと気になって、話しかけられた場合の手塚の返答率を出そうかとデータを取っていたんだ」
 すると、部室に残っている面々の内、手塚を除く全員が俺に視線を集めた。腹が減ったと言って颯爽と帰った桃城・越前と、家の手伝いをすると言ってやはり先に帰った河村を抜かしたレギュラー全員が。
 あの海堂ですら気になるらしく、ちらちらとこちらに視線を送っている――俺は優しい先輩だから、気付かないフリをしてやるが。
「乾、暇なの……?」
 不二の問いかけは、もっともである。
「まさか。だが、気になった事は調べなければ気がすまないタチでね」
「乾らしいと言えばらしいけどね」
「それでそれで〜? どう言う結果になったのさー」
 菊丸は俺の耳元で楽しそうに騒いでいる。
 君が覗いているノートに全部書いてあるんだけどね。なぜわざわざ聞くのか……聞かなければ判らないほど難解に書きとめたつもりはないんだが。
「一番高かったのは、ひとまとめにして『後輩』だな。返答率は100%だ」
「えー、うっそだー!」
 菊丸は不満そうに文句を言う。俺のデータにケチをつけるとは、失礼なやつめ。しかも手塚の目の前でよくそこまで言えたもんだ。
「嘘じゃないんじゃない? 後輩は判らない事があって手塚に話しかけるんだから、それを無視したら先輩の存在価値がないよ」
 相変わらず言い方が辛辣だな、不二。本人の目の前で。
「ちなみに乾、100%って言うのは、何分の何?」
「さすが不二、判っているな。二分の二だよ。これは付属データだが、後輩が、それは普通部長に聞くものでは? と思わせる質問を副部長にした確率は96%だ」
 不二と菊丸がほぼ同時にぷっ、と小さく吹き出す。大石は「おいおいお前ら」と二人を宥め――手塚は黙々と着替えを続けていた。プシュー、とデオドラントスプレーが吹き出る音がする。
「後輩についで高かったのが不二だな。7/8で、88%だ。」
「へえ、思ったより高いね。けっこう無視されている気でいたけど」
 ああ、俺もそう思っていたよ、不二。
「その次が俺、17/20で85%」
 俺も自分でこんなに高いとは思っていなかったからな。ものすごく無愛想だったり、「ああ」とか「そうか」とかそっけない返事しかしない事が多いが、とりあえず返答はしてくれているようだよ、手塚は。
「河村は手塚に話しかけた回数がゼロだったからランク外だから……俺につぐのは菊丸だな。4/9と、いきなり44%まで下がっているが」
「え?」
「えー!?」
 不二の落ち付いた、菊丸の騒がしい驚きの声がぴったり重なった。が、どうやら、ふたりとも驚いている箇所は違うようだ。おそらく不二は俺が驚いたのと同じ理由だろうな。
 手塚は相変わらず無表情。海堂は眉をひそめて、手塚と俺と大石の間で視線を泳がしている。彼もきっと俺たちと同じ理由で驚いているんだろう。やっぱり気付かないふりしてやるけど。
「俺にはそんなに低いのか? ひっでえなー、手塚!」
 菊丸は俺のそばから(ようやく)離れ、手塚に近寄ると、軽く裏拳で手塚の肩を叩いた。
 そうか、菊丸。お前が驚くのはやっぱりそこか。お前の事だからそうだろうと思っていたけど、皆違う所で驚いている事に気付いた方がいいな。
 そして俺がデータを発表するまで返答率が低い事に気付かないのはどうしたものか……。
「お前の話には無駄が多い。答える必要がない事ばかりだ」
 手塚は学ランのボタンをきっちり止めながら、至極面倒くさそうに言った。
 お、今のもデータに含めれば、返答率が50%まで上昇するぞ。記録しておこう。ああしかし、このまま放っておけばムキになって適当な悪口を並べる菊丸を手塚が完全に無視するから、また返答率が下がるかもしれないな。
「そんな事より……けっこう意外だね」
 菊丸を呆れた表情で見ていた不二は、そのまま視線を大石に移す。
「ああ、意外だろう? 俺も驚いた。同学年の中では一番になると思っていたんだがその逆で、最下位は大石だった。ちなみに17%」
「あれ?」
 いつも優しい笑顔で仏頂面の部長をサポートしてあげていると言うのに最下位に甘んじた感想はどうだ? と聞こうと思った俺だったが(多分不二もだろう)、大石が不思議そうに口元を抑えているので、冗談でも言えなくなってしまった。
 かわいそう……と言うのもおかしいが……。
「うわサイテーだな手塚! 俺はともかくさあ、大石はそんな無駄な事話しかけたりしないだろー? 答えてやれよ! 大石はお前の事思ってやってるんだぞ!」
「……乾」
 大石の静かな一言で、部室内がしんと静まり返る。
 菊丸さえも黙り込み、手塚以外の視線が全て大石に集中した。海堂でさえ隠す様子を見せず、大石を凝視している。
「どうした大石」
「本当に、そんなに高かったのか? 返答率」
 俺は、あまり動揺しない方だと思っていたが。
 この大石の台詞は、中学校に入学してから今までで、最も俺を驚かせた台詞を言っても過言ではない。
 ……高いか?
 17%だぞ? 具体的に言うと、6/35なのだが。五回に一回すら、返してこないんだぞ? 手塚は。
 それで本当に高いと言えるのか?
「間違いは……ない……と思うんだが」
「そうだよな、乾のデータなら確かだろうな。そうか、17%か……」
 大石はバッグを担ぐと、部室を出るために入り口に向かい、その途中でぽんと手塚の肩を叩いた。
「悪かったな手塚、油断してた。今度からは努力してみるよ、もう少し下げられるように」
 ガン、と菊丸がロッカーに頭をぶつける音が鳴り響く。
 海堂は目を見開き、不二もあまりの衝撃に笑顔を絶やしている。
 俺はと言えば大切にしているデータノートを取り落とし、パサッ、と乾いた音を立てた。
 手塚は無言のまま、大石への返答率を微妙に下げ、バッグを肩にかけて部室を出ていく。
「……なんスか、今の」
 とうとう海堂が口を挟んだ。ああ、海堂、気持ちは判るぞ。
「つまり、手塚の返答率が極端に低いのは、むしろ大石にとって喜ばしいって事、だよね?」
「そうとしか取れない発言だったが。これからいっそう下げるよう努力するとの意思を見せていたしな」
 つまり、大石は。
 気を使って、手塚にわざわざ喋らせないようにしているわけだ。少なくとも、自分相手には。
 まあ確かに、手塚の性格を考えるといい労わりなのかも知れないが……。
「ワッケわかんねー! なんで? 大石はわざわざ無視されるために手塚に話しかけてるって事?」
『そんなわけないだろ』
 俺と不二の声が上手く重なった。お、なかなか協調性があるな、俺も。
「苦労性ここに極まれり、と言うか……大石が副部長になってくれてよかったよね」
「そうだな。大石が副部長でなければ、グラウンドを走らされる回数が増えていたかもしれない。なんとなく気分ではじめたデータ収集だったが、予想以上の収穫だった」
「なんなんだよー、さっぱりわかんねーって」
「お前には一生理解できない高等技術だからな」
「なにおー!」
「おーいお前ら、何やってるんだ。鍵を閉めるからさっさと出ろ!」
 大石がドア越しに俺たちに呼びかける。
 不二は肩を竦め、海堂は頭をかきながら、副部長の指示にしたがって部室を出た。
「で、結局なんなわけ?」
 バッグを担ぐ俺に訴えかけるような目で問かけてくるのは、答えを聞くまで部室を出ない! との態度を見せつける菊丸。
 俺はひとつため息をつき、菊丸の頭を軽く叩いた。
「だから、ある意味うちで最強なのは大石だって事だよ」


ゴミ箱
トップ