告白

 三学期に入ってからも、俺たちの定期勉強会は相変わらず続いていた。
 別に定期的にしなくても、放課後や昼休みを利用しなくても、いくらでも会える関係になれたのだけれど、なんとなく。どちらもやめようと言い出さないから、だろう。同じ中学に通えるのはあと僅かだから、わざわざやめる必要もないしね。
「りゅ……桜乃ちゃん、はさ」
 せっかく「付き合っている」関係になれたわけだから、少しでも以前より近付こうとの努力の結果が、名前の呼び方なわけだが。やはりずっと「竜崎さん」と呼んでいたのに、いきなり変えようとしてもどもってしまう。
「はい、なんでしょう」
 桜乃ちゃんはシャープペンを滑らせる手を止め、あどけない顔付きで俺を見上げた。
「いや……桜乃ちゃんは、俺たちの事、誰かに話した? たとえば小坂田さんとか」
「え、は、話しちゃ、いけませんでした!?」
 桜乃ちゃんは俺の質問に即座に反応し、慌て出す。
 間違いなく、話しているみたいだな。そう言えば彼女、イブの夜は泊まり込みでパーティしたんだっけ。こう言う話をするには、もってこいの環境だろう。
「いや、いけないわけはもちろん、ないんだけど」
 むしろその方が正しいのだろう(よっぽどの事でないかぎり、友達に隠し事をするのはよくないと俺は思っている)。悪い事をしているわけでもないし……それどころかむしろ、自慢すべき事なんだろう。
 けれどなんとなく言い辛くて、俺は友達の誰にも桜乃ちゃんとの事を話していなかった。
 友達の誰かが桜乃ちゃんの事を好きだったとか言うのならば、話し辛くて当然だとは思うけれど、別にそんな話を聞いた事はないし。なんとなく越前の耳に入れたくない気もするけど、あくまでなんとなくで、絶対と言うわけではない。
 それなのに、なんでだろうな?
「俺も、機会があったら皆に話してみようかな」
 俺がそう言うと、桜乃ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。

「大石」
 手塚とは隣のクラスだから、部活を引退した今でも、校内で会う機会は多い。
 たまたま廊下でばったりと言うのももちろんだけど、2クラス合同授業である体育はいつも同じだし(種目がテニスだった時は他の生徒じゃ相手にならないからとずっと打ち合いやらされた)、一緒に弁当を食べる事もある。
 今日は「たまたま廊下でばったり」手塚に会い、声をかけられた。
「どうした? 手塚」
 めずらしいな、と俺は思った。俺たちは基本的に、廊下ですれ違うだけの時は声を掛け合わない。俺が手を上げて、手塚が目を伏せて。それが互いに気付いた合図で、挨拶だ。
「次の日曜日、あいているか?」
「日曜?」
 手塚の誘いって事は、図書館で勉強かな?
 そう言えば高等部への進級試験まで、あと二週間くらいだ。別に進級する事だけを考えるなら、特別勉強をする必要はないようだけれど(試験を乗り越えた先輩たちに聞いたところ、とても簡単だとの事だ)、それでもあえて試験勉強してしまうのが俺たちだよな。
 でも残念ながら、その日の予定はすでに入っていた。桜乃ちゃんの誕生日後最初の休日だから、桜乃ちゃんのリクエストに答えて遊園地に行く約束をしていたのだ。
「悪い、日曜日は予定が入っているからだめだ。土曜日の放課後は?」
「……」
「あ、お前の方が予定入ってるのか。じゃあちょっとぎりぎりになっちゃうけど、再来週の日曜日にするか?」
「……そうだな」
「よし、いつもの時間に、いつもの場所で――」
 お決まりのパターンで事を決めて、教室に戻ろうと思っていた俺だけど、ふと、今こそ「話してみる機会」なのではないかな、と思ってみた。
「あ、手塚」
 教室に戻ろうと背中を向ける手塚が、俺の声に振り向く。相変わらず無表情だけど、少し不思議そうにしているのが判った。話はすでに片付いていると言うのに、俺が手塚を呼び止める事など滅多にないから、だろう。
「その、報告する事があってさ。竜崎桜乃さんって知ってるよな? 竜崎先生のお孫さんの」
 手塚は少しだけ考えこむそぶりを見せたが、頷いた。
 手塚も天才肌だから、興味がない存在を意識する事はまずないのだろうけど……。やっぱり、すぐにはっきりと思い出せる存在ではないわけだ、桜乃ちゃんは。少し寂しいような、安心するような。
 なぜか襲ってくる緊張を払うために、ごほん、と咳払いをひとつ挟み。
「彼女と、付き合う事になったんだ。先月末くらいから」
 ほんの一瞬、俺たちの間には沈黙が流れ。
「そうか、判った」
 手塚はそれだけ言って踵を返し、教室に戻っていった。
 ……どう言う反応なんだろう、あれは。

「お・お・い・し〜〜!」
 金曜日の四時間目の授業が終わるとほぼ同時に、英二は三年二組の教室の中に飛び込んできた。弁当持参、飲み物はなぜか二本手にしている。
「どうしたんだ英二」
「いやー、大石にお願いがあってさー。はい、これあげる」
 ぽん、と俺の手に乗せられたのは、温かいお茶。どうやら「お願い」とやらをする前の貢ぎものらしい。
「準備万端だな。一体なんのお願いだ?」
「んー? たいした事ないよ」
 大した事ないならお願いにこないだろう、とツッコミを入れた方がいいんだろうか、ここは。
 まあ、とりあえず流そう。俺は英二に座る事を進め、自分の弁当を広げる。
「ほら、もうすぐテストあるじゃん。テスト!」
「期末テストはずっと先だから、再来週の進級試験の事か?」
「そうそう、それー。なんかさー、範囲広いらしいじゃん?」
「広いだろうな。三年間全てが範囲になるわけだから」
「だろー? だからさあ、大石、俺にベンキョー教えてくんない? 日曜日にでも」
 まあ、英二のお願いと言ったら、そんな事だろうとは思っていたけど。
 さて、困ったな。
 来週の日曜は桜乃ちゃんと、再来週の日曜は手塚と、すでに予定を入れてしまった。
 手塚とは目的が同じだから混ぜると言う手もあるけど……騒がしい英二は図書館が苦手だろうからなあ。それに、手塚との勉強に参加したがるとは思えない。手塚が英二と同じレベルの勉強をするとも思えないし。
「ど、どうして答えてくれないんだよ、大石っ! 本当なら絶対にイヤだけど、このエピフライ、大石にあげてもいいからさっ」
 エビフライを差し出すとは……英二、かなり切羽詰ってるな。
「いや、英二、勉強を教えるのはやぶさかじゃないんだが……試験までに開いてる日曜日がないんだ」
「えっ」
「だから、結果的に教えられないと言うか……」
 そんなすがり付くような目をされても。
 お茶を奢られても。
 エビフライを差し出されても、だめなものはだめなんだよ、英二。その、弁当箱の隅で場所を取ってるオムレツを全部もらっても、な。
「じゃあ、昼休み! テニスすんの諦めるからさ、今日からさっそくやろう!」
 そんなに進級が危ういのか? 英二……。
 英二の成績はそこまで悪くなかったと思ったけど……不二あたりに苛められたのかもしれないな。二百番以内に入らないと高等部には入れない、とか嘘つかれて。
「そうだな、昼休みなら」
 昼休み?
 今日、金曜日じゃないか。竜崎さんとの勉強会だ。
「ごめん、今日は駄目だ」
「えー!」
「月曜も駄目だし、火曜はテニスするって決まってるんだろ? だから、来週の水曜日からだな」
「間に合わないって、それだけじゃ! えー、なんだよ、なんで今日駄目なのさ! 付き合い悪いぞ、大石っ!」
 なんで、と言われても……ああそうか、まだ英二には話してなかった。
 今が話すチャンス、なんだろうな。
「英二は竜崎桜乃さんって知ってるか?」
「んぁ? 突然何言ってんの? 知ってるに決まってるじゃん。竜崎センセのお孫さんでー、女テニの、おどおどしててかあいー子でしょ? あんな妹いたら思いっきりかわいがるね! 大五郎みたいに!」
 抱きしめたり、撫でたりするのはまあ、ともかく。
 殴ったり蹴ったりしてなかったか、お前。大五郎を。
「俺、彼女と金曜日の昼休み、図書室で勉強する約束をしてるんだよ」
 ポロリ、と英二の箸からエビフライがこぼれ落ち。
「……なんで?」
 と、英二は半ば呆然とした顔で聞いてくる……当然か。
 なんでと問われると、まあ、紆余曲折あったわけだけど。
「付き合ってる、から、かな?」
 今はこうまとめてしまっても問題はないだろう。
 さて。
 手塚の反応はあっさりしすぎててわけが判らなかったけど、英二は一体どんな反応をするんだろう? なんておそるおそる英二の大きく見開かれた目を覗き込んでみると。
 英二はバン、と派手な音をたてて、食べかけの弁当箱のフタを閉じた。
 それから椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、キッ、と俺を睨みつけると。
「くっそー、俺だってまだなのに! 大石の裏切りもの〜!!」
 教室中どころか学校中に響き渡りそうな大声で捨て台詞を吐き、二組の教室を飛び出していった。

 残された俺は当然、妙な注目を浴びてしまい。
 ……言わなけりゃよかったと、心の底から後悔した。


テニスの王子様
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