俺と深司と石田と。たまたまホームルームが同じくらいに終わって、昇降口でばったり会ったから、三人並んで部室に到着。 石田が部室のドアを開けると、そこには何故か杏ちゃんが居た。 「杏ちゃん!?」 いつものむさい部室が、杏ちゃんひとり居るだけで華やかに明るく変わるから不思議だ。 「あ、皆来たんだ。こんにちはー」 杏ちゃんは部室の中にあったボロい椅子の上に乗って背伸びしていた。ロッカーの上にある箱を取るためにそんな事しているんだろうけど、ただでさえアンバランスなのに、その状態で俺たちの方に振り返って声をかけるなんて、もっと危険だ。 「何してるの、杏ちゃん」 「ん? 今日女テニまた休みだし、ストリートテニス場行っても試合あんまりできないから、男テニの練習に混ぜてもらおうと思ったの。兄さんの許可も貰ったのよ。そしたら、ボールとって来いって言われて」 橘さんはたとえ相手が後輩や妹であっても、ただ仕事を押し付けるなんて事はしないから、今頃ネット張りでもしているんだろうけど。 ロッカーの上のボールって、橘さんくらいの背があれば取るのは簡単だけど、俺たち(石田除く)や、まして杏ちゃんがやるのは一苦労なんだけどな。橘さんらしくない人選ミスだ。 「杏ちゃん、危ないからいいよ。俺代わるから椅子から降りて……」 「きゃっ」 言ったこっちゃない。杏ちゃんは体のバランスを大きく崩して、よろけた。杏ちゃんが手をかけていたボールの入った箱も、ロッカーの上でぐらぐらと揺れていて、今にも落ちてきそうだ。 『杏ちゃん!』 俺たち三人の声が(もしかしたら、深司の声は無かったかもしれないけど、はっきり判らない)重なった。 俺はテニスバッグを放り投げて、床に倒れそうな杏ちゃんを何とか助けようと駆け寄ったんだけど。 石田の方が三歩は早かった。 元々俺より杏ちゃんの近くにいたし、歩幅が全然違うし。 石田は片手で軽々と杏ちゃんの体を支えて、もう片方でボールの箱をロッカーの上に押し戻していた。 それは石田のバカ力とバカ高い身長があってはじめてできる技で、たとえ俺が石田より先に杏ちゃんのところに辿り着いていたとしても、絶対にできない助け方。俺じゃあ杏ちゃんの体を支える事はできても、上から降ってくるボールの雨から杏ちゃんを守る事はできなかっただろう。 「うわー、ビックリしたー。ありがとう、石田さん!」 杏ちゃんは両足でしっかりと床の上に立ってから、胸を抑えながら微笑んで、石田に礼を言った。 ああ、なんか、なんだろう。 その笑顔は、確実に、石田だけに向けられたもので。 胸ン中、モヤモヤするんだけど、杏ちゃんにも、石田にも、あたる事はできないし。すげー気分悪い。 「怪我がなくて良かった」 「うん、石田さんのおかげ」 微笑返す石田の表情も、心なしかいつもより嬉しそうだった。 「あんまり無茶しない方がいい。高い所の荷物は、言ってくれれば俺が取るから」 そう言って石田は、箱を両手でしっかり持って、床の上に置いた。 「でも、任せてばっかりじゃ悪いよ。いくら石田さんの背が高いからって……押し付けるのは」 「俺の場合手を伸ばすだけだ。杏ちゃんの場合、椅子をここまで運んできて、倒れる危険性を背負う。そう言うのを俺がやるのは、押し付けるんじゃなくて、効率的って言うんだ」 「うーん、そうかもしれないけど」 「そうなんだよ」 ……なんか。 ふたりとも、俺(と深司)の存在、忘れてないか? 何お互いだけを見て会話交わしてるんだよ。無視するなっつーの! とか心の中でツッコみつつ、別に日常会話なんだから割って入ってもふたりとも怒らないだろうに、会話に入っていかない自分が悪いんじゃないかとも思ったりする。 でもやっぱ、何もできなかった俺はなんか情けないし。 石田がカッコいい、おいしいところ持ってっちゃったから、負けたなあ、って感じがして。 いや、今日たまたま石田の勝ちだっただけだからな! 別に、全面的に負けたって認めたわけじゃないぞ、俺は! 「あ、ごめん。私が居るから皆着替えられないんだよね? すぐに出てくね。えっと、ボール……」 「え、あ、杏ちゃ……」 今度こそ、と俺は手を上げて自分を主張してみたんだけど、 「いいよ杏ちゃん。俺が着替えてからコートの方持っていくから」 またしても石田に先を越されてしまった。 「そこまではホント、いいよ! 私が兄さんに言われたんだし」 「でもこれ、けっこう重いぞ? 森と内村なんて二人がかりで運んでる時があるくらい」 「うっ」 「いいから任せてくれ」 「うん……ごめんね。ホントにありがとう」 杏ちゃんは極上の笑みを石田にだけ向けて、軽やかに部室を走り去っていった。 くそっ、石田、俺に恨みでもあるのか!? それともやっぱり、お前も杏ちゃん狙ってるのか!? そーゆー事に興味ありません、みたいな涼しげな顔しやがって、ムッツリだなチクショウ! 俺はさっさと着替えようとロッカーを開ける。力の加減ができなくて、ガン! と大きな音を立てたけど、わざわざ気にしない。 「アキラ?」 石田が俺の顔を覗き込んできた。 「なんだよ」 「どうかしたか?」 「どーもしねーよっ!」 「どーもしねーって、ものすごく機嫌悪そうだぞ。さっきまで普通だったのに」 誰のせいだ、誰の! なんてヤツ当たりするほど子供じゃなかったけれど、上手い返事ができるほど大人でもないから、俺は黙々と着替える事に集中した。 「男の嫉妬は醜いよね」 隣で着替える深司は、俺にだけ聞こえるようにボソッとそう呟いて。 俺は着替え終えてからロッカーを力任せに閉めて大きな音を立て、深司を黙らせた。 余談。 俺があんまり力を込めすぎたせいか、ロッカーの扉が歪んで、使いにくくなった。その事で、備品は大事に使えと橘さんに軽く怒られた。 せっかく杏ちゃんと一緒に練習できたのに、あんまり話せなかったし(杏ちゃんはダブルスの四人か橘さんと組んでて、俺や深司とは組まなかった)。 ……厄日だったのかな、今日。 |