冬休みの一日

「ねぇちょっと、大石先輩が男テニの練習来てるよ!」
 十二月二十八日。女テニは今日が今年最後の部活。と言うか、大体の部活は今日が最後の練習日。
 それなのにコートの中は部活開始早々男テニの話題で持ちきりになっちゃって、練習どころではなくなってしまった。
 普段の私だったら、「も〜、まじめに練習やろうよう!」って皆に一言くらい注意したかもしれないけど、話題の切り口になった発言の中に大石先輩の名前が出てたから、そんな気も起こらなくて、むしろ率先して男テニのコートの方に視線を向けちゃった。
 ほんとに、居た!
 家から持ってきたんだろうウェアとか来て、ラケット持って、笑顔を浮かべながら後輩たちに気軽に声をかけてる。安心したような頼っているような顔をした現役男テニ部員の顔を見ると、大石先輩がほんとに慕われてたんだなあって判って、ちょっと嬉しい。
「ねえねえ、今桃城君に聞いちゃった! 今日現レギュラー対三年の試合するんだって!」
「へ〜、だから大石先輩来てるんだ」
 そう言えば、二十八日だけは予定入ってるって言ってたっけ。なんだろうって思ってたけど……これだったんだ。
 じゃあ、あとでちらっと試合見られるのかな。
「って言うか、大石先輩だけじゃないんじゃないの? 少なくともゴールデンペアの菊丸先輩は来るだろうし、あと不二先輩とか!」
「きゃー! 手塚先輩ー!!」
 女の子たちの耳が痛くなるほど強い歓声が、テニスコート中を包み込んだ。
 常勝青学テニス部の部長と生徒会長を引退してもなお、校内ナンバーワンの人気を誇る手塚先輩が、久しぶりにコート中に戻ってきたから。
 さっきまで大石先輩の名前出してた子たちもすっかり手塚先輩一色になっちゃって、ちょっと悔しい気もするけど。
 でもその瞬間、びっくりして顔をあげて女テニの方を見た大石先輩と私の目が合って。それで先輩がにっこり微笑みかけてくれたから、悔しい気持ちなんてすっかり飛んでって、嬉しくなっちゃった。
 そうして騒いでいるうちにひとり、またひとりとOBが集まってきて、歓声はますます強くなる。六人全員集まる頃には、もう女テニの中にちゃんと練習しようなんて思う子は、ほとんどいなかった。顧問の先生でさえ諦めて、「まあ上手い人の試合を見るものいい経験だからね。とりあえず見学か自主練!」なんて言っちゃってる。
 練習できないのに、喜んでちゃいけないけど。
 大石先輩の試合をしっかり見るの、はじめてだから、嬉しいなあ。
「えー、どうするー。まずダブルスニ試合やって、そのあとシングルス三試合まとめてやるんだって!」
「えーうそー! じゃあ不二先輩のシングルスと手塚先輩のシングルス両方見れないじゃん!」
「不二先輩、ダブルス2にも出るらしいからそっち見て、シングルスは手塚先輩見ようかなあ」
「でもシングルス3って海堂君VS乾先輩だよ? 以前ダブルス組んでたふたりの因縁の対決なんて、おもしろそうじゃない?」
「もーおいしいカードばっかりだよ〜! 全部見たい! 一試合ずつやってくれないかなー!」
 皆悩んでるなあ。気持ちはすごく判るけど。私もできるなら、全部見たいなあと思うし。
 そうこう言っているうちに現レギュラーと三年生のウォームアップは終わっちゃったみたい。男テニの方は静寂に包まれて、ダブルスに参加する八名の選手だけがコート内に残った。
 私はこっそり移動して、ダブルス1が見やすい位置に移動する。
 試合開始の合図と共に、菊丸先輩の明るく楽しそうな顔が、大石先輩の優しく穏やかな表情が、キッ、と引き締められた。
 大石先輩のサービスから試合ははじまって。
 試合は終始、ゴールデンペアが引っ張る形で進んでいった。
 前半は菊丸先輩のアクロバティックプレイが全開。何度見ても魅せられるって噂通り、ネット際を身軽に動く菊丸先輩のプレイに圧倒された。現レギュラー側も、完全に菊丸先輩の――ゴールデンペアのムードに飲まれてしまっている。
 でも後半になると、ゴールデンペアの主体はいつの間にか大石先輩に切り替わっていた。大石先輩の得意技のムーンボレーが、レギュラーのふたりが作り出した小さな隙を突き、おもしろいくらい鮮やかに決まっていく。
 冷静で広い視野を持ち、堅実で、粘り強い……慎重なプレイ。「参考にするといいよ」とおばあちゃんは言っていたけど……無理そう。
 すごいなあ、ほんとに。
 少しも無駄がない、地味だから人目を引き辛いけど、完璧と言うか、綺麗なテニス。菊丸先輩の元気で明るくてコートの中心を自分に持ってっちゃうテニスを見てた時も思ったけど、やっぱりプレイスタイルって人柄が出るんだろうな。
「ゲームセット、ウォンバイ大石先輩・菊丸先輩ペア! ゲームカウント6−1」
 ゴールデンペア(と言うより、大石先輩?)に見とれていると、あっと言う間に試合は終わってしまった。
 嬉しそうにはしゃぐ菊丸先輩にVサインで返す大石先輩の笑顔も、ほんとに嬉しそう。
 なんか、いいもの見れたな。試合はもちろんだけど、あんなに満足そうな笑顔、なかなか見れなさそうだから。水族館で、お魚さんを見てた時に近いけど――やっぱり、ちょっと違うもの。

 隣のコートでやっていたダブルス2の試合も終わって。
 不二先輩の体力が回復するまでひとやすみ。
 男テニはそれまで試合した八人を囲んで色々話してて、女テニは女テニでフェンスの外で集まってやっぱり色々話してる。不二先輩のトリプルカウンターがすごくカッコよかったとか、菊丸先輩がどうとか、河村先輩が……ちらっとだけど、もちろん大石先輩の話も。
 なんて言うか……そんな事考えるのは心せまいと思うんだけど、他の女の子の口から大石先輩がカッコいいとかすごいとか聞くの、ちょっとイヤだな。
「飲み物、買ってきます」
 これから練習しようって準備運動して体を温めていたのに、ずっと立ちっぱなしで見学して体がすっかり冷えていたから、私はそう言って輪の中からはずれた。
 空気が痛いくらい乾いてて、澄んでる。そして震えるくらいに寒い。
 ずらりと並ぶ自動販売機は、動いている事を主張するように小さな振動音をあたりに響かせていて。
 少し、寂しい気持ちになった。
 お財布から取り出したお金を入れて、ミルクココアのボタンを押すと、ガコン、と大きな音がして缶が転がり落ちてくる。
 買った自動販売機の隣にあるベンチに座って、ココアに口をつけると、温かいを通りこして熱いくらいで、しばらくは手から暖を取る事にした。
 目を閉じて、窓から射しこんでくる温かい光に身を委ねる。すると、遠くから響いてくるしっかりとした足音が耳に届く。
 今日は寒いから、私と同じように飲み物買いに来た人が居るのかな、と思って顔を上げるとそこに居たのは。
「……大石先輩」
「や」
 大石先輩は爽やかな笑顔でひらひらと手を振ってくれた。
「女テニの集団離れていくのは見たんだけど、どこに行ったかと思えばここに居たんだ。サボり?」
「い、いえ、シングルスの試合がはじまるまでは、休憩時間ですからっ」
 慌てて首を振る私を見下ろして、先輩は小さく吹き出す。
「冗談だよ。竜崎さんはそんな事しないって、判ってるから」
 ……どうも先輩は私をからかっていたみたい。
 ちょっと意外だけど、そうだよね。先輩だってそのくらいするよね。なんだか少しだけ、近付いた気分。
「それより先輩は、どうしてここに? 男テニの人たちの真ん中に居ましたよね?」
「久しぶりに試合したから英二がそうとうバテたらしくて、飲み物を買いに来たんだよ。途中で竜崎さんに会えればラッキーだな、って不順な動機込みで」
「!」
 私がびっくりして、真っ赤になってるだろう顔を片手で抑えると、先輩もちょっと恥ずかしそうに頬をかいて私から目を反らした。
 先輩の手が動き、自動販売機から転がり落ちてきたのはスポーツドリンク。続いてもう一本同じのを買って、先輩は私の隣に座る。
「戻らなくていいんですか?」
「良くはないけど、せっかくだから少しだけ休憩。……迷惑なら、戻るけど」
 そんな事は、絶対に、ない。
 私はしつこいくらい首を左右に振り続ける。
 だって、一緒に居るだけでドキドキして、嬉しくて、楽しくて……残り五分の休憩時間が終わっちゃっても、このままこうして居たいくらいだから。度胸ないから、できないけど。
「試合、どうでした?」
 試合後の嬉しそうな笑顔をふいに思い出した私は、まずそう聞いてみた。
「ん? 試合自体も、英二とちゃんと組むのも久しぶりだったからけっこう戸惑ったかな。英二はそんな事お構いなしに動いてたけどね――あげく、体力配分に失敗して後半バテてたのが、英二らしいと言うか」
 ははは、って笑いながら、ほんとに……楽しそうにテニスの事を話すんだなあ。
 先輩はただでさえふたつ年上なのに、普段はそれ以上大人っぽい感じがするんだけど、今はちょっと、可愛い感じもする。
 こうしてひとつひとつ、先輩の事を知っていくの、すごく楽しい。
「現レギュラーの方は……俺たちの試合が終わったあとダブルス2がまだ続いていて、見ていて思ったんだけど、個人技は確かにダブルス1のふたりの方が上なんだけど、プレイスタイルの相性や、息があってるかどうかを言えば、ダブルス2のふたりの方が上だったみたいだ。不二もタカさんもやりにくかったって言ってた――って、女テニの竜崎さんに話してもあまり関係ない話題だったかな。男テニの方にはさっきしっかり話しておいたし」
「関係なくもないですけど……先輩がどう感じたのか、をまだ聞いてないので、聞きたい気がします」
「そうだっけ?」
 先輩は上目使いで天井を見上げながらちょっと考え込むと、最高の笑顔でこう言った。
「すごく楽しかったよ。またやりたい」
 はい、それは、言われなくても見ていたこっちにも伝わってきました、って返すかわりに、私は微笑んだ。先輩の気持ちに同調した感じで、笑いたい気分になったから。
 それから、
「大石先輩、すごくカッコよかったです。私も先輩がテニスしているところ、また見たいです」
 って正直なトコロを言ってみたら、先輩は顔を真っ赤にして、かろうじて聞こえるくらいの声量で、
「……ありがとう」
 って。
 私たちは見つめあって、照れくささをごまかすために微笑みあう。
「そろそろ、時間かな」
「そうですね」
 大石先輩の時計を覗き込むと、シングルスの試合開始まであと二分くらいしか残ってなかった。
 残念だけど、休憩時間はもう終了。
 私たちは空になった缶を捨てて、でもなごりおしかったから、かな。
 コートに戻るために校舎を出るまでのほんの短い時間、手を繋いで歩いた。

 この話、一応「クリスマス・イブ」で複線張っていたのですが。
 なんだかだらだら長いだけであんましおもしろくないような気がしたので、でもボツるのは悔しいので、こちらにもってきました。
 しかもラブラブ、足りないですしね。まあまだ付き合い始めて四日なので、初々しいっちゅう事で(笑)
 ちなみに一応、シングルス1が手塚VSリョマさん、シングルス2が不二VS桃、シングルス3が乾VS薫ってコトになってます。ダブルスは知りません。ホント、黄金ペアが戦っていた相手は誰なんでしょうね。ダブルス2は荒井&雅やんとかどうでしょう(笑)


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