「ゴンドールに王は居ない……王など必要ない」
 彼のその言葉の中に、彼が私に向ける視線の中に、彼が自身に流れる血筋への誇りと、王家の血筋に対する侮蔑の念が混じっていたのは明らかだった。それも当然の事であろう。何百年と王が不在であったゴンドールをここまでまとめ率いてきたのは、彼の父はその祖先である事に間違いないのだから。
 わたしは彼の言葉に答えはしなかった。私は彼の言葉に少なくとも半分は納得していたのだ。
 はたして、私の体に流れる血脈と、彼に流れる血脈に、どれほどの差があると言うのだろう。どちらも愚かな人の一族だ。そして彼の血筋はゴンドールを、人間達を導いた。私の血筋は三千年も前の災いを現代に導いた。
 一体この血のどこが彼の血に勝っていると言うのか?

 彼は人々に愛される男であるのだと思う。
 少なくとも、彼は優しい男だった。メリーとピピンのふたりが真っ先に彼に懐いたのはその証であろう。彼は笑顔でふたりに戦い方を教えてやっていた。それに、同胞を失ったギムリの心をいち早く察したのは彼だった。ガンダルフを失い傷付いた仲間達を一番に気遣ったのも彼であった。
 けれど彼は恐ろしい。
 私が思い起こしたくないものを、つまりは私の血の影の部分を、私の眼前に突き付けようとする。それは彼が優しく純粋であるがゆえなのか。何よりも誰よりも、あるいは私よりも、ゴンドールを、人間達を思うがゆえに。
 指輪は抗う事を苦痛に思うほどに魅惑的なものだ。特に、力を求めるものにとって。

「いつの日にか、共に都へ帰ろう。塔の衛兵は俺たちを見て叫ぶだろう。『ゴンドールの救い主が戻られた』と……」
 ロスロリアンで彼が私にそう言った時、私は本当に驚いた。そして喜びを感じた。彼が裂け谷での会議で私に言った言葉を、私は忘れていなかった。「王など必要ない」――その言葉には、私と言うひとりの人間をも必要としていない、との意味も込められていたと思う。それなのにその時彼が口にした言葉は。私は彼の信頼を得たと思ってよいのだろうか?
 疑問の答えを私の元へ導いたのは、仲間達の誰もが心を痛めた別れだ。

 フロドは発ち、サムは主人を追った。メリーとピピンはオーク達に攫われた。
 そして彼は、ホビット達を守るために戦い、傷付いた。強い生命力の持ち主であろう彼の命が今にも潰えようとしているのが判る。息も絶え絶えに、己の罪を告白する彼の姿は痛々しかった。
 ああ、私は知っている。知っているとも。私だけではないはずだ。メリーもピピンも、おそらくはフロドも知っている。彼はけして悪しき心の持ち主であるがゆえに指輪を欲したわけではないと。それどころか、誰よりも善き心を持つがゆえに、誰よりも早く指輪の誘惑の虜となってしまったのだと。
 もう少し指輪と共にある時間が長ければ、ひとり、またひとり、指輪の魔力に屈していったに違いない。ここでこうして歩みを止めるのは、彼ではなく、別の誰かであったかもしれなかった。
 彼は戦った。罪を償うために。彼は悲しい形でとは言え、指輪に抗い、誇りを守ったのだ。
「私に流れる血にどんな力があるか判らないが、この血に誓おう。白い都は私が守る。そして、我らが民も」
 そして私は知っている。彼が指輪に捕らわれるほどに望んでいた願いが何であるかを。彼の命がここで尽きるのならば、私が全て背負おう。彼の愛する故郷を、彼が愛した中つ国に生きる民を、守ると言う使命と願いを。
「貴方に着いて行きたかった。我が兄弟……我が王よ」
 王。
 それは彼が拒否したもの。彼が切り捨てたもの。そして最後に、私の中に求めたもの。
「安らかに眠れ」
 彼は求めた。おそらくはこの危うく不安定な血にではなく、私自身に。ゴンドールを率い、守る力を。
「ゴンドールの息子よ……」

 指輪は去った。
 私の中にあるだろう弱き心を惑わせるものはもうここにはない。おぞましき指輪の消滅の希望は、勇気あるホビット達に託すしかない。
 私もまた、発とう。彼が、夕星が、そして私自身が望むものになるために。
 美しき白き都に、中つ国に、光を取り戻そう。


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