優しいキモチ

 青春学園には、色んなメーカーの自動販売機がずらりと並んでいる一角がある。ほとんどがジュース類のなんだけど、それだけじゃなくて、カップラーメンとかカロリーメイトとかの自販機もあって。それで、そこで生徒たちが休憩するために、ちょっとしたテーブルがいくつかと、ベンチが並んでる。
 お昼時とか、放課後になってすぐとか、部活の終わり時刻には生徒が沢山いるんだけど、今の時間は私たちふたりきりだった。余計に緊張するような、ほっとしたような。大石先輩か私の事を知っている人にこんなとこ見られたら、何か言われちゃいそうだから。
「竜崎さんは何飲む?」
 大石先輩はお財布から小銭を取り出すと私に振り返った。
「いえ、自分で買いますから……悪いです」
「こう言う時は遠慮する方が悪いんだよ? 俺の方が先輩なんだから、遠慮なく甘えてください」
 なんて言われ方をされてしまうと、断る事もできなくて……断りたいと思えなくて。
「ありがとうございます。それじゃあ……ロイヤルミルクティーを」
 お茶類がずらりとならんでいる自販機に、チャリンチャリンと軽快な音を立てる小銭たちが飲み込まれていく。大石先輩が軽くボタンを押すと、ゴトゴトッとロイヤルミルクティーの缶が取り出し口まで転がり落ちてきた。
 先輩は続けて小銭を入れて、ストレートティーを買う。そのメーカーのはちょっぴり苦くて、私は苦手なんだけど、大石先輩は好きなのかな。なんかちょっぴりオトナっぽく感じる――私より二年はやく生まれているんだから、実際ちょっぴり大人なんだけど。
 私たちはなんとなく缶ジュースで乾杯して、マドレーヌに手を伸ばした。けれど、私は手にとるだけで、先輩の反応を見守ってしまう。
 味見した時はおいしくできたと思ったけど、おいしいのはあれだけだったらどうしようとか、不安になってしまう。味はまともでも、生焼けだったらどうしようとか。
「うん、おいしい」
 だから先輩が嘘を感じさせない笑顔でそう言ってくれた時は、本当に嬉しかった。
「よかったぁ〜……」
「竜崎さん、料理上手なんだね?」
「いえっ、そんな事ないですっ、その、同じ班の子がすごく料理が得意な子で、私は家で作る時は、時々材料の分量を間違えちゃったり、焦がしちゃったりしますからっ。私ほんとにボケてて、どんくさくて……」
 なんだか私、余計な事ばっかり話しちゃった気がする。ちらりと大石先輩の顔を覗いてみると、笑うのを堪えているみたいで、ちょっと顔が赤くなってる。
「笑っても、いいですよ? お母さんとかにいつも笑われてて、慣れてますから」
「いやその……ごめん」
 律儀にも大石先輩は、一度わたしに謝ってから、思いっきり笑ってくれた。私の事馬鹿にしてるんじゃなくて、純粋におもしろいから笑っているんだろうなって感じ。だからそんなに気分は悪くない。
 どうしてなのかな。大石先輩は何をしていても、優しさとか、温かさとか、そう言うものが伝わってくる人。そう言う人柄なんだと言われてしまえばそれまでだけど……ちょっと、ううん、かなり羨ましい。
「でも、いいんじゃない? ちょっとくらいボケてた方が、かわいくて」
 先輩が、どう言う意味でそんな事を言ったのか判らなかった。
 多分、妹が、とか、ぬいぐるみが、とか、それと同じ扱いで口にしたんだと思うんだけど……「かわいい」って。別に深い意味なんて無くて、私がふてくされていると思って、フォローいれてくれただけだよね?
 判ってるけど、判っているんだけど、ドキドキした。お父さんとか、親戚じゃない男の人にそんな事言われたの、初めてだったから。
 私は俯いて大石先輩の目から自分の顔を隠した。こんな事で顔真っ赤にしてるなんて気付かれたら、恥ずかしい。なんだか思いあがってるみたいだもの。
「お、大石先輩は、どうして職員室に居たんですか!?」
 適当な質問でごまかそうとしている自分が、なんだかすごく滑稽かなあなんて。
 でもちょっぴり気になっていたのは本当。私、職員室に呼び出される理由なんて、遅刻とか、宿題忘れたとか、先生に怒られる以外に想像つかないから。遅刻とも忘れものとも縁遠い大石先輩がどうしてって、思ってた。
「別に先生に怒られていたわけじゃないよ?」
「はい、それは……判りマス」
「俺はクラス委員をやっているから、その仕事の一貫。進路調査表を集めて担任の先生の所に持っていったんだよ。一応受験生だからね、俺たち」
 私はビックリして、反射的に質問してしまった。
「大石先輩、受験、するんですか?」
「ん? 今のところする予定はないよ。青学の高等部に通うつもり。だから『一応』受験生なんだ。90%以上の生徒は、俺と同じでそのまま持ち上がりじゃないかな」
 大石先輩は一応の部分を強調して言った。
「手塚はテニス留学するか悩んでいるみたいだし、タカさんは本格的に寿司屋の修行はじめるから部活やらないつもりらしいけど、英二や乾や不二とは高校でもテニス部で一緒だろうな」
 あ、よかった。テニス、続けるんだ。
 申し訳ない事に、私はあまり大石先輩がテニスしているところを見た事がないんだけど(リョーマ君ばっかり見てたから)、おばあちゃんが「参考になるテニスプレイヤーだよ」って言ってた。身体能力が特出しているわけではなく、不二先輩みたいに派手な技を持ってないけど、冷静でクレバーで堅実で、だからこそ隙のないプレイをするって。
 今度見る機会があったら、じっくり見せてもらおう。
「俺にも留学の話は一応あったんだけど……あ、テニスじゃなくね。英語は好きだけど、もう少しあいつらとテニスがしていたいから、断ってしまった」
「え? 大石先輩、英語得意なんですか!?」
「ああうん、得意って言うか……まあ、得意かな?」
 大石先輩は答え辛そうに言った。控えめで優しい人だから、自分の事誉めるの苦手なんだろうな。
 でも、留学なんて成績優秀者じゃないと話いかないだろうし、結局得意だって認めたって事は、かなりスゴイって事だよね?
「すごいです! 私、まだまだ簡単な時期なのに、もうひっかかりはじめてしまって。宿題とかいつも凄く時間がかかってますよ」
 ああ、授業で出された英語の宿題のプリント、明日までだっけ。ちょっとユウウツ。
「英語は一度遅れてしまうと追い上げるのが大変で、やる気がしなくなる教科らしいからね――今日は宿題とか出たの?」
「はい、プリントが一枚」
「良ければ俺、見ようか? ここで」
「いいんですか!?」
 大石先輩の申し出は、私の重くなった気分を瞬時に軽くしてくれて。遠慮もしないで「お願いします」って言っちゃった……ずうずうしいよね。ごめんなさい、大石先輩。
 バインダーに挟んでおいたプリントを取り出すと、大石先輩は椅子をずらして私の隣に席を移す。しばらく真剣な目で、プリントの全部の問題に目を通していた。
 そんな先輩の横顔を見上げて、ふと、綺麗だなあって思った。
 そうなの! 大石先輩の顔って、すごく整ってる。だけどとにかく温かくて柔らかい雰囲気が、キレイなのを隠しているみたいで、ぜんぜん嫌味じゃない。
 私はうっかりみとれてしまって、先輩がせっかく説明してくれているのに、半分くらいしか頭に入らなかった。ごめんなさい、大石先輩……って、心の中で謝っておきます。声に出して謝ったら、謝らなければならない理由を言わなければならなくて、それは恥ずかしいから。
「……と、こんな感じでいいかな?」
 最後の問題の答えを私が書き込むと、大石先輩は満足そうに頷いた。
「はい、ありがとうございました!」
 半分しか頭に入っていないのにヘンな言い方かもしれないけど、大石先輩、教え方上手いなあ、と思う。すごく判りやすく説明してくれるんだけど、けして答えは言わないで、私に考えさせるから。
 一年生の簡単な問題に長々と付き合うなんてめんどくさいと思うのに、さっさと答えを教えちゃえば早く片付くのに……それじゃあ私のためにならないから、だよね。
「よかった、ちゃんと教えられて。三年の面目躍如だ」
「すごく判りやすかったです。ホントにどうしようかと思ってたので、助かりました。ありがとうございます!」
「いいんだよ、そんなにお礼を言ってくれなくても」
 その時先輩が私に見せた笑顔は、ちょっぴり寂しそうに思えた。
 そしたら私もちょっぴり、寂しくなった。どうしてか、判らないけど。
「もし……竜崎さんの迷惑じゃなかったら、だけど」
 先輩は立ち上がって、椅子を元の位置に戻す。
 マドレーヌは食べ終えて、紅茶も飲み終えて、私の宿題も終わって、もうここに居る理由はないから、なんだろうけど。
 なんとなく、まだ帰りたくないなって考えちゃうのは、おかしいかなぁ?
「また判らない事とかあったら、俺で判る事なら教えるから……いつでも聞きにきて?」
「え……」
 私はテーブルに手をついて立ち上がった。あんまり丈夫なテーブルじゃないから、ぐらり、って大きく揺れたけど、気にしない。
「迷惑なんて、そんな……むしろ大石先輩の方が迷惑じゃないですか?」
「そんな事ないよ」
「本当に、いいんですか?」
「もちろんだよ。俺が言い出したんだから。月曜日の昼休みは委員会だからダメだけど」
 どうしよう。すごく、ほっとする。それで多分、すごく、嬉しい。
「じゃあ……よろしくお願いします!」
 興奮で抑えがきかなくて、無意味に大声を張り上げて頭を下げると、大きな手が私の頭にぽん、ぽんって触れた。
 ちらり、と覗くように大石先輩の顔を見てみると。
 いつも見せてくれている、ううん、いつも以上の満面の笑顔。
「今日はこの辺で。またね、竜崎さん」
 気が付くともう日が落ちる時間帯。
 橙色のまぶしい光が射し込む中、大石先輩は手を振って昇降口の方に歩き出した。
 判らない、難しいけど、優しい気持ちで胸の中がいっぱいになって。
 私は見えなくなるまでずっと先輩の背中を見つめ続けていた。


テニスの王子様
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