花冠

 サムが突然花冠をくれたので、ロージーはあまりに嬉しく、それ以上にびっくりして、「ありがとう」のひとこともなかなか言えなかった。
 庭師のサムワイズ・ギャムジーは、「庭とわたしのどちらがたいせつなのよ」とロージーが聞こうものなら、一週間くらい悩み続け、聞いた本人がそんな質問をした事を忘れた頃に「そんなむずかしい質問、答えられねえだ」と迷いながら答えそうな男だ。だから、袋小路屋敷の庭に美しく咲き乱れる花たちを――その辺の道端に生えている花でも同じだけれど――摘む事をとても嫌がる。彼が庭の花を摘む事を許してくれる事があるとすれば、主人であるフロドを喜ばせるために食卓や寝室に飾る時くらいであろうが、当のフロドが「花は庭に咲いていきいきとしている時が一番綺麗だ」とにこやかに言い切ってしまう人物なので、結局一輪たりとも摘み取れないのだ。
 それなのにサムは花冠をわたしにくれた!
「あり……がとう」
 興奮冷めやらず、ロージーがようやく掠れた声でそう言うと、サムは照れくさそうに頭をかきながら笑った。彼は顔をほんのり赤く染めていたが、そうしてサムを見上げているロージーの方がもっとひどいだろう。そのくらい、ロージーは嬉しかったのだ。
 この花冠をつくるために、サムは何十本の花を摘んだのかしら、とロージーは考える。別に数が問題なわけではない。あのサムが一輪や二輪ではなく、これほどたくさんの花を、ロージーのために摘んでくれた、と言う事実が価値あるものに思えた。ロージー自身もフロドと同様で、花は土に植わっている時が一番綺麗だと思っており、特別花冠が欲しかったわけではないのだが――ともかく、サムが他のたいせつなものよりも自分を選んでくれた証のように思えて、どうしようもなく嬉しい。庭をたいせつにするサムが、フロドをたいせつにするサムが、ロージーは大好きだったのだが、やはりロージーも女であるから、その中で自分をいちばんに選んでくれないだろうか? と願う時もあったのだ。もうほとんど諦めていたので、ときどきしか考えなかったけれど。
「どうしたの? とつぜんこんな……」
「さっき、フロドの旦那が庭で転んじまっただよ」
「は?」
 プロポーズされた時と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上にはやまった胸の高鳴りは、サムのひとことで急速に衰え始めた。
「倒れたり、茎が折れたりした花がいっぱいあってなあ。もう元に戻すのは難しいやつを、全部抜いちまったのよ。だがそれじゃあかわいそうだと思ってよ、花冠を作ってみたのよ」
 誇らしげに胸を張り、満面の笑みを浮かべるサムに、ロージーは冷たい返事しかできなかった。
「……ああ、そう」
 胸いっぱいの喜びがしぼみきる。純粋に喜んだ自分が心底間抜けだと、悲しい気持ちにすらなった。「どうせそんなものよ、だってサムなんだから。期待したわたしが馬鹿だったのよ」――頭の中だけでなんどもそう言い聞かせた。サムに背中を向けながら。
「どうしたローズ。気に入らないだか? きれいな所を選んだつもりだったんだが」
 表情も声も、全てが不安でいっぱいと言ったふうに、サムはロージーの顔を覗き込んできた。
 どうやら自分は無意識に、心配されてしまうほど不満を顔に浮かべていたようだ。ロージーは反省し、両手で強張った頬の筋肉を解し、笑顔を浮かべてみた。
「気に入ってるわよ。だってとってもきれいだもの」
 それは本当だ。理由はどうあれ、サムが素敵なものをプレゼントしてくれた事は事実であるから。ただ、込められた想いを勝手に都合よく思い込み、勝手に落胆した自分が気に入らない、それだけだ。
 ロージーはそっと頭にのせられた花冠に手を添えた。かすかな甘い香りと共に、サムの厚意が伝わってくるように思う。そうだ、単なる花冠でも、それはそれで嬉しいものだ。
「やっぱり花冠にしてよかったなあ。花瓶に生けて食卓にでも飾ろうかと旦那は言っていたんだが、それよりもローズを飾った方がずっときれいだと思っただよ」
 ロージーは大きく見開いた目でサムを見上げた。
「……きれい? わたし」
「もちろんだ。よく似合ってるだよ」
「……そう?」
 するとロージーは再び頬を染め、機嫌を良くし、歌いながら軽やかな足取りで歩き出した。今日の夕飯は、後ろからついてくるサムの好物にしてあげようかな、などと考えながら。
 ロージーの頭上では、淡いオレンジの花冠が静かに揺れ続けた。


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